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43 全て、お話しいたします③

 いや確かに好きだと言ったのは間違っていないけれども、そうだけども……!


 突如として再来したピンチに目が回る。顔の横には殿下の手、後ろは壁、もう目測30cmはないであろう距離と、どう考えても逃げ場がない。


「あ、あの、えーっと……」


 時間稼ぎの言葉だけが口を突く。いや別に、別に言ってもいいんだけど……! どう考えても恥ずかしすぎるでしょう! 胸を張って好きと言える人間になりたいとは思ったけど、それとこれとは話が違う!


 一度息を吸い、吐き、ちらと殿下に目をやった。


 優しい目だ。何でこんな顔ができるんだというくらい、本当に優しい顔。


 たくさん彼を騙してしまっていたのとか、彼に助けられるばかりだったのとか、そんなの全く関係ないとでも言うような。


「……」


 やっぱり、好きだ。何度考えても好きだ。


 さっきは何も考えずに言うことができたのに、今じゃ口が重たくて動かない。安心してしまったからだろうか。


「あの、殿下……」


 殿下は僅かに首を傾げ、静かに私の言葉を待っていた。何でそんな表情ができるんだというくらい、幸せそうな顔でだ。


 息を吸う。

 そうだった、思い出した。


 楽な道に逃げるような人間になりたくなくて、私は変わろうとしたんだった。


 あの、悪名高い『魔性の伯爵令嬢』と。



「――……す、き、です。ずっと前から、あなただけ、が」



 ムードもへったくれもない、途切れ途切れに紡いだ小さな愛の告白は、それでも彼に届いたらしい。


 殿下はほんの僅かだけ目を見開くと、これまでにないくらい幸せそうに口角を緩めて、そして。


「………だめだ、もう」


 小さくそう呟いたのが聞こえ、気付けば彼の腕に閉じ込められていた。


 ふわりと香る温かな匂いが目頭を刺激して、思わずぎゅっと目を瞑る。近い。心臓が痛いほど鳴っている。そんなの今更だったけれど。


「……見つめ合えるだけで十分だと、思ってたはずなんだが」

「え、えと」

「いつのまにか欲張りになってたんだな、俺は」

「殿下……?」

「本当にだめだ、……際限なく欲しくなる」


 途端に腕の力が強まって、驚いて顔を上げた。

 熱いのは私の熱じゃない。これは、殿下のだ。



「――いつも俺ばかりがお前のこと考えてたのに、お前に『好きだ』なんて言われたら」



 熱の篭った瞳と目が合い、息が止まった。


 近い。それどころか段々と近付いてきてさえいる気がする。これ以上はまずいと警笛が鳴っているのに、少しだって身体を動かすことができない。


「好きだ、ステイシー」

「で、んか」

「誰のところにも行ってほしくないんだ。……頼むから、俺以外にこんなことさせないでくれ」


 こんなこと、って。

 そう尋ねるよりも早く元よりゼロに近かった距離が更に縮まった。


 反応が遅れた私には、目を閉じる暇もない。


「――っ、ん」


 そんな色気のない声と共に、唇が塞がれた。

 閉じてさえくれなかった殿下の瞳に間抜けな自分が映っている。


 ようやく身体がびくりと反応した頃には、ぴったり数秒が経過していた。


 慌てて顔を仰け反らせると、殿下は不満げに眉を曲げた。そ、そんな顔したいのはこっちの方だ……!


「で、殿下……! ちょっ、いくらなんでも性急すぎじゃ」

「まだ済んでねえ。俺がいくら待ったと思ってるんだ」

「で、でも物事には順序が……」

「無理だ。他の男とキスした口で話してほしくねえし、まだ上書きできてない」

「思考が偏りすぎですって!」


 危険信号が鳴り止まない。これはもう手段を選んでいる暇はないと腕の隙間から抜け出そうとするも、辛うじて自由だった腕を掴まれて簡単に防がれた。か、確実に詰んでいる……!


