8 思わぬトラブルです
王城へ向かうことを決意した私は、リズに報告をしたのち早速筆を取った。手紙の返事を書くためだ。
手紙の返事と手を煩わせた謝罪、それから王城には10日後に向かわせてもらいたいこと。
手紙に記すのはそれだけだったのだが、王族に宛てた当たり障りのない文章を考えるのにまあ時間がかかる。
何度も何度も読み返し、念押しの音読までして封筒に入れる。
最後に香油を染み込ませた布で封筒をぽんぽんと叩き、とりあえずの香り付けをしたら完成だ。リズに何も問題ないかを確認し、手紙を預けたらもうその日を待つしかなくなった。
日付の指定を10日後にしたのは、心の準備のための意味合いが大きかった。
それに準備にも時間がかかる。服を厳選したり当日用のカンペを作ったり、流石に体型を気にして食事をヘルシーにした時は「もう遅くないですか?」なんてリズに言われたものだが、何事もやっておくに越したことはない。
そんなこんなで日にちはあっという間に過ぎた。
そして迎えた、当日。
「ふー…………」
選び抜いた服に身を包み、バッグにカンペを仕込んだ私は、馬車に揺られながら深く息を吐いた。
「……もうあと10日後にするべきだったかな」
本来自分を落ち着かせるために10日という時間を設定したはずなのだが、中途半端な長さが余計プレッシャーになって苦しい。
バッグの中のカンペを読み返すのも何度目だろう。こうして見てみるともっと良い言い回しがあるように感じられてならないし、この「もし次に嘘を吐こうものなら舌を噛み切る覚悟です!(土下座をしながら)」とかちょっと重すぎやしないだろうか。そんなビジネスドラマみたいな感じじゃなくて、もっとこう、自然な……。
「お嬢様」
「あ、はい!」
「到着いたしましたよ。どうぞ」
――えっ、もう着いたの?
御者の言葉に驚き、そっと窓の外を覗いてみると、確かに王城前だ。ぐだぐだ考えているうちに着いてしまったらしい。
「向かいましょうか」
「……はい。もちろん」
お城の正門がこんなに恐ろしく見えたのは初めてだ。門番と何事かを話す御者を尻目に、私は王城を見上げた。
今日こそ言う。絶対に言う。
婚約者の話が嘘だということも、お茶会から早々に帰ったのは殿下のせいではないことも、あとは、ええと、……お幸せになってください、とかも。
門番の視線がちらりとこちらに突き刺さり、何事かを御者と話すと、黒くて大きな正門が音を立てて開き始めた。どうやらお客さまだと認めてもらえたらしい。
カンペには出会ったらまず謝罪だと書いていた。一言ごめんなさいと言って、謝る気持ちがあることをまず伝える。
と、私がシミュレーションにシミュレーションを重ねていると。
「ステイシー!」
「?!」
前方からぱたぱたと駆けてくる人影、加えて呼ばれた名に、私は思わず後ずさりかけた。間違いなく殿下である。
――ま、まずい……!
