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25 謝りたいのです

 シャルナとの一件から更に1ヶ月が経つと、あれだけひいひい言っていた早起きやストレッチにも余裕が出てきた。


 姿見越しの自分も目に見えてほっそりしてきたし、運動の甲斐あってか体力のつき具合も上々。


 1番の課題だったコミュ力こそ完璧とは言えないものの、たまにパーティーで見かけるシャルナ相手につっかえず話すことができるくらいには成長したつもりだ。


 この美容及び社交地獄においてのゴールは、自分に自信をつけることである。


 ……じゃあこの3ヶ月と少しで自信が持てたのかと言えば定かじゃないけれど、成功体験を得られたのは大きい。私が思うほど、私は無能じゃなかった。


 と、なると。

 そろそろ、次のステップに進んでも良い頃なのではなかろうか。


「……あの、お嬢様?」

「へっ」


 色々と考え込んでいたからだろう、ふと気付くと、ドレスを脱がせてくれていたリズが怪訝そうな表情でこちらを覗き込んでいた。


 ……いかんいかん、だめだ。重なるパーティー疲れのせいか、近頃は頭がぼーっとしている。


 ステイシーにも適度に休めとは言われてるけど、成果が出てきた分追い込みをかけちゃうんだよなあ。バランスが難しい。


「大丈夫ですか? 今ほぼ寝てましたけど」

「えっ、ほんとに? ……おかしいな、ちゃんと寝てるはずなんだけど」

「疲れてるんですよ。今日は早くお休みになってください」


 大人しくベッドに腰掛けつつ、私はひとつ瞬きをした。


 シャルナとの一件があってから、ずっと考えていたことがある。足踏みばかりしていてはだめだ。


 己を磨き、会話術を会得しても、問題は解決していない。過去が消えるわけじゃないし、私は依然『魔性の伯爵令嬢』だ。殿下に罪の告白はしなくちゃならない。


「……ねえ、リズ」


 枕に頭を乗せると、感じていなかったはずの眠気が一気に襲ってきた。


 ここまで時間をかけたんだ。

 そろそろ踏ん張りどきだろう。



「…………私ね、お父様とお母様に謝ろうと思う」



 リズが一瞬目を見開いた、ように見えた。


 お父様と、お母様。ここまで私を育ててきてくれた両親も、殿下と同じように私の過去を知らない。娘が『魔性の伯爵令嬢』だなんて、夢にも思っていない。


 それじゃダメだ、と思う。謝っても罪が消えるわけじゃないけれど、それでも。


 リズはそっとしゃがみ込み、寝台の上の私と目線を合わせた。


 綺麗な瞳だ。この目に、何度助けられてきたことか。


「……そうですか。お決めになられましたか」

「うん」

「よろしいと思いますよ。ひとつ乗り越えなくてはならない壁ですから」

「ふふ、ありがとう。勘当されたらって思うと不安だけど」

「その時はうちで侍女として雇ってさしあげましょう」


 微笑んだリズに笑い返す。程なくして灯りが消え、私は目を閉じた。


 斜陽ぎみの貴族とはいえ、忙しい両親だ。ゆっくり時間が取れるのは明日の朝くらいなものだろう。


 朝食の後に話を切り出して、精一杯謝ってみる。勘当されたら、……その時はその時だ。


 踏み出さなきゃ殿下との話も始まらない。明日に備え、私は眠りに意識を落とした。


 私の頭に巣食うステイシーは、特に何を言うわけでもなかった。



 ◇◇◇



 翌朝。いつも通りはやくに起床し、ストレッチと液漬けを終えた私は、リズに連れられ食卓へと向かった。


 両親は楽しく話に興じている。私はといえば朝食がいつも以上に喉を通らず、30分が経過してもスープを口に入れるのがやっとだった。


 ――「肝心なとこで怖気付いてんじゃないわよ」


 お小言の頻度も減っていたはずのステイシーにも呆れられる始末である。いやわかってはいるんだけどさ……。


「……あら? ステイシー、今日はいつにも増して少食ね。気分でも悪いの?」


 うだうだしていたからか、お母様に余計な心配をかけてしまった。慌てて首を振る。


 ……いや、決めたことだ。リズもどこか不安げだし、引き延ばすよりさっさと終えてしまわねば。


「いや、あの、……違うんです。大丈夫」

「そうかい? 気に入らないなら別のものを作らせても良いんだよ」

「いえ、本当に大丈夫です。……実は私、ちょっと2人に話さなきゃならないことがあって」


 そう言うと、2人は食べ進める手を止め、顔を見合わせた。


 表情には困惑が見て取れる。当たり前だ、今までこう改まって話をすることなんてなかったしね。