「それに」


 いよいよ逃げ出す手段が神頼みしかない。十字を切る段階に移行した私とは対照的に、殿下はえらく楽しそうだ。


「自分のものにはマーキングをしておくのが貴族の礼儀らしい。兄上が言っていた」


 これまでにないくらい柔らかく微笑むと、掴んだ私の腕にそっとキスまで落としてくる。……ユリウス様はなんてことを吹き込んでくれたんだ。


 背後は壁。手は塞がれ、殿下の圧倒的握力の前に隙は存在しない。


 冷静に状況を分析している間にも、もう一度触れるだけのキスが降ってくる。……正直、本当に正直嫌ではないけれど、でもこれは恥ずかしいにも程がある。部屋に2人だからといってこれは別問題だ。


 耐えきれずに目を瞑る。

 と同時に何故か殿下の喉がきゅうと鳴った、その時だった。



「イチャつくなら場所と時間選んでよ。朝っぱらから何やってんの? お前ら」



 熱を冷ますのには最適な、とんでもなく冷えた声が聞こえ、殿下の拘束が緩まったと同時に私は腕の中をやっと抜け出した。


 パッと顔を向けると、そこには扉に凭れてこちらを見るユリウス様がいる。救世主だ。殿下に変なことを吹き込んでたのは許せないけど……!


「ユ、ユリウス様……!」

「兄上。おはよう」

「おはようじゃないんだけど。お前恥じらいとかないの?」


 感情がめちゃくちゃな私とは対照的に、殿下は普段通りケロッとしている。たぶん彼はどこかで大切なネジを落としたんだろう。そうに違いない。


「で、……ステイシーの方は大丈夫なの? 昨夜はとんでもなくボロボロだったみたいだけど」


 乱れた衣服や髪を簡単に手直ししていると、ユリウス様の目線がちらとこちらを向いた。


 そうだ、昨夜のこと。


 ここ数十分の衝撃ですっかり頭から抜けていたけれど、昨夜――レイマンとの一件では、きっとユリウス様にも迷惑をかけていたはずだ。


 あの後、気を失った後の記憶は、残念ながら私にはない。


 ただこの場にいるということは、つまり殿下が助けてくれたということと同義だ。いくら感謝してもし足りないし、何よりそれを話すべきだっただろう。順序を履き違えていたのは私もよっぽどだ。


「えと、……はい。昨夜は本当にあの、たくさん迷惑をかけてしまって。ありがとうございます」

「君のせいじゃないでしょ。むしろイヴァンが話を大きくしたようなもんだし、何より馬鹿だったのはレイマンだ」


 ユリウス様はそう溜息を吐くと、「おかげで俺の仕事が増えたよ」とぼやいた。……一番の苦労人は彼だったやもしれない。


「兄上、それで用件は。何かあって来たんだろう」


 やっと立ち上がってくれた殿下が尋ねると、ユリウス様はちらと廊下に目をやる。


 そしてばつが悪そうに頬を掻くと、たっぷり数秒溜息を吐いてこう言った。


「ステイシーの友人が来てる。……君に会わせてくれって言ってるらしいんだけど、出られそう?」


 友人。その単語でパッと思い浮かぶのはクレアかシャルナ(自称)くらいのものだけれど、シャルナがわざわざ私に会いに来る理由もわからない。


 となると、その友人というのは。


「その通りクレアだよ。クレア・ステンクル」


 そんな思考を見抜くように、ユリウス様はぴたりと名を言い当てた。


 クレアが私に会いに来ている。そんなの、用件なんてひとつに決まっているようなものだった。


 クレアはきっとレイマンの所業を聞いて、意図せずその片棒を担いでしまったことを謝りに来たのだろう。彼女はそんな清らかな心の持ち主だ。


「で、……られ、ます。もちろん。案内していただけたら」

「そう、じゃあイヴァンに着いてもらってよ。応接間に通してって言っといたから」


 それだけ淡々と告げると、ユリウス様は足早にその場を去ってしまった。何か言いたげな横顔が気になったものの、引き止められるはずもない。


 歩き出した殿下に続きつつ、クレアのことを考えてみる。


 あれから一夜。彼女とレイマンとの関係は一体どうなっただろう。


 クレアはレイマンのことを大層慕っていたはずだ。これで尚彼のことを好きだと言うのなら友人として止めなければならないけれど、私にだって原因の一端がある。


 ……これでクレアと仲違いなんてことになったらどうしよう。


 そんな悪い想像ばかりが頭を駆け巡る中、ふと殿下がこちらを向いた。その顔は、心なしか少しだけ赤く。



「……そういえばお前、あの状況で軽々しく目なんて閉じるなよ。何するかわかんねえんだから」



 って。……そんなの、殿下の方がよっぽどだったと思う。

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