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◇22 侍女のコミュニケーションレッスン

 ユリウスはカップの中の紅茶を飲み干すと、いつも通りの食えない笑みで淡々と話し始めた。


「この間、スティード家の長男が婚約しただろ?」

「はあ。ルーカス様ですか」

「そうそう。ちょうど公務があったからパーティーには行けなかったんだけど、この間ルーカスに会ったら興味深いことを聞いたんだ」


 そんな彼に対し、リズは紅茶を淹れ直しつつ短く相槌を打った。久々に聞く彼の軽快な語り口は、やはり少し癇に障る。


「ルーカスには弟がいるでしょ? レイマンっての」

「ああ、はい」

「そいつがさ、クレセントのお茶会からステイシーに随分ご執心らしいよ。名前を出すと過剰に反応するって」

「……お嬢様に?」


 思わぬところで飛び出てきた主の名前にリズはそっと眉を寄せ、ティーポットをトレイの上に置いた。


 レイマン・スティード――というと、リズには大した印象がない。


 スティード侯爵家で目立って名前を聞くのは優秀と名高い長男のルーカスであったし、そもそも主人であるステイシーと関わる機会も少なかったはずだ。


 それこそ直近だと例のクレセントのお茶会か、ルーカスの婚約発表パーティーくらいのものだろう。


「ま、最近は別の庶民の子と仲良くしてるらしいけどね。お宅のお嬢様も、イヴァンとくっつく気なら身辺整理しとかなきゃいけないんじゃない?」

「……」

「何せ『魔性の伯爵令嬢』なわけだし。母上の目は誤魔化せないよ」


 そう口にし、また笑う。

 手を止めていたリズは、数秒ほど考えを巡らせた。


 ステイシー・リナダリアは、その性格が故、今までトラブルが絶えなかった。


 リズは、ステイシーがうんざりした様子で「面倒な男はこれだから」と言う度に自業自得だろうと思っていたし、後処理に追われる自分を憂いたものだが、それも最近では劇的に減っている。


 彼女はまるで心を入れ替えたように人が変わった。


 口に出すことこそしないが、これでもリズは驚いているのだ。何があったのかは知れないが、主人が反省し、変わろうとしているのが理解できるから。


 レイマンと何があってこうなったかはリズの知るところではないが――まあ、とりあえず。


「……私、5年以上も前から思っていたのですが」

「ん?」


 リズはひとつ息を吐き、トレイを手に取った。


 首を傾げるユリウスに向かってそれを振り上げると、ぽかんと口を開けてこちらを見る彼に向かって、そっと微笑み。



「ユリウス様の他人を試すような野次馬癖、そろそろ治された方が良いですよ」



 ――パシン。


 ひどく間抜けな、乾いた音が鳴る。


 たった今第一王子の頭を叩いたトレイを机に置くと、リズはざわつくだけの従者たちを一瞥した。何をしにきたんだ、彼らは。


「今だってレイマン様の話をするだけで良かったのに、あなたは遠回しに嫌味を言わないと死んでしまうんですか? きっと良い子の第一王子で在るためにストレスがお溜まりなんですね」


 ユリウスは秀才だ。勉学に励みつつ数々の稽古をこなし、加えて他者との交流まで難なく行う、文句なしの次期王位。


 けれども彼は、時折こうしてチクリと人を刺す癖がある。


 苦言とも取れぬ範囲で、ただ確かに敵意を向けるような、絶妙な加減で物を言うのだ。リズは、元よりそれに腹が立って仕方がなかった。


「ユーリ、あなたが心配せずとも、お嬢様の問題はお嬢様自身が1番わかっておられます。努力せんとする人を煽るくらいならせめて私と一緒に見守りなさい」


 第一王子に対して失礼な物言いだったかという、貴族なら真っ先に行き当たりそうな心配はリズの中にない。


 ユリウスがそんな小さなことで怒るくらいなら、自分は5年以上も前にとっくに投獄されている。


 予想通り、ユリウスは暫し呆けた様子でこちらを見つめると、突然小さく吹き出した。何が面白かったのだか、リズにはまるでわからないが。


「俺生きてきて誰かに叩かれたの初めてかも。リーゼロッテにバージンあげちゃった」

「はあ。いらねえ処女ですね」

「あは、そんな冷たいこと言わないでよ」


 ひとしきり笑い合えると、ユリウスは再度ティーカップを手に取った。


 何を語るわけでも謝るでもないが、きっとリズの伝えたいことは理解しているだろう。リズ自身は認めたくないが、ユリウスはこと対人関係においては本当に優秀なのだから。


 と、リズが一息ついたその時だ。

 突然扉が開いたと思ったら、間を空けずこう声が掛かった。


「兄上、そろそろ戻ろう」


 パッと目をやると、そこにはユリウスとはあまり似ていない弟――イヴァンが立っている。


 リズは壁掛けの時計に目をやった。彼がステイシーの手を引いて去ってから、まだ20分も経過していない。


 そう考えたのはユリウスも同じだったらしい。


「そろそろって……、まだこんな時間じゃん。もう帰んの?」

「ああ」

「いや、『ああ』じゃなくてさ。そもそも彼女は? 連れてきてないの?」


 確かに、イヴァンの側にステイシーの姿はない。……というか、手紙の文面から伝わるほど見舞いを楽しみにしていたはずの彼が、こうも早く撤収してくるとは一体何事か。


 イヴァンは一瞬押し黙り、溜息を吐く。


 そして、あからさまに落ち込んだ様子で肩を落としつつ、こう言ったのだ。



「兄上」

「え、何?」


「…………お、……俺は、嫌われたのか?」



 辿々しく紡がれた言葉に、リズとユリウスは思わず顔を見合わせる。


 それからたっぷり5秒。ユリウスから発せられた「は?」の一音に、リズは全てが詰まっているような気がしてならなかった。



 ◇◇◇



「……で、何? 『気分が悪いから1人にして』って部屋追い出されて、嫌われたのかも〜って肩落としながらここまで来たわけ?」


 ぼそぼそとした声での説明を簡単に要約すると、イヴァンの言い分はこうだった。


 リズはと言えばその話の途中からオチを察して辟易していたわけだが、何がご不満なのか、文句を付けたのはそのイヴァンである。


「違え。ステイシーは別に追い出そうとはしてなかったし、そんな冷たい口調でもねえ。あいつはもっと可愛い言い方だった」


 匙加減じゃん。とは口が裂けても言えず。


「は? 俺もそこそこ可愛いでしょ。ふざけてんの?」

「あなたまでそっちに回らないでください」

「そうだ。ステイシーの方が可愛い」

「何が『そうだ』なんですか……」


 もうリズの手には負えない。思わず突っ込みを入れ、頭を抱えた。そもそも、気分が悪いと言われたイコール嫌われたの解釈が短絡的すぎる。


 イヴァンのこの口ぶりからして、ステイシーは結局過去の行いを言うことができなかったのだろう。


 日和ったか懸念点があったのかはリズの知るところではないが、これは2人の帰宅後に話さねばなるまい。また心労が増えた。


「……とにかく、イヴァン様は思考が極端すぎます。病み上がりの人間の気分が悪くなっただけで何故嫌われたと思うんですか。お嬢様がそう仰ったんですか?」


 しかもユリウスは弟と可愛い可愛くないの論争を繰り広げている始末。


 なるほどこの場は自分が仕切らなければならないのだと察したリズは、手をひとつ叩いて2人を鎮めた。厄介な長女気質だ。


「それは、その、……別に直接言われたわけじゃねえ。けど、前から嫌われてんじゃねえかとは思ってたんだ」

「というと?」

「ステイシーは、控えめな方だろ。……俺も口下手だし、一緒にいても楽しくねえかