7 手紙をもらってしまいました
「ねえ、スー。昨日のクレセントのお茶会はどうだったの?」
「え」
「昨日聞こうと思っていたのに、スーってばすぐ眠っちゃうんだもの。母様寂しかったわ」
3日後。
何とも言えぬ気分で目覚めた私が朝食を取っていると、妙にそわそわしたお母様に昨日のことを尋ねられた。
「あー……、ええ。楽しかったです」
「リズから聞いたわよ。殿下から直々に招待されたのよね?」
「まあ、はい」
「殿下とは何かお話をしたの? ほら、例えば婚約の話とか……!」
お母様は、ステイシーとは似つかぬほど穏やかな性格だ。加えてだいぶメルヘンな趣味をお持ちで、それが高じて見るからにうきうきしている。
「いえ、特には。……でも、お礼の贈り物は喜んでもらえたみたいです」
ほんのリップサービスで贈り物の話をすると、お母様は口元を両手で覆いながら「まあ!」なんて感激していた。まるで少女だ。
――なんだかこの間までの私みたい。
浮かれるお母様を見て、ふとそんなことを思う。血は争えないらしい。
なんて、午前中ボーッとしていたのが目に付いたのだろう。
昼下がり、この間と同じようにテラスでお茶をしていると、どこか不満げなリズにこう問い詰められてしまった。
「お嬢様、お茶会で何かあったでしょう」
「……えっ」
察されるほど顔に出ていたのだろうか。一瞬たじろぐと、リズは「やっぱり」と溜息を吐く。
「婚約者についてのお話、イヴァン様になさっていないんですよね?」
「え、っと……」
「はあ……、誤魔化さなくても結構ですよ。わかっていますから」
確かにしていない。……それどころか帰りの挨拶もせず会場を出てしまったし、思い返すと王族相手になかなか失礼な態度だ。
「で、でも、別に何かあったわけじゃないの」
「……」
「そんな目で見ないでよ。本当なんだから。……ただ浮かれすぎてたんだなって気付いただけ」
そうだ。別に殿下に何かをされたわけでもないし、逆に何かをしたわけでもない。
ただレイマン様の一件で自分の腫れ物具合を思い知って、より「殿下は主人公と結ばれるべき人だ」と思い直しただけ。コミュ症特有の自己嫌悪だ。
「本当に大丈夫だから。明日になれば落ち着いてると思うし……」
「……本当ですか? 本当に、殿下とは何もないんですね?」
「うん、大丈夫。心配してくれてありがとう」
そうだ、得体の知れないもやもやにかまけている時間なんてない。私も良い歳だし、本当に婚約者を探さねばならない時期なのだ。
傷物の私を娶ってくれる物好きなんてそういないだろうが、だからと言って独身じゃいられないのが貴族社会というもの。そろそろ縁談も考えなくちゃならない。
「そうですか。……なら安心しました」
と、ポットの注ぎ口を拭ったリズが、何か含みのある口ぶりでそう言った。
首を傾げると、彼女はにっこりとした笑みを浮かべる。それから、一枚の封筒を差し出してきた。
「お嬢様にお手紙です」
「……お手紙?」
受け取ったそれは、シーリングワックスの跡がついている以外は真っ白な、何の変哲もない封筒だ。中には二つ折りの紙が一枚入っている。
……もしや魔性の伯爵令嬢に宛てた夜のお誘いだろうか。レイマン様の怒りの手紙かもしれない。
そう悪い予感がよぎった私に、リズが笑いかける。
次の瞬間、彼女が口にした言葉は、レイマン様からの手紙よりも末恐ろしいものだった。
「イヴァン様から、お城に来ないかというお誘いです」
「……え」
「昨夜から様子がおかしかったのでお断りのご連絡を入れようかと思ったのですが、……その必要はなさそうですね」
――だって、「大丈夫」なんでしょう?
楽しげに笑うリズに背筋から体温が抜けていく。
便箋の中身を確認すれば、そこには確かに彼の名前があった。
「……お城に、招待……」
言葉を反復し、理解した瞬間顔に熱が集まる。と同時に、ゲームで見た主人公の顔を思い出して身が凍えた。
そんなの、大丈夫なわけがない……!
私は急いで部屋に駆けると、ベッドに座り込んで封筒を開いた。
ところどころインクが滲む手紙は、私の名前で始まっていた。
『ステイシー、改めてクレセントのお茶会に来てくれてありがとう。
もう何度も言ったけれど、君が来てくれて本当に嬉しかった。あの裏庭にずっといることができたらと今でも思ってしまうくらいだ。
プレゼントもありがとう。この手紙も貰った万年筆で書いているんだが、文がすらすら考えついて驚いている。君に宛てた手紙だからかもしれない。
本当は箱に入れたままとっておいて、いつか俺が死んだ時一緒に棺に入れてもらおうと考えたんだが、君への手紙はこれで書かないと格好が付かないと兄上に叱られてしまった。
ところで、君の体調は大丈夫だろうか。
お茶会の日は早々に帰ってしまったと聞いたからとても心配だ。人酔いしたとも言っていたし、俺が連れ出したせいで気分が悪くなったのならすまない。
それから、勝手に君に触れてしまって本当に申し訳なかった。
気分が昂って抑えきれなかったんだ。婚約者がいる君に、安易に触れるべきではなかった。
本当は直接謝るべきなんだろうが、君が早くに帰ってしまった原因が俺ならと考えるといてもたってもいられなかった。
でもどうか、君に会って謝らせてほしい。
君の都合がつく日でいいんだ。城に来てくれないだろうか。
嫌なら俺が出向いたっていい。だから、どうか。』
最後の文字をしっかりと読み終えると、私は大きく息を吐きながらベッドに倒れ込んだ。
「……はあ……」
……お城に、誘われてしまった。
しかもこの間の今日で手紙ときた。慌てて書いたのか字は荒いし、それに一体どれだけ郵便に急がせたのだろう。私1人のために。
……それに、主人公そっちのけで私に手紙なんか送って良かったのだろうか。
だって殿下は、ゲームのストーリーに則ってあの子と恋に落ちるはずなんじゃ。
「……」
もやつきが質量を増している。
殿下は私が早々に帰宅したことを自分のせいだと思っているらしいが、普通に私の勝手だ。謝る必要なんてない。
悪役令嬢としての立場を弁えよと、誰かに諭された気がした。
その通りだ。これから惹かれあっていく2人の邪魔をしないためにも、お城になんて行くべきではない。交友が深まれば深まるほど離れ難くなるから。
でも、それでも、最後にわがままを言うのなら。
「…………謝りたい、な」
手紙を丁寧に封筒に入れて戻し、しめきった部屋の戸を開く。
行こう。本当に最後の覚悟で、向かおう。
リズはどこだろう。私は一歩を踏み出し、廊下を歩く。
まずは、背中を押してくれた彼女にお礼を言うところから始めなくては。