42 全て、お話しいたします②
「なあ、本当か」
「え、あの、いや」
「好きって言ったよな、嘘なのか?」
「え、えっ」
じりじりとにじり寄ってくる殿下に気圧され、思わず後退る。
殿下の、息が荒い。顔が赤い。それが十二分に理解できるほど近くに彼がいて、改めて意識すればとんでもない距離だ。謝罪のことしか頭になかったとはいえこれは。
だって、違う、そうじゃない。
私は殿下に怒られるつもりで、罰を与えられるつもりで、それなのになぜ今問い詰められているんだ。なぜ殿下は離したぶんの距離を即座に詰めてくるんだ。
「……本当、だよな。違うか?」
なぜそんな、私の一大決心など聞こえていなかったかのような顔で。
「俺のこと考えて、そんな赤くなるのか、お前」
切なそうな、少し熱の篭った瞳で見つめてくるんだ。
「で、でも殿下、わたし」
「……うん?」
「その、それより前に、もっと大事なことを……」
息を辛うじて吸って、少しずつ吐いた。
落ち着かない視線は床のあたりに閉じ込めて、服の胸元をきゅっと握る。
「わ、私、あの、……ま、魔性の伯爵令嬢、だったんです、けど……」
二度目の告白は、一度目のそれより勢いも語気も随分と弱まってしまう。
でも聞こえていなかったわけじゃないだろう。確かに私はこの距離で、この静けさの中で自分が『魔性の伯爵令嬢』であると告げたはずだ。そんなの自分が一番よくわかっている。
スルーされたままじゃいられない。もう一度、確かめるように言い切り、私は意を決して殿下の方を見やった。
深い、藍色の瞳と目が合う。
いつ見ても綺麗だ。いつだったか、同じ色のドレスに心惹かれたのを思い出した。
「ああ、そうか。わかった」
「…………は?」
開ききった口から素っ頓狂な声が出る。
「別に繰り返さなくたって聞こえてる。……で、お前さっきの『好き』って――」
「え?! いやッ、いやいやいや!! そんな簡単に流していいものじゃ……」
「今はこっちの話だろ。お前俺のこと好きなのか?」
「そ、えっ、いや、はい?!」
予想の斜め上、どころじゃない。予想外なんて言葉で片付けていいものでもない。ただただ意味がわからなくてぽかんとした。何だこれ、夢なのか。
思わず漫画が如く自分の頬を抓り、しかしきちんと痛い。現実だ。殿下が私の一世一代を「わかった」で呑み込んだことも、それより私が好きと言ったかどうかを重要視しているらしいことも、全部。
「い、やいやいや!! で、殿下分かってます?! 魔性の伯爵令嬢って、その、色んな男の人と関係を」
「だから聞こえてたって言ってんだろ。わかったよ」
おかしいにも程がある。改めて食ってかかると、殿下にもう一度、なんなら少し訝しげにそう繰り返された。これなんなんだ一体……!
混乱しつつも頭をフル回転させて考える。本当になんなんだ、もしや『殿方と関係を持ってきた』の意味を誤解していたりするのだろうか。正直殿下ってちょっと抜けてるところあるし。変なところでピュアだし。
となるともう、これはぼかして伝えた私の責任だ。
「そうじゃなくて……! ち、違うんですよ!」
「? 何がだ」
「や、あの、『関係を持った』ってその、生ぬるいものじゃなくて! ど、同衾をしたってことで」
手や視線をわたわたと動かし、挙動不審にも程がある動きで伝え直す。ちょっと綺麗に言い過ぎたやもしれないがこれが限界だ。許してくれ……!
「わかってる」
「は」
それなのに、表情ひとつ変えず告げた殿下に、私はいよいよ言葉を失った。
わかってる、って。言った。殿下が。
聞こえていなかったわけでも、勘違いしているわけでもない。ただ彼は私の言葉を聞いて、理解して、その上で「わかってる」と。
殿下はどこか不満げに眉を寄せ、もう少しだけ私との距離を詰める。
反射的に後退ろうとして、しかし失敗に終わった。後ろはもう壁だ。
「べつに、俺だって言葉の真意くらいは読める」
「……へ」
「繰り返さなくたって理解できてる。要はセッ――」
「わあああああ! わ、わかりましたから!」
慌てて殿下の言葉を遮り、大きく大きく息を吐いた。わざわざ声に出す単語じゃない。
「ああ。……わかってるから、もうあまり口にしないでくれ。理解できても嫉妬はするんだ、お前が俺以外と……とか」
続く言葉にぎゅっと心臓が鳴って、何だかもうずるくてずるくて押し黙る。……本当にこう、たまに計算してるんじゃないかとすら思う。言い方とか、その、いろいろ。
でもこれでやっと理解できた。
最初からわかっていたんだ、殿下は。私のやっていたこととか、言いたかったこととか、全部。その上で深く追求する必要はないと判断している。
一体どれだけ叱られるのだろうと思っていた私からしたら拍子抜けだけれど、それ以上に妙だった。
だって普通は怒るものだろう。騙されたと感じるのが当たり前だし、第二王子という立場からしたって、侮辱されたと捉えられてもおかしくはない。
「……怒らない、ですか?」
それが不思議で不思議でたまらなくて、私はつい、ぽつりと呟くように尋ねた。
「社交界だと未婚の女の人が……とか、タブーですし。確かに皆さんに謝罪はしましたけど、それでも迷惑をかけたことって取り消せないじゃないですか」
殿下の瞳が、曇りなくこちらを見つめている。
別に叱られたいわけじゃない。怒鳴られることで勝手に精算しようとしているわけでもない。何なら心の奥底では許されたかったはずなのだ。私はずるいから。
ずるいし臆病だ。だからこんなところまで引き伸ばしてしまったし、まだ昨日のお礼だって言えてない。自分のことばかり優先しすぎて。
「怒らねえよ」
――なんて、そんな不安を拭い去るように。
殿下は僅かに口角を緩めると、右手を私の頭の上に乗せ、ゆっくりと撫でてくれた。
温かい。まるで魔法みたいだ。それまで早鐘を打っていた心臓が、少しずつ落ち着きを取り戻すかの如く。
「……そりゃ嫉妬はするけど、それだってステイシーが好きだからだ。お前がこうして俺を見てくれてるだけでお釣りが来る」
「そんな……」
「嘘じゃねえよ。今までまともに表に出てなかった俺が、今更社交界のルールとやらに従うわけねえだろ」
最後に髪をそっと撫で、温もりが離れていく。
それに一抹の寂しさを感じる間もなく、殿下は離した手を私の背後の壁にトンと突いた。急激に縮まる距離に、ふわりと何かが香る。
「もう良いか? ……まだ不安なら愛の言葉でも何でも言ってやるんだが」
まっすぐ、だ。
誰よりも、何よりもまっすぐでストレート。そんなの、もう十分こっちが恥ずかしくなってくるくらいの愛の言葉だ。その自覚すら本人にはないというのに。
でも嬉しかった。嬉しくて、だからうまく言葉が出なくて、ただひとつ頷いた。
好きだ、やっぱり。今でさえ殿下を想うに値するのかわからないけれど、それでもやっぱり。
「ステイシー」
名を呼ばれ、俯きかけた顔を上げた。
目が合った殿下は、顔を僅かに赤らめ、少しだけ息が荒くなっている。
見たことがある、と思った。デジャヴというか何というか、つい先ほど見たような、ええと。
「で、……お前、俺のこと好きって本当か?」
紡がれた台詞にさっと熱が引く。
――ふ、振り出しに戻った……!!