33 何かが始まろうとしています
そうして、うまく眠れないまま訪れた翌日。
殿下を迎えにきた馬車が到着したのは、昼食を終え少しした時だった。
「リナダリア様、突然の申し出でしたのにありがとうございます」
昨晩のうちに城へ出立し、報告ののちとんぼ返りでこちらにやってきたという護衛さんの表情からは、言いようのない疲れが滲み出ている。
「い、いえいえ。こちらこそ大したおもてなしもできませんで……」
「狭い客間に通してしまって申し訳ありませんわ」
父と母は未だに緊張した様子で首を振る。その横で私は殿下の方へ視線を寄せ、小さく息をついた。
昨夜からどうも、彼の顔をまともに見ることができない。
今朝、朝一番に出くわした殿下は、何か言いたげな様子だった。
要件はわかっている。昨夜あれだけ顔を近付け、あわやというところまでいったのを「嫌じゃない」と言ったことについてだろう。
あんなのほぼ告白みたいなものだ。うっかり出てしまったものとはいえ本心は本心なんだけれど、……どうも恥ずかしくて死にたくなる。
――殿下の隣に立てるまで贖罪に努めるって言ったのは自分なのに、ほんと私は何してるんだか……。
「……あ、そうでした。ステイシー様」
と、己を戒めていると、殿下と何やら話していた護衛さんの1人が私の名を呼んだ。
何かと首を傾げると、護衛さんは僅かに声を潜める。内緒話だろうか。
「ユリウス殿下から伝言がありまして。今、よろしいですか?」
「……えっ」
ユリウス様から、伝言……?
予想外から飛び込んできた名前に思わず眉根を寄せてしまう。……私、何か失礼なことでもしたっけ?
ユリウス様と最後に会ったのは、記憶に新しいスティード家だ。私の従者だと嘘をついて、何故かクレアとお茶会に洒落込んでいたんだっけ。
私はあれから、クレアにもユリウス様にも会っていない。
故にあの場で何が話されたかは全く知らないのだけど、……それにしても怖いな。だってユリウス様だし……。
「本来は殿下もここにいらっしゃるはずだったんですが、どうも時間が取れなかったらしくて。お聞きになられますか?」
そりゃ第一王子にほいほい来られても困るけども。
私が頷くと、護衛さんはひとつ咳払いを挟む。
「えー、『ステイシー様のご友人は例の次男坊と本当に上手くやれているのか』と。そういったお達しでした」
「……ご友人?」
「はい。そう伝えればわかるはずだと」
ご友人。『魔性の伯爵令嬢』の知り合い、ではないと思う。
たぶん、恐らくはクレアのことだ。例の次男坊というのも、レイマン様のことだろう。……何でユリウス様が2人を気にかけているんだ?
実際、クレアとレイマン様の仲がどうなっているのかは私にもわからない。
確かに、応援したいとは思っている。が、あのスティード家でのレイマン様を見て、手放しにそう言えなくなってしまったのも現状だ。
「……上手く、ですか」
ユリウス様のことだ。ただの興味本位で伝言を残したわけじゃあるまい。思い悩み、私は告げた。
「そう、ですね。……では、お伝えいただけますか」
「はい」
「『当人ではないので2人の仲は分かりかねますが、よろしければ私と一緒に注視していただきたいです』、で。お願いします」
護衛さんはひとつ頷き、取り出した紙にさらさらと書を走らせる。そして一度内容を復唱すると、礼と共に馬車の方へと駆け出した。
レイマン様との問題も、クレアのことも、このまま知らんぷりは続けていられない。
レイマン様と話をつけるなり何なりして、クレアに被害がいかぬよう立ち回らねばならないだろう。
またひとつ溜息を吐く。
自分で蒔いた種だ。自分で処理しなければ。
「……ステイシー?」
と、顔を俯かせていると、突然名を呼ばれた。
心臓がどきりと跳ねる。それだけでもう、誰だかわかったようなものなのだけれど。
「気分でも悪いのか? ……顔色が優れないみたいだ」
不安げな顔でこちらを覗き込むのは殿下だ。
慌てて首を横に振り、全快ですと口走る。朝から距離を置いていた相手に突然話しかけられると心臓に悪い。
「あ、……すみません。殿下のお見送りに来たのに」
「気にすんな。1日だけだったが、おまえのおかげで楽しかったよ」
そう言って、殿下は柔らかく微笑む。表情ひとつで心音が速くなってしまうあたり、私も相当だ。
と、今度は遠くで護衛さんが殿下を呼んだ。どうやらもう出るらしい。
殿下はそれに応えると、もう一度私に向き直って笑いかけてくれた。何だか照れ臭い。
「じゃあまた来月に。おまえに会えたら嬉しい」
「はい。……必ず」
手を振り合い、殿下は今度こそ踵を返す。その背が馬車に消え、馬車が道の彼方に消えるその時まで、私はじいとただ立ち止まっていた。
慌ただしい1日だった。謝罪回りに出て、殿下が家に泊まることになって、改めて殿下が好きだと理解して。
大きく大きく息を吐く。溜息じゃない。
拳を握り、気合を入れた。もう少しふんばらなくちゃ。
――「……ホント。そろそろあたしからも自立してほしいもんだけど」
呆れたように呟くステイシーに笑いを零して、私は家へと急ぐ。ずっと緊張の面持ちだった両親にも、使用人のみんなにもまずお礼を言わなくては。
冬の冷たい空気が気つけに丁度いい。これは身震いじゃなくて武者震いだ。
それから1ヶ月。
『魔性の伯爵令嬢』ステイシー・リナダリアは、めっきり私の前に姿を現さなくなった。