 顔を突き合わせた両親には少しだけ喜びの色が滲んでいて、何だか申し訳なくなった。


 2人はこの3ヶ月の間やたら殿下のことを気にしていたし、やっと進展がと期待しているのだろう。


 きゅっと拳を握る。

 ここまで言ったんだ、もう後戻りはできまい。


 短く、息を吸った。



「――……私、謝らなきゃいけないことがあります」



 それもひとつやふたつじゃない。たくさんある。


「お父様にもお母様にも嘘ついていました。それもひと月とかの話じゃなくて、ずっと」


 シンと静まり返る食卓で、皮肉なほど明るい朝の日差しを浴びながら、ぽつぽつと語る。


 複数の殿方と関係を持っていたこと。

 婚約者がいると嘘をつき、責任から逃げ回っていたこと。

 殿下との出会いもそうだったこと。

 反省し、何もかもを断ち切ったこと。


 ――気付けば殿下を好きになっていたこと。


 言いたいことをまとめるのは得意じゃない。散々寄り道をして、時間を使って、やっと全てを伝え終えた頃には、机の上の料理は冷めてしまっていた。


 お父様もお母様も、私の話に口を出そうとはしなかった。代わりに雄弁だったのが表情だ。


 お母様は口をぽかんと開き、お父様は固めてしまったかのように表情筋を動かさない。


 視線から逃れることもできず、下唇を噛む。


 リズがスカートを握り込むのが視界に入ったと同時、口を開いたのはお父様だった。



「……イヴァン様は、それをご存知なのか」



 イヴァン様。殿下。3ヶ月もの間会っていなくとも、顔や声を鮮明に思い出せる人。


 質問には首を振った。殿下は知らない。知らないからこそ恐ろしいのだ。


 場を支配したのは重い沈黙だった。

 お父様は口を噤み、お母様はそんなお父様と私を交互に見ておろおろとしている。


 じんわりと首を絞めていくような感覚に心臓が鳴る。怒鳴ってくれた方がマシだとはよく聞くけれど、まさにそんな思いが脳を巡って。


 お父様が、深く息を吐いた。


「…………本当に、反省しているのか?」


 頷く。もちろんだ。前世を思い出す前の自分とはいえ、反省も後悔もしている。


「そうか。……だったら、父様たちはおまえを許さなくちゃならないね」

「……え」


 思わず、喉の奥から短く声が漏れ出た。


 ――許す、って、そんな。


 そんな簡単で良いのか。だって、私が犯したのは取り返しの付かないタブーなはずで。


 もう今後一切お嫁にだっていけなくなるかもしれない。なのに、そう当たり前のように「許す」だなんて変だ。


 不安で視線が揺れる私に、お父様は依然として厳しい表情で続けた。


「子が自身の行いを反省しているなら、それを許すのが親の役目だよ」

「……」

「突き放すのは容易いけれど、子供を見守れるのは親だけなんだ。おまえを許して、受け入れた上で叱らなくちゃならない」


 一瞬の沈黙。言葉は続く。


「……でも、それ相応の態度が見られないなら咎めなければならないよ。おまえはこれからの行いを正す必要があるね」


 また頷いた。当たり前だ。未婚の女性が考え無しに体を許すなんて、本来あってはならない。


 明確な処罰は存在しないマナーと言えど、人の上に立つ貴族には相応の責任がある。ルールに書いていないから、で済ませられはしないのだ。


 お父様の瞳の奥には、厳しさに混じった優しさが浮かび上がって見える。


 お母様はきゅっと顔を引き締めた。親の、母の顔だ。


「……わ、たし、その、謝ります」

「謝る?」

「はい。嘘をついた殿方と、迷惑をかけてしまった人と、……あと、あの、イヴァン様、に。謝ります。精一杯」


 喉に何かがつっかえている。スープかただの気のせいか、とにかく辿々しく話すと、お母様はそっと目元を覆った。胸が痛む。


 できることと言ったらそれくらいだった。『魔性の伯爵令嬢』の謝罪に価値があるかどうかはわからないけれど、それでも前を向くしかない。


「……そうか、そうしなさい」

「はい」

「おまえがやったことの重みを実感しなさい。父様たちが見守っているから」


 お父様が静かに、呟くようにして言う。

 視界の隅のリズは、未だスカートを掴む手の力を緩めていない。


「お父様も、お母様も、迷惑をかけてごめんなさい」


 頭を下げたと同時、お母様が静かに鼻を啜る音が聞こえた。自分のしたことには責任を取らなくちゃならないと、そう痛感する。


 明日からでも謝罪に向かわなくては。きゅっと拳を握りつつ、私はそれから10数秒、頭を下げ続けた。

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