37 シャルナ・キンバリーは友人ではない
――その頃、第二王子の生誕パーティーに参加していたシャルナ・キンバリーは、どうも落ち着かない様子で会場を見渡していた。
シャルナの様子がおかしいことは、他でもないシャルナ自身が一番良くわかっている。
それほどまでに今日の自分はおかしかった。視線があちらこちらを彷徨い、普段であれば愛想良く振る舞えるはずであるにも関わらず、あれだけ心酔するイヴァンへの挨拶もしどろもどろになってしまう始末。
見かねた両親に休んできて良いと半ば放り出されて尚、シャルナは本調子を取り戻せていなかった。明らかに、思考がよそにある。
(……って、何で私がこんな……)
髪を乱さない程度に頭を小さく振り、シャルナは拳を握った。
ここまで乱心している理由はおそらく、いやきっと――ステイシー・リナダリアにある。
何もかもこの間の出来事が悪い。友達になりたいだとか恨み言を吐き合う仲じゃなくライバルだとか、言いたいことばかり言うステイシーは勝手すぎるのだ。
(こっちの話も聞かないで。……何なのよ、本当に)
そもそもとして、ステイシーとシャルナは以前より仲が悪かった。自分達でどうこうできる範囲にないほど、絶望的に性格が合わないのである。
シャルナはこの性格だ。侯爵家の娘という立場に由来する負けず嫌いで、自慢話は大好物なのに何よりマウントを取られることを嫌う。
対して、ステイシーは特にお高く留まっている人間を好んでいなかった。
地位と権力を振りかざす人間を嫌い、そしてそれを隠そうともしない。『魔性の伯爵令嬢』の男性支持がなければ社交界で生き残ることもできないだろうと、シャルナは今になっても思う。
そんな2人が出会おうものならもちろん衝突は避けられない。案の定シャルナはステイシーを嫌い、ステイシーもシャルナを嫌い、晴れて2人は円満な不仲となった。
……が、それが今になって「友達になりたい」だ。シャルナが戸惑い、必要以上に気にしてしまうのも訳ない。
それに、ここ最近――というかここ1年弱のステイシーはめっきり人が変わったように思う。
魔性の伯爵令嬢は、貴族令嬢たちの間では鉄板の話の種だ。パーティーの度にどの殿方と消えただとか、次狙われるのはあの令息だろうとか――そんな噂話が絶えなかったにも関わらず、最近じゃ大した話のひとつも聞かない。
代わりに耳に入ってくるのは言い寄ってきた殿方をやんわりとお断りしていたなんて話ばかりで、それもシャルナの心を乱す一因だった。あれだけ争っていた相手がああじゃ、調子が狂って仕方がない。
こんなんじゃだめだ、と溜息を吐く。
何せ今日の主役はイヴァンだ。自分の勝手な都合で無礼を働いて許されるわけもなし、気を確かに持たないと。
「――ねえ知ってる? 聞いた話によれば、このパーティーに庶民が混ざっているらしいわよ」
と、シャルナが唇を引き結んだ時だ。
ふとそんな声が聞こえ、シャルナは反射的にそちらを向いた。2人組の令嬢が、顔に笑みを浮かべながら何やら話をしている。
「ええ、庶民? 殿下のお誕生日に?」
「そうよ。しかもあの『魔性の伯爵令嬢』の友人ですって」
飛び出た名にびくりと肩を震わせ、シャルナは思わず目を逸らす。あまりにも挙動不審だ。
「リナダリア家の? 余計不安だわ、あの人の友人なんて」
「本当に。……ねえ、後で見に行かない? その庶民、今1人でバルコニーにいるらしいから」
「1人で? エスコートしていただいた殿方に見放されたのかしら」
そこまで聞き、もう一度2人組を一瞥すると、シャルナはその場を離れた。
他人が叩く陰口というのはどうもあまり聞く気にならない。自分が話す分には良いのだけど。
