41 全て、お話しいたします①
「……って、何でお前勝手に起きてるんだ。寝てなきゃ治るもんも治らねえだろ」
彼は僅かに眉間に皺を寄せる。
胸が痛くて苦しくて、とにかく声にならない声で呼んだ。夢じゃない。幻でもない。殿下だ。
殿下が、イヴァン様がここに。
私をあの馬車から救ってくれた殿下が、いる。
「で、……殿、下」
「ん?」
「殿下」
「なんだ」
その返事が、もう泣きたくなるくらい優しくて。
「あ、おい……!」
ついでに緊張の糸までぷつんと切れて、私はその場にへたりこんだ。駆け寄って支えてくれた殿下の手が温かくて、情けなくも泣きそうになってしまう。
でもだめだ。まだだめなんだ、今は。
「殿下」
今はまだ、私が泣いて良い時じゃない。
「わたし、殿下に、……殿下に、話していないことがあるんです」
声が震える。
気つけのために拳を握り、目を閉じた。
「……話してないこと?」
そうだ、話していないこと。1年弱もの間ひた隠しにしてきたこと。
すうと息を吐く。大丈夫、大丈夫だ。『魔性の伯爵令嬢』は、まだ私の中で確かに存在してくれている。これまでも、昨日だって私に勇気をくれたじゃないか。
ここまで引っ張ってもらって怖気づいてちゃいられない。怖いとか隠し通したいとか、そんなこともう言ってられやしない。
「……わ、たし」
「……」
「私、……綺麗でまっすぐな人間じゃ、ないんです」
呟くように、ただしっかり、そう声に出した。
いつか言わねばと思っていたこと。
言わなきゃいけないこと。
ずっとずっとタイミングを伺ったふりで怖気付いていたけれど、きっと今なのだ。
私はどう足掻いても『魔性の伯爵令嬢』で、その過去も未来も、殿下にだけは隠してなんておけない。でも言えなかった。好きだったから。嫌われたくなかったから。
「……ステイシー?」
私の肩を掴む殿下の手の力が僅かに強まる。おかげで身体の震えが止まって、何故だか少し落ち着いた。
大丈夫、大丈夫だ。私にはクレアのように綺麗な心も、『魔性の伯爵令嬢』のような賢さも強さもないけれど、それでも殿下にだけは誠実でありたい。
「怖くて黙ってたんです。ずっと」
その結果どうなってしまおうとも、せめて誠実に。
「――私、『魔性の伯爵令嬢』なんです」
殿下の前で初めて口にした、その単語。
前世じゃ、ゲームの中じゃ、こんなのただの悪役令嬢のキャラ付けに過ぎなかった。でも気付けば私の中の一本の柱になって、時に私を悩ませ、時に勇気付けてくれた。
「………は?」
ステイシーのことは恨めない。だって彼女と私は表裏一体で、『魔性の伯爵令嬢』も拗らせ処女だった私も、全部ひっくるめて私1人だ。感謝こそすれ怒りを覚えることなんてない。
殿下は目を見開き、藍色の目が確かに私を映す。
社交界に疎い彼のことだ。ひょっとして聞いたことなんてなかったんじゃないかと思ったけれど、この反応を見るに知っていたらしい。『魔性の伯爵令嬢』も大分名が売れたということか。
驚き故か、殿下の手から力が抜ける。私は彼の腕の中からするりと抜け出し、身を正してそっと正座をした。
丁寧に三つ指をつき、頭を下げる。
前世じゃ最大級の敬意と、それから謝罪の意を示す礼。意図的に黙って殿下を騙したのは事実なのだから、せめて謝らなくちゃならない。
「殿方と、たくさん関係を持ってきました」
「……」
「殿下が私の正体を知らないこともわかってたんです。……でも失望されるのが怖くて言えなかった。本当に、本当に申し訳ございません」
張り詰めた空気が、未だ痛む身体に突き刺さって冷たい。冬だからか、それとももっと別の何かが原因か。
「でも、それでも。……それでも私、殿下のおかげで変われたんです」
「……」
「あの日、……殿下とユリウス様の生誕パーティーで会ったあの日から、ずっと殿下が頭の中にいて」
「……は」
「それから私、他の人と関係を持つようなことをしなくなったんです。殿下が好きだったから」
あれだけ言うことを躊躇っていた好きの2文字が、面白いほどするりと口を突く。
あの日以降、私の行動指針はずっとそうだった。殿下が好きだった。変わりたいと切に願うくらい、本当に本当に好きだった。
「ですから、ありがとうございました。……それから何より申し訳ありません」
殿下のおかげで変われた。クレアという友人ができた。シャルナと話せた。『魔性の伯爵令嬢』と出会えて、家族の繋がりを再確認することもできた。
「許しを乞うことなんてしません。……ええと、領地の方は少々容赦を頂けると嬉しいに越したことはないんですけど、お金なら私が一生懸命働いて工面いたしますし」
でも、それでも、殿下が私にかけてくれた時間と労力を戻すことはできない。だから罰を受ける。それが社会のルールだ。
息を吐ききり、既に真っ暗な視界の中で目を閉じる。
許してもらおうなんて、そんなこと最初から考えていない。ただ殿下を想うに相応しい人間になって、それから謝りたかった。
色々予定外は起きたけれど、これで『魔性の伯爵令嬢』は終わり。あとはもう、伯爵令嬢として貞淑に生きていくしかない。
「ステイシー」
それから暫く、数秒。
殿下に名を呼ばれたかと思えば、ぽんと肩に彼の手が触れた。
思わず顔を上げる。
殿下の表情はいつも通り変わっていないように見えたけれど、それでも瞳の藍色が深い。
ああこれをこんな近くで見るのも最後かと、何だか物悲しくなったのだけれど。
「――お前、俺が好きって、本当か」
瞬間、殿下の真っ白な頬が、僅かに赤く染まった。
「…………は?」
……想像の斜め右方向を全開で突っ走る返答に、私はこう返すしかなかった。




