3 誘われてしまいました
帰宅を決意したは良いが、まさかバスローブ1枚で帰るわけにもいかない。とりあえず、殿下のご厚意でお風呂に入れてもらえることになった。
「では、失礼致します」
「ああ」
城の正門前。停められた馬車の前で、エスコートしてくれた殿下にぺこりと礼をする。
「……そうだ。おまえ、来週の頭に予定はあるか?」
とにかく一旦家に帰って休みたい。馬車に乗り込もうと足をかけたその時、そう呼び止められ動きを止めた。
「来週? ……いえ、特に予定はありませんが」
「そうか。……もしおまえが良ければなんだが、うちで開かれる茶会に来てくれないか」
「えっ」
お茶会。こちらの世界では聞き慣れた単語に口角が引き攣ったのは、どうも嫌な予感を頭が過ぎったからで。
「社交趣味の母上が定期的に開いてるんだ。『クレセントのお茶会』って……、聞いたこと、ないか?」
「く、くれせんと……」
――ああ、やっぱり。
その名を聞いて私は愕然とした。嫌な予感というのは、悲しいかなよく当たってしまうものだ。
『クレセントのお茶会』とは、王妃様が定期的に開催なさっているお茶会だ。主催が王族ということもあって、ここに招待されるのは名のある貴族が多い。
もちろん以前の私なら喜んで飛び付いたのだろうが、……今となってはそうもいかない。
――だって『クレセントのお茶会』って、ゲームのストーリーに深く関わる場所じゃない。
私が前世でプレイしたゲーム、かつこの世界の舞台である『王都メイデンローズ』は、庶民の主人公と貴族のヒーローが身分違いの恋に落ちる乙女ゲームだ。
そしてそのストーリーは、ただの庶民でしかなかった主人公の家に、高貴なるクレセントのお茶会の招待状が届くところから始まる。
クレセントのお茶会に庶民が招待されるなんて前代未聞だ。悪目立ちしてしまった主人公は頭から紅茶を掛けられてしまうのだが、そんな彼女を守るように、1人の男性が立ちはだかる。
助けてくれたあなたのお名前は? ……というところで、攻略キャラクターの選択画面に移るのだ。
ここで選択したキャラクターが主人公を守った、というていでお話が進むわけだが……、正直に言うとあまり気は進まなかった。
下手にゲームのストーリーに関わって断罪されたくないというのもあるが、なんと言ったって殿下と顔を合わせるのが気まずすぎる。
しかしあけすけにそんなことを言うわけにもいかない私は、視線を彷徨わせながら口を開いた。
「えっと、お申し出はありがたいのですが……、私如きが向かったら迷惑になってしまいませんか?」
「迷惑? ……何でだ?」
「その、お茶会にいらっしゃるのはどれも家名のある方たちばかりですし」
「? 王族の俺が招待してるんだ、家名も何も関係ねえだろ」
「あ、えっ、あ、えーっと……」
食い下がる殿下に冷や汗が垂れた。何だその押しの強さは。
「でも、あの、招待するのは私じゃなくても良いかな、と」
「俺はおまえを誘っているんだが」
「でも他にも行きたいって方はたくさん」
「だめだ。譲れない」
「も、もう……っ!」
どれだけ言おうと暖簾に腕押しだ。思わず語気を強くしてしまう。
「なんで私をそこまでお誘いになるんですか……!」
すると、無表情だった殿下が僅かに眉を寄せた。
「何でって……、わからねえか?」
「わかりません……! だって私以外にも人が」
「そんなもん、下心があるからに決まってんだろ」
飛び出てきた斜め上の解答に、ぴたりと動きが止まった。
「おまえに会う口実を作ってるんだ。だめか?」
口実。こてんと首を傾げながら放たれた言葉を聞き、途端に顔がかあと熱くなるのを感じる。
……ああもう。何だって彼は、涼しい顔でこうも甘い言葉をさらりと吐くのだろう。
「だめなら言ってくれ。……初めて人を好きになったから、加減がわからねえんだ」
そして悲しいかな、拗らせ喪女はドストレートな言葉に弱い。
暫し悩んだ私は殿下から目を逸らすと、いとも簡単にこくんと頷いてしまった。
「…………だ、だめじゃないです、けど……」
だめ、なんて言えるわけがない。
そんな私の返事に気を良くしたらしい殿下は、嬉しそうな声色でただ一言「そうか」と口にした。
◇◇◇
私が王城からそう遠くない家に到着したのは、空がオレンジ色に染まった頃合いだった。
妙に家の中が静かだと思ったら、どうやらお父様とお母様は就寝中らしい。ということで歳の近い行儀見習いの侍女――リズに出迎えられた私は、テラスでお茶を頂きながら彼女に今日あった出来事を話していた。
「ええっ!? イヴァン様にまで嘘をおつきになられたんですか!?」
「ちょっと、声が大きい……!」
求婚されたことに始まり、婚約者がいるなんていつも通りの嘘をついたことや、……あとは、色々やってしまったこと。
もちろん前世の記憶云々や失神してしまったという黒歴史は伏せ、現在抱えている悩みを吐露すると、リズは大声を上げた。
「でも一介の貴族ならともかく王族ですよ……!? しかもイヴァン様ともなれば今からでも婚約を受けるべきです!」
「いや、その……今更嘘だって言うのも、ねえ……?」
「こういうのは引き伸ばした方が言いづらくなるんですって!しかも、身体まで重ねられたんでしょう?」
「ゔっ……」
自分で曝け出したこととはいえ、他者にそう言われるとぐさりとくるものがある。
リズは、空になったティーカップに紅茶を丁寧に淹れ直しながらも熱を込めて言った。
「クレセントのお茶会に誘われたってことはイヴァン様も相当本気でいらっしゃるはずです。婚約を受けるかどうかはともかくとしても、罪悪感を感じているなら弁明すべきですよ」
「……」
本気だとか婚約だとかはさておき、感じている罪の意識に関しては確かにそうだ、と思う。
殿下のあの反応を見ると過去に同じ嘘をついた殿方にも申し訳なくなってしまうし、心変わりという意味合いでも謝罪はすべきだ。
全て魔性の方のステイシーが蒔いた種とはいえ、周りから見れば同一人物である私に責任がないわけじゃないし、……その方がうじうじと悩まなくて済むだろう。
「……そう、だよね」
――殿下はお茶会の日に主人公と出会って恋に落ちるのだろうが、わだかまりは少ない方がいいはずだし。
「……私、お茶会で婚約者の話は嘘でしたって言ってみようかな」
ぽそりと呟くと、リズはケーキスタンドにお菓子を盛り付ける手を止めた。
それからにっこりと笑い、私の背を押すように大きく頷いてくれる。
「ええ、それがよろしいですよ。その調子でイヴァン様と婚約して男遊びもやめにしちゃいましょう」
当たり前だ。拗らせ喪女の私にはもう遊ぶ気などさらさらない。
「でも殿下、嘘だって知ったら怒らないかな」
「怒りませんよ。それでも不安なら何か贈り物でも持っていけば良いのです」
「……贈り物?」
「はい。招待してくれたお礼とか何とか理由を付けてプレゼントを贈れば、少しはイヴァン様の溜飲も下がるのではないでしょうか」
なるほど、確かに名案だ。物で釣っているようで気が引けるものの、お礼と兼ねてプレゼントを渡せば謝罪にもなるのではなかろうか。
となれば迷うのはその内容だが、これには私に圧倒的な有利があった。『王都メイデンローズ』をプレイ済みの私は、殿下の趣味嗜好を僅かながら把握している。
「わかった、そうする。……でも私だけだと不安だから、明日買い物に付き合ってくれる?」
お茶会までさほど時間がない。尋ねると、リズはふふと笑った。
「あら、不安に思うことなんてありませんよ。好きな人が一生懸命選んでくれた贈り物なら、何でも嬉しいはずですもの」
好きな人。改めて言葉にされると、どうしようもなくむず痒くって仕方がない。
両手で顔を覆い深く息を吐くと、「珍しいですね」なんて大笑いされてしまった。
……別に、そんな大それたものじゃない。
だってここは乙女ゲームの世界なのだ。
あれだけ好きだ何だと言った殿下だって、主人公と出会えばそちらに惹かれるはずなのだから。