(……友人なんていたのね、あの人)
ステイシーなんて知人か愛人くらいしかいなさそうなものだが、どうやら友人もいたらしい。しかも庶民。
「……」
それでもって、その友人とやらはバルコニーにいるのだそうだ。
シャルナと同じように壁の花になるならまだしもバルコニーだ。この寒空のもと外に出る気が知れないが、2人組の言う通りエスコートされたはずの殿方に見限られたのだろう。
バルコニーに視線をやる。1人でバルコニーだなんて何て惨めなんだと心内で嘲り、しかし自分にも突き刺さっているような気がして首を振った。
シャルナが気にすることではない。バルコニーの庶民はシャルナと何ら関わりのない人間だし、関係で言えば単なる友人の友人だ。
……いやそれも違う。そもそもシャルナは自らをステイシーの友人だと認めたわけでは――。
「……あれ、シャルナ?」
と、何度目かの否定をしたその時。
ふと名を呼ばれ、半ば呆けていたシャルナは鈍い反応で視線を上げ――飛び上がるほど驚いた。
慌てて身なりを正し、深く礼をする。
名を呼んだ主、……ことこの国の第一王子ユリウスは、困ったように笑った。
「ユ、ユリウス様……!」
「あは、別に良いのに。シャルナは今1人?」
「え、あ、……はい。少し休んでいるところでして」
シャルナはイヴァンに心酔し並々ならぬ恋心を抱いていたが、その兄であるユリウスのこともほぼ同様に慕っている。
何なら野心家の父母はユリウスとお近付きになることを望んでいるくらいだ。シャルナ本人にその気はないものの、ユリウスと見合いもどきをしたこともある。
そんな彼が話しかけてくれたのだから緊張しないはずがない。何を言われるかとシャルナの心臓が早鐘を打つ中、ユリウスは「そうだ」とひとつ切り出した。
「ねえ、ステイシー・リナダリアを見てない? 確か君たち仲良かったよね」
「……」
――ステイシー。またステイシーだ。
その名を聞き、シャルナは余計な気が抜けるのを感じた。身構えた自分が馬鹿みたいだ。仇敵と言っていいステイシーの話で、何をそんなに緊張する必要があろうか。
シャルナは息を吐き、ドレスの皺を伸ばし、ユリウスに向き直った。
相変わらず綺麗な顔だ、と思う。
しかも穏やかで優しい次期王位。
父と母は彼とどうにか結婚をと念を押してくるけれど、彼のそばにいると気疲れに悩まされそうだ。彼と己とを比べ、毎度へこんでしまいそうになる。
「いえ。……お役に立てなくて申し訳ないのですが、ステイシー様の姿はちょっと」
引き締めるぶんの気もついでに抜けてしまったのか、余計なことばかりが頭を回る。
ユリウスは「そっか」と笑い、踵を返そうとする。その背を眺め、彼にはどんな相手がふさわしいだろうかと夢想した。
健気な人が良い。マウンティングと陰口を嫌う善人が良い。あとは笑顔が似合う人が良い。
それから貴族の汚さや諍いを知らぬ人間が良い。そんな人、きっとこの中にはいないでしょうけれど。
「でも」
ほんの少し大きく、しかし控えめな声で二音を発すると、ユリウスの動きが止まった。
第一王子の一挙手一投足を自分がコントロールしているようで、何故か心が躍った。何だか自分自身をきちんと見てもらえているような気がして。
「ステイシー様の友人ならバルコニーにいらっしゃるようです。彼女ならもっと有益な情報を提示してくれるのでは?」
シャルナは笑い、ユリウスが目を見開いた。何に驚いているのだろう。ステイシーに友人がいたことだろうか。
「……それ、本当?」
「ええ。といっても庶民の方みたいですけれど」
言うや否や、ユリウスの表情が更に驚愕に染まる。
パーティーもそろそろ終わりを告げる、そんな時間だった。