いや彼に会いにきたのだからまずいも何もないのだけれど、こうも準備なしで出くわすと非常にまずい。
特徴的な銀髪が近寄ってくるごとにカンペの中身が頭から消える。どうしようどうしようと考える間も無く、大変足のお速いらしい殿下はすぐそこまで迫ってきた。
「よかった、来てくれたんだな。……おまえを疑っていたわけじゃねえんだが、どうしても心配で」
それにあの距離をあの速さで走って全く息が切れていない。殿下のフィジカルは一体どうなっているのだろう。
「……会いたかった。来てくれてありがとう、ステイシー」
戸惑う私も意に介さず、殿下はまるで花が開くように笑った。喉の奥が、きゅうと締まる。
「…………わ、私も、です」
最初は謝罪からとあれほど決めていたのに、いざこうなると使いものにならない。
殿下は「そうか」と言ってまた笑う。それから、私を導くようにして歩き始めた。
喪女の私はもちろん、殿下も積極的に話すタイプではない。よって場を支配するのは沈黙なのだが、それでも気まずさを感じないのはそれ以上に緊張しているからだろうか。
「……」
――殿下が嬉しそうに見えたのは、私の単なる自惚れか。
戸を抜け城内に入ると、慌ただしく動く使用人が一斉にこちらを向いて驚いた。
その表情が一様に「何故『魔性の伯爵令嬢』が」と言っているようで、無理もないかと苦笑する。第二王子が不貞の女を呼び寄せたなんて、王族からしたら大問題だ。
……それに、彼らの中には恐らく生誕パーティーの際に起こした騒動を知る者もいるわけで。
そう思うと本当に恥ずかしい。もう割り切ったとはいえ、殿方に組み伏せられている姿を晒したことはただの黒歴史だ。
しかもあれは精神的には私の初めてだったわけで……。いや精神的な初めてって言うのも何かアレだけど。
「あー……、ステイシー」
「はい」
「すまない。少し不手際が起きたみたいだ」
「……不手際?」
と、使用人と何事かを話していた殿下が、不意にこちらを向いて苦い顔をした。一体何だろう。
「ああ。……どうやら、兄上が応接間を全て取り押さえたらしくて」
殿下は言い難そうに伝える。兄上……と言ったら第一王子の彼に他ならないだろう。この間生誕パーティーを開かれた、社交的で明るい王太子だ。
で、その第一王子が応接間を取り押さえたと。……といっても、いまいち殿下が申し訳なさそうにする意味がわからないのだけど。
「何か問題が?」
「いや、問題……ではあるんだが。……俺は元々おまえを応接間に通す予定だったんだ。だが兄上が悪ふざけで部屋を取ってしまって」
「はい」
「その、そうなるとこっちもどうしようもなくて……俺の部屋に通すしか、ないと言うか」
「……えっ」
珍しく歯切れの悪い言葉を紡ぐ彼に、びくりと肩が震えた。
――で、殿下の部屋に、通される?
――……いやいやいやいや、無理に決まってるでしょう……!
確かに応接間が使えないとわかればそうするのが自然なのだろうが、私と殿下2人の話となればまず根本が違うのだ。
例の生誕パーティーの夜、私と殿下の関係が始まったあの行為が行われたのが、紛れもなく殿下の部屋だ。もう一度あそこに向かうなんて話が違う。
「いや、わかってる。確かにおまえとはあそこで――」
「うわあああ! いや何余計なこと言おうとしてるんですか?!」
「でも安心してくれ。絶対に手は出さねえと誓うし、何なら扉だって開けたままで良い。不安ならおまえが部屋の中で俺が廊下にいるのでも」
「そ、そういう問題じゃないですってば……!」
殿下も殿下でことの大事さはわかっているみたいだが、にしたって解決法が脳筋すぎる。慌てて首を振り、どうすべきかと思案した。
殿下の部屋はまずい。ベッドがあるとかそういう問題もあるけれど、とにかくあの時の光景が全力で蘇ってくるのは避けたい。
となると……あ、あそこはどうだろうか。
「あの、この間私が眠らせて頂いた部屋って空いてないんですか?」
「……おまえが眠っていた部屋?」
「はい。キングサイズのベッドがあった部屋です。青色のカーペットの」
「? ああ、あそこが俺の部屋だ」
「でっ」
思わずむせてしまった。あ、あの部屋って殿下の部屋だったのか……! てっきり空室か何かだと思っていたのに!
考えれば考えるほど逃げ場がない。というか応接間を全部貸し切るって一体何を考えているんだ第一王子は。完全に遊ばれているような気がしてならなかった。
「……どうする、ステイシー。せっかく来てもらって悪いんだが、嫌なら日を改めるか?」
殿下は眉を下げる。正直なところお願いしたい気持ちでいっぱいだが、振り絞った勇気をここで無駄にするわけにはいかない。
そうだ、今日ここに来ると決めたのだ。なら帰るなんて選択肢はないだろう。
「いえ。……殿下がよければ、お邪魔させていただけると嬉しい、です」
ここで気後れしてはいけない。私は今日ここに、けりをつけにきたのだから。