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36 身体が、震えています

 クレアから馬車を停めた大体の位置を聞き出すと、私はお礼もそこそこに駆け出した。


 ドレスも髪も酷いことになっているものの、そんなこと気にしている場合じゃない。とにかく駆け、駆け、巡回中の門番に声を掛けられようが止まらず、足を引っ掛けようがお構いなし。


 走り出して10分。息も絶え絶えになりながら到着したのは、城門からだいぶ離れた位置に泊まった馬車の前だった。御者台には誰もおらず、幕がかかり、中も伺えない。


 ひとつ深呼吸、心臓を落ち着かせた。


 この中にレイマン様がいる。

 曰く、クレアとの将来について話したいらしいレイマン様が。


「ステイシーです」


 声を掛けると、数秒の間ののち扉が開いた。


 しっかりと見上げる。

 レイマン様は、無表情でただじいとこちらを見つめていた。


「遅い」

「……すみません」

「それに酷い格好。そんなんで城に来たの?」

「それは、……急いでいましたので」


 彼の不機嫌が手に取るようにわかった。心臓が大きな音を立て身体が強張ったものの、もう引き返せないところまで来てしまっている。


 レイマン様はひとつ溜息を吐き、顎でしゃくった。

 中に入れということだろう。一瞬躊躇ったが、私は大人しく従った。狭い車内に2人分の息遣いが鳴る。



「……クレアのことと、お聞きしましたが」



 最初に口を開いたのは私だった。とにかく急いでいる中、彼の呼び出しに応じたのはほとんどクレアのためだ。照れたように『クレアとの将来について』と語った彼女のため。


 レイマン様はもう一度、深く溜息を吐く。


 既視感を感じた。あの日、クレアとユリウス様と遭遇した、数ヶ月前のあの日だ。どうしても忘れられない日。


「嘘だよ、それ」

「……は?」


「いや、別に全くの嘘ってわけでもないな。クレアにも関わることではあるけど、『クレアとの将来について』ってのは嘘。将来なんて微塵も考えてないから」


 何を、――何を言っているんだ、この人は。


 一瞬頭がフリーズし、動きが止まった。どういうことだ。クレアとの将来について話したくて、だから私を呼び出したわけじゃないのか?


 レイマン様は表情を変えない。

 それどころか、驚きで固まった私を見てひとつ嘲笑を浮かべた。心底冷たく。


「まさか信じてたのか? お人好しもここまで来ると笑えないな」

「じ、……じゃあ、クレアは」

「お前を呼び出すための駒だよ。それくらいわかるだろ」


 心臓が芯から冷え切る感覚に襲われた。思わず唇を噛む。


 つまり、つまり彼は、――私をただ呼び出すためだけに、あれだけ純粋で真摯だったクレアを焚き付けたと?


「……は、まさか怒ってるのか? 『魔性の伯爵令嬢』も随分牙が抜けたらしいな」

「……」

「罵りたきゃ罵ればいい。何にせよお前は僕の用が済むまでここから出られないし、出るわけにもいかないだろうけど」


 膝の上に置いた拳でドレスをきゅっと握る。

 何のために彼は私を呼んだのだろう。あの日、スティード邸にお邪魔した日に彼の中では全て終わったのではなかったのか。


 確かにレイマン様とはいつか腹を据えて話さねばと思っていた。けれどもこんなクレアを騙すような形でと願った覚えはない。


 小さく息を吐く。

 鼓動が一際大きく聞こえる。


 口を開いたのは、やはりレイマン様の方だった。


「収まらないんだ、腹の虫が」

「……」


「寝ても覚めてもお前が憎いんだよ。公衆の面前で僕をコケにしただけならまだしも、謝罪だ何だと言って善人ぶった自分に酔ってるお前が」


 レイマン様は目を細める。反論したい気持ちをぐっと堪え、私は更に拳を握った。


 そんなつもりじゃなかったと言って聞き入れてもらえる相手じゃない。


 あの日、未だに何が駄目だったのか答えは見出せていないけれど、とにかく彼が怒りを覚えていることに変わりはないのだ。


「斜陽の弱小貴族が調子に乗って自我を出すからこうなるんだ。……王子様に言い寄られて気分はさぞ良かったことだろうよ」

「! ……い、今、殿下の話は関係が、」

「黙れよ。僕が喋ってる」


 鋭い言葉が喉に刺さり、押し黙る。


 ふと、私は彼に期待していたのだと思った。あの日、スティード邸に向かった日とは何かが変わっていて、今回もクレアとのことで楽しくとまでは言えずとも腹を割って話せるのではと、そう。


 でも実際はどうだ。何も変わっていない。


 それどころか彼の語気はどんどん強まり、しまいには憎悪が籠った目でこちらを見ている。涙が出そうになった。恐怖に震えてじゃない、悲しくて泣きそうなのだ。


「ここ最近ずっと気持ちが悪いんだ。お前のせいで」


 レイマン様が拳を握った。空気が、より張り詰める。


 気付いた。頭が危険信号を鳴らす。なのに何故か動けなくて。


「何もかもお前のせいだ。お前が、お前が全て悪い。お前が大人しく従っていれば」


 足が重い。腰が張り付いている。喉に至っては縫い付けられたかのようで、心臓が段々と早鐘を打っていく。逃げなきゃと、そう言っている。誰かが。



「――汚らわしい『魔性の伯爵令嬢』が、生き方を選べると思うなよ」



 頬に鋭い痛みが走ったのは、レイマン様の右手が伸びたことを視認した数拍後。


 彼に殴られたことをきちんと認識したのは、それから更に数秒後だった。

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