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28 どこで間違えたのでしょうか

 護衛とともにスティード邸の戸を開くと、数名の使用人が深々と頭を下げてくれた。侯爵家ともなるとやはりメイドの数も多い。


「レイマン様は応接室でお待ちです」


 その中の1人、老年のメイドさんに案内されつつ、スティード家の廊下を進む。


 レイマン様宛に話があると手紙を送った際、彼の返事は意外にも二つ返事でOKだった。


 レイマン様とて私に良い記憶はないだろうし、今更何の用だと怒られるところまで想像していたのだけれど、……私が気にしすぎているだけだろうか。


「どうぞ」

「……ありがとうございます」


 そう一礼、ドアノブに手を掛け、戸を開く。


 大窓から日差しが差し込む部屋に足を踏み入れると、ソファに深く腰掛けていたレイマン様がちらとこちらに視線を向けた。



「……やあ、久しいね」



 久しい、といっても数ヶ月だけれど。


 ひとまず挨拶だ。「こんにちは」と頭を下げ、促されるままに対面のソファに腰掛ける。突き刺さる視線が緊張を促して、指一本すら動かすのに労力が要った。


「それで? 君がわざわざ僕に話したかったことというのは?」


 表情から動きまで固い私を見てか、レイマン様は控えていた数名の使用人を部屋の外に出す。


 それからソファの肘掛けに頬杖をつくと、気まずくて重い空間にそう一言口を出した。


 ――わざわざ話したかったこと、というか。


 できれば角が立たぬようにしたい。伝えるべきはお茶会で失礼な物言いをしたことへの改めての謝罪と、それから、私の率直な気持ちだ。


 ひとつ、深呼吸。拳をきゅっと握ると、私はレイマン様の瞳を見据えた。綺麗な色だった。


「……お時間をわざわざ取らせていただくことでもないのやもしれませんが」

「……」

「謝りたくて、来ました。数ヶ月前、クレセントのお茶会で失礼な言葉を吐いたことです」

「……へえ」


 レイマン様の眉間がぴくりと動く。彼にとっては持ち出してほしくない話なのだろう。私だって、頭から消してしまいたい記憶だ。


「……あの日言ったことに嘘はありません。私はレイマン様に着いていく気はありませんでしたし、売女と言われたこともまだ怒っています」


 確かにそう捉えられてもおかしくないことはしたけれど、しかし。


「でも、確執を生むような言い方をした私も悪かったです。……気持ちは撤回しませんけど、その点だけは申し訳ありません」


 深々と頭を下げ、私は数秒の間、高そうな赤のカーペットを見つめた。


 それだけだ。彼からの謝罪を待っているわけでも、許しを強制しているわけでもない。ただ迷惑をかけた人に謝ると決めたから、残った遺恨を清算したいだけだった。


 沈黙が更に数秒。私が重たい頭を上げると、レイマン様はじいとこちらを見つめている。


 すると、彼は突然小さく息を吐いた。溜息にも見えた。


「それで? それをなぜ僕に伝えにきたんだ。君の自己満足か?」


 静かに、そっと、唇を噛む。


「ああいいよ、君の謝罪は僕の寛大な心で受け入れよう。侯爵家の息子に対して失礼な口を聞いたことは不問とする。……で、何かが変わるのか?」


 そりゃそうだ。ただ私が謝罪したとて、切り捨てられてしまっては彼に何の関係もない。時間を浪費させただけだ。


 ぐるぐると頭を回す。べつに彼の謝罪を待っていたわけじゃなかった。そもそも、他者の罪悪感は期待するものではない。


「変わり、ます」

「……変わる?」

「はい。……少なくとも、レイマン様を見て遠慮することがなくなります」


 一瞬の沈黙。空気が重い。


「私はクレアさんの友人です。彼女の気持ちを尊重したいからこそ、貴方とこのままではいられない」

「……」

「クレアさんの想いくらい貴方だって気付いているでしょう。じゃなきゃ、侯爵家の貴族が本の1つ2つで庶民を家に上げたりなんてしません」


 レイマン様は開きかけていた口を結んだ。ここ数ヶ月で培ってきた目が回るほどの社交経験が、図星だと言っている。


 この人は、クレアの恋心に気付いている。


「私は貴方とクレアさんを引き合わせた人間です。貴方の答えがどうであれ、友人として彼女の背を押したい」


 健気で、真摯で、誰にでも優しいのがクレアだ。顔を突き合わせて話したことは少ないにしろ、そんなことゲームをプレイした私が一番良くわかっている。応援してあげたい。


 そのためにも、彼との小さなわだかまりは解消すべきだと思った。だんまりなまま頑張れと旗を振るのは居心地が悪すぎるだろう。


「ですから、別にレイマン様にも謝罪しろというわけじゃないんです」


 今日はよく舌が動いた。あちこちきょろきょろしているしかなかったお茶会の日とは違う。


 一拍置き、息を吸った。言葉は続く。


「ただ形だけでも和解すればクレアさんとの関係も」


 と、そう、少々早口気味で言ったその時だ。



「――ああ、よく理解できたよ、君の高尚な御高説は」



 それまで唇を引き結んでいたレイマン様が、一際大きな声で口を挟んだ。


 途端に私は勢いが削がれ、室内がシンと静まる。次いで言葉を紡いだのも、やはりレイマン様だった。


「君への気色悪い既視感の正体もよくわかった。まるで君は兄上の生き写しだな」

「……え?」


「そうやって善行を積んでいると言いながら僕のプライドを傷物にしていく様、本当に兄上そっくりだよ。血でも繋がっているのか?」


 戸惑いで、思考が止まった。

 けれども、とにかく機嫌を損ねてしまったことだけは理解できて。


「過去の痴態を掘り起こすばかりか、自分はもう水に流すと宣言して何がしたいんだ? いつまでも数ヶ月前の出来事に囚われている僕が愚かだとでも?」

「ち、違っ、そんな」

「僕のためクレアのためと宣っておきながら僕を嘲笑っているだけじゃないか。どこまで馬鹿にすれば気が済むんだよ」


 そう言うと、彼はフッとひとつ乾いた笑みを零した。激昂しているわけでもないのに、ただ何か怒りで首を絞められているような。


 ただ目を見張ることしかできない中、レイマン様はソファから立ち上がる。


 それからゆらりとこちらに近寄ると、右手を伸ばした。


「……本当に、本当に気味の悪い女だ」

「レイマン様……?」

「売女のくせに今更純潔ぶって、話を聞いてみたらまた僕のプライドを踏み躙る。何がしたいんだよ、お前は」


 怒りを孕んだ声が響き、彼の右手が、私の襟元を掴んだ。瞳が濁りながら渦巻いている。


 逃げなきゃ。頭は危険信号を鳴らしているのに、恐怖で身体が少しも動かない。


「……最初から僕に抱かれていればこんなことになっていないんだ。売女は売女らしく死ねば綺麗に終わるものを」


 彼の顔が近付いた。吐息が唇にかかる。


 頭が回らない。振り解けない。動かない。怖い。


「目上の人間を軽視するからこんなことになるんだよ。頭の弱い女はこれだから困る」


 誰か。誰かいないのか。心の中で呟いても届きやしないのに、思いつく限り名を呼んだ。


「ほら、先ほどまでの饒舌はどこにいった。何とか言ってみろよ。それとも、こうなることを期待でもしていたのか?」


 お父様、お母様、リズ、ステイシー、ユリウス様、クレア、それから。


 それ、から。



「――……で、殿、っ下、でんか、」



 殿下。イヴァン殿下。飛び出た名前に、レイマン様が一瞬動きを止めた。


 無意識だった。ただ何も考えられないくらいに怖くって、助けを呼びたくて、つい名前を呟いた。助けてほしかった。大丈夫だと、優しく言ってほしかった。


 こんな時まで他人任せだ。自分が蒔いた種なのに。


「お、まえ……っ! 売女が、この期に及んでまだ僕を侮辱する気か!」

「きゃっ!」


 襟元を掴む右手に更に力が篭る。レイマン様は勢いよく右手を離すと、私を床へ投げ捨てた。背中に鋭い痛みが走る。


 泣きそうなくらい痛い。心臓も痛い。立ち上がろうとしてドレスを踏み、ビリと嫌な音がしたものの、そんなこと気にしている場合じゃない。


 這うようにして扉に駆け寄ると、背後で彼の怒声が鳴った。


「女如きが僕を馬鹿にするのも良い加減にしろ! お前がッ、お前のせいだろう! 1から100まで全部お前が悪いんじゃないか!」


 重い扉の隙間に身体を押し込み、部屋を飛び出す。部屋の外で待機していた護衛も目に入らず、私は一心不乱で廊下を駆けた。


 ――何で、何でこんなことに。何がいけなかったの。


 わからない。でもとにかく私が彼を怒らせたことだけは理解できて、身体が震えた。怖い。謝ることがそんなにいけないことだったの?


 ――クレア。クレアはどうしよう。


 ふと頭に浮かんだのはそんなことだった。クレアの背を押すためと決意してここまで来たのに、余計に確執を生む結果になってしまった。私が浅慮だった。


「お嬢様……?」


 飛び出すように玄関に出ると護衛のうちの1人が遠慮がちにそう声をかけてくれた。


 大丈夫だと言おうとしたものの、うまく舌が動かない。


「……すみません。その、帰ります」


 私がそうひとつ頷くと、護衛はホッとしたように息を吐く。


 あれだけ怒らせてしまったのだ。きっともう、レイマン様と和解することはできない。会うことさえ叶わないだろう。


 そもそも最初から和解なんてできなかったのだ。私だけでも清算できたらと思っていたけれど、そんな甘い話は通用しない。


 先ほどぽそりと呟いた殿下の顔を思い浮かべ、奥歯を噛んだ。


 失敗だった。謝罪行脚の初めに彼と話すことができたらと考えていたのも、きっと彼の言うように自己満足だったのだ。


 ……一体、どこから間違えていたのだろう。


 開いた口から溜息が漏れ出る。


 飛び出してきた室内、未だに怒りが収まらないらしいレイマン様が「クレアを呼べ」としきりに叫んでいることも知らず、私は重たい気持ちのままスティード邸を後にした。

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