45 私と結婚してください
「そもそも! お嬢様はなぜそうも危険な場所に飛び込んでしまうのですか!」
――なんて、抱えきれないほどの嬉しさを感じたリズとの再会は、お説教から始まった。
「ま、全くもってその通りです……」
「本当ですよ! 私がどれだけ心配したか!」
プリプリと怒るリズはいつにも増して怖いけれど、しかしその瞳には心配の色が浮かんでいる。私のためを思って言ってくれているのだ。それがありありとわかってしまって、思わず口角が緩む。
「何を笑っているんですか。人の話はちゃんと聞く!」
「はーい」
また怒り始めてしまったリズに、2人を空いた部屋へと通してくれた殿下がふっと笑う。相変わらずとんでもない美貌だ。
「……でもな、お前の危機管理能力が危ういのは本当だ。いくら友人に言われたとて、男と2人きりになるのはだめだろ」
かと思えばこちらにもお説教をされてしまった。……いや悪いのは私なんだけど、改めて口にされるとあの時の自分は無配慮にもほどがあった。クレアのことがあったとはいえ、私自身も呆れてしまう。
「……そんなこと言ったら殿下と2人になるのもだめじゃないですか?」
「俺は良いんだよ。例外だ」
「どんな言い分ですか」
大真面目に言われたものだから笑ってしまった。いや、本当に私の中でも彼は例外なのだけれど、まるで子供みたいな言い訳がどうも可愛くて。
「……さっきから思ってましたけど、お2人やけに距離が近くないですか?」
「え?」
「そんな雰囲気でしたっけ。特にお嬢様の方が」
くすくすと堪えきれない笑いを漏らしていると、対面のソファに座ったリズに訝しげな表情でそう言われた。……そうだろうか。これまでとそう変わらないと思うけれど。
「? ああそうだ、言っておかなきゃな」
ふと首を傾げると、隣の殿下に何故か手を取られる。
何だ何だと思う間もなく彼は取った私の手に口付けを――えっ?
「えっ!?」
「ステイシーと結婚することにした。想いを確認しあったからな」
「エ゛ッ!?!」
あまりにも突然すぎる言葉に、はしたなくもソファから飛び上がりそうになってしまった。何、えっ、えっ、――け、結婚? いや誰が。えっ、あれ、私が!?
「き、聞いてないですよそんなこと……!」
「あれ、そういう話じゃなかったのか? さっき俺のことが好きだって言っただろ」
「い、いい、言いましたけど! でもそれとこれとは」
「? どういうことだ。お前は俺と結婚したくないのか?」
不満げな顔で手を引かれ、近くなった距離に口ごもる。なん、何なんだその聞き方は。あまりにもずるすぎる。いや一緒になれるならなりたいけど……! でもあまりにも段階をすっ飛ばしすぎだ。
「それにしたってあの、さ、先に婚約とか……」
「婚約ってつまり結婚の約束だろ。いずれ一緒になるんだから変わんねえよ」
「いや変わりますよ! えと、その、結婚してなんか違うなってなったらどうするんですか」
「ならねえよ、俺はお前が好きだ」
「すっ……」
ここに来て殿下のド真面目ストレートぶりが遺憾無く発揮されていてしまって、冷や汗がだらだらと流れた。いや本当にまずい、心の準備の時間もゼロなんですが……!?
助けを求めるようにちらとリズの方へと目をやると、何故か彼女はぽかんとした表情でこちらを見つめているだけだった。加勢は期待できない。ど、どうしよう……。
そうだお父様たちは、と一瞬考えたものの、即座にだめだと悟った。あの2人なら大手をあげて喜びそうだ。完全に詰んでいる。
「なあ、お前は? ……俺と一緒になりたいとは思わねえのか?」
「……っ」
改めて首を傾げられ、やっぱり言葉が出てこない。
そんなの、答えはいいえだ。好きだしずっと一緒にいたいと思ったし、その果てにはそういう、……結婚、みたいな関係になることも考えてしまう。
でもそれを、まさかはい結婚したいですと口にすることなんてできなくて、私は俯いた。
理由はいくらでも思い浮かぶ。陛下が、王妃が許してくれると思えない。何せ私は元「魔性の伯爵令嬢」だし、結ばれるならもっと地位が高くて可愛らしい令嬢がいるだろう。……そう考えるとモヤっとはするけれど、これが現実なのだ。
「す、好き、ですけど……」
ぼそぼそと口にして、ふとこれじゃステイシーに怒られそうだと夢想する。
彼女は、自分という存在に対していつも自信満々だった。その自信を裏付けるほどの努力をしていたし、何より私がくよくよしているのを許さなかったのは彼女だ。顔向けできない。
「お嬢様」
呼びかけてももう、ステイシーは応えない。
あの日、レイマンと対峙した時。私を守ってくれた彼女の言葉を思い出して唇を結ぶと、リズにそう呼びかけられた。
なんだと顔を上げると、やはり驚いた様子のリズが私を見つめている。
「……お嬢様。あなた、イヴァン様のことがお好きだとお伝えしたんですか……?」
そんなことを尋ねられた。
お伝えしたのかって、そりゃお伝えしたけれど。
「え、う、うん……?」
「いつ」
「えと、ついさっき?」
そこまで口にすると、リズは数秒押し黙って私を見る。
「そう、ですか。……ふふ、よかった。やっと言えたんですね」
そして朗らかに微笑んで、穏やかな口調でそう言った。
……やっと、か。やっと。
リズがそう形容するほどに、私が殿下に想いを伝えるのは遅かったらしい。
確かに月日は山ほど経っている。振り返ってみればあっという間だったけれど、それも忙しくしていたからだ。休む暇も、彼のことを考えない日もなかった。
リズはいつも隣で見守っていてくれた。前世を思い出したその翌日も、殿下のことを最初に話したのだってリズだ。まるで姉のように、と言ったら自惚れすぎかもしれないけれど、それでもそんな風に接してくれた。
「……」
第二王子から飛び出た『結婚』という衝撃的なワードより、私が想いを伝えたという事実を噛み締めているらしいリズを見つめ、考える。
これまで頑張ってきたのは殿下のためだ。殿下に胸を張って好きだと言える人間になりたくて、それ以降のことを全く考えていなかった。
――結婚。今の私にとっても、以前の私にとっても重たい言葉である。
もう私は結婚適齢期である。そろそろ将来を考えなきゃならない立場にあって、その相手として真っ先に浮かぶのは、もちろん1人だけだ。ずっと彼のことしか考えてこなかったから。
……やっぱり好きだなあ。
今もなお澄んでいる藍色の瞳を見つめながら、僅かに目を伏せた。
主人が一歩進んだという、そんな嬉しさを滲ませてやまないリズの顔を見て思う。
許されるか許されないかは別として、貴族としてのあれこれだとか他人だとか、色々なことを考えなくて良いと言うのなら、私は。
「い、……一緒になりたいです、けど」
小さな、小さな声で呟いた願望は、静かな部屋の中で確かに殿下の耳に届いた。
イヴァン様は口角を緩め、小さく頷く。リズはそれまで以上に安堵したような表情を見せ、なんだか照れ臭い。愛の告白とは、こんなに緊張するものなのか。
「ああ。……俺も、お前と死ぬまで一緒が良い」
そんなの私だってそうだ。死ぬまでと言わず来世でだって一緒にいたいけれど、流石にそんな恥ずかしいこと口にできない。
「――俺と結婚してくれ、ステイシー。もうひと時たりとも離れたくないんだ」
代わりに私はひとつだけ首を縦に振った。殿下が笑った。それだけで嬉しかった。