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38 平民と第一王子

 シャルナとの邂逅後、ユリウスは混乱していた。


 ステイシーの友人を名乗る庶民――恐らくクレア・ステンクルが、バルコニーに1人でいる。あの次男坊はどうした。彼女はあいつがエスコートしているのではないのか。


 ……そういえば、ここ1時間ほどレイマンを見ていない。クレアも数時間前に見たっきりで、あの2人が一緒にいるところも――。


「ユリウス様!」


 声を掛けられハッと顔を上げると、焦ったような顔のリーゼロッテが目に入った。額には汗が滲んでいる。


「リーゼロッテ。……何かあった?」

「いえ。ステイシー様はまだいらしてないんですが、リナダリア家の馬車がいたんです」

「馬車?」


 眉を寄せて尋ね返し、ユリウスは小さく息を吐いた。……いけない、落ち着こう。クレアのことで少々心を乱していたが、ユリウスの本来の目的はステイシーを探すことだ。


 主役たるイヴァンも明らかに入り口の方を気にしはじめているし、かと言ってイヴァンはその場を離れることもできない。


 よって2人が駆り出されることとなったのだが、今のところステイシーが現れる気配は皆無だ。欠片すら感じられない。


「はい。といっても窓からぼんやり見えた程度なんですが、馬がリナダリア家飼いのものと似ている気がして」

「似てるって……、それ確かなの?」

「私の願望が見せた幻覚でない限り確かです」

「信用ならないなあ」


 軽口こそ叩いているものの、それらしい馬を見たという情報は大きい。ユリウスは唇を噛むと、数秒ほど思考を巡らせた。パーティーの終了まで時間がない。


 リズが見たという馬車、そのくせ未だ姿を見せないステイシー、バルコニーにいるクレアと、見当たらないレイマン・スティード。


 情報は他にない。時間もない。シャルナも彼女を見ていないと言うし、他にあたれるとなればクレアくらいか。


 ユリウスがクレアと会うのは、以前スティード家で邂逅した時以来だ。彼女はまだ、第一王子ユリウス・ルイーズ・フロックハートのことをただの使用人だと思っている。


 深く溜息を吐いた。

 リズは不安げな表情を浮かべている。


 お前がそんな顔するなよと思いつつ、ユリウスはひとつ頷いた。ステイシーに何かがあったとしたら、悲しむのはこのリズとクレアだ。



「……バルコニーに、ステイシーの友人がいる。大した情報は得られないだろうけど、行ってみる価値はあるよ」



 ◇◇◇



 それから数分。


 駆け付けたユリウスとリズの2人は、バルコニーに佇む真白の背中を見つけた。


 月夜によく似合うドレスだった。ユリウスは今日、彼女の姿を遠目にしか見ていなかったが、近くで見ると後ろ姿だけでもこんなにも惹きつけられるものなのか。


 リズと目を合わせ、どちらからともなく歩を進める。


 バルコニーに頬杖をつく彼女に声を掛けたのは、ユリウスの方だった。


「クレアさん」


 優しげな声色で名を呼んだと同時、リズが驚いた表情でユリウスを見る。当たり前だ、第一王子が平民に敬称をつけているのだから。


 美しい髪が靡き、クレアは振り返る。


「! ユーリ様。お久しぶりです、いらしてたんですね」

「ええ。ご挨拶できずにすみません」

「いえいえ。それで、そちらのお方は……?」


 突然話の矛先を向けられたリズは、驚きで面食らったらしい。フリーズしてしまった彼女の代わりに、ユーリ改めユリウスはにこやかな笑顔で答えた。焦りを見せぬように。


「彼女はリズと言います。――僕と同じように、ステイシー様付きの使用人でして」

「は……」

「まあ、そうでしたか! そういえば、以前リナダリア家にお邪魔した時にお会いしたような……」


 朗らかに笑むクレアとは対照的に、リズの表情は驚愕一色だ。第一王子が使用人を名乗っているなど前代未聞だからである。


 それでもって、同じようなことを過去にしてやられたのを思い出したのだろう。


 あの幼少の日、ユリウスに女性だと嘘をつかれ、そのまま何年も面白がって騙されたことを。


「ちょっと、ユリウス……」


 リズはそう一言口にすると、ユリウスに手を伸ばす。


 だが、その手が彼に届くことはない。

 ユリウスは小さく呟いた。


「ごめん。……わかってるけど、もうちょっとだけ夢見させて」


 そうだ、わかっている。こんなつまらない嘘は、いつか明るみに出る意味のないものだ。何の生産性もない。


 それでも『使用人』としてクレアと話したあの時間が忘れられなかった。


 面と向かって褒められた、あの時の嬉しさを捨て切れなかった。


 だからこそせめて今だけは、第一王子でなくただ1人の人間として話したい。


 リズは開きかけていた口を引き結ぶ。

 不思議そうな顔をするクレアに、ユリウスはもう一度微笑んだ。


「素敵なドレスですね。よくお似合いだ」


 嘘の多いユリウスに珍しい、心からの本音だった。レイマンが選んだのだろうか。そう思うと何だか妬ましく思った。


「ふふ、ありがとうございます。ステイシー様にも褒めていただいたんですよ」

「!」


 その言葉に、ユリウスとリズ2人ぶんの動きが止まった。


 ユリウスが頭で意味を噛み砕く前に、隣で影が動いた。リズだった。


「ステイシー様が……?」

「はい。去り際だったんですけど、ヘアメイクも素敵だと褒めて――」

「お会いしたんですか!?」


 リズがクレアの肩をがしりと掴む。止まる間も隙もなく、ただ詰め寄った。


「え、ええ、はい……?」

「いつどこで!? ステイシー様はどこに!」

「ちょっと、リーゼロッテ」

「静かになさい!」


 一喝され、言葉に詰まる。


 リズの表情が悲痛で、ユリウスは何も言えなかった。平静を装っていても、彼女の主人を心配する気持ちは人一倍強いのだ。


「え、ええと……、本当に先ほどなんです。私、レイマン様からステイシー様宛の伝言を頼まれていて、それで」

「伝言……?」


 空気が張り詰める。心臓が何故か早鐘を打っている。


「あの、えと、……『これから2人で話す時間を取れないか。クレアとの将来のことで君と話したい』って」


 息を呑む音がした。

 自分の喉から発せられた音だった。


「それで、ステイシー様は馬車の方に駆けていきました。……私はレイマン様にバルコニーで待っててと言われたので、ここに」

「レイマンが……?」

「はい。お二人とも親しいみたいで」


 ステイシーと、レイマン。2人の詳細な仲は知らないが、何故か嫌な予感しかしない。


 あの日、スティード家で出くわした日。ユリウスとクレアの嘘にまみれたお茶会は、レイマンがしきりにクレアを呼んでいるというお達しで中断した。


 当時はただ気にかかるだけだったが、こうなっては別問題だ。


 仮説を立ててみる。あの時、レイマンと直前に話していたのはステイシーだったはずだ。


 その何らかの話し合いが決裂して、2人が仲違いをしていたとする。であれば、このイヴァンの生誕パーティーという状況下で、レイマンがステイシーを呼び出したのは何か裏があるのではなかろうか。


 ステイシーがレイマンとクレアの仲を案じていたのは確かだ。であるならば。


 ……であるならば、これは。


「……リーゼロッテ、行こう」


 たった数秒の思考ののち、ユリウスは決断を下した。


 向かう。嫌な予感を感じる以上、そうする他ない。そこまでしてやる義理はないはずなのに、そうせよと頭が命じて仕方ない。


 リズは暫し呆けていたものの、同じ結論に至ったらしい。クレアの肩から手を離し一言謝罪を入れると、しかしユリウスに向き直った。


「ええ。……ですが、あなたはここにいるべきです」

「は?」

「私はイヴァン様に声を掛けていきます。この終盤で主役がいないのも怪しまれますし、あなたが場を繋いでおいてください」


 きっぱりと言い放たれ、ユリウスは一瞬言葉を失った。


 確かに、連れて行くならイヴァンが最適だ。何を言ってるんだという反論は寒空の空気に消え、リズは更に言葉を続ける。


「それに。……この子を見るべきは私でなくあなたです。親しいんでしょう?」

「……」

「第一王子なら踏ん張りなさい。くだらない嘘などついていないで」


 傍観していたクレアが「え?」と漏らすが、リズはそれを気に留めなかった。するりと身を翻すと、パーティー会場の方へと走り去ってしまう。


 残されたのはユリウスとクレアだけだ。


 不思議そうに「第一王子……?」と繰り返す彼女を前に、ユリウスはしてやられた、と頬を掻く。



 見破られていた、のだと思う。

 幼少の頃から付き合いがあり、それに聡い彼女のことだ。


 ユリウスがクレアに向けるただごとでない感情にも、彼女はきっと気付いている。


 それに背中まで押されてしまった。押すというより蹴り飛ばすが近い表現のようにも感じるが、それでも発破をかけられたことには違いない。


 息を吐き、吸い、クレアの手を取った。


 え、と驚く彼女の手を更に握り込む。泣きそうなくらい冷たいそれと体温を共有しながら、ユリウスは意を決した。



「クレアさん。――……僕、あなたに謝らなければならないことがあるんです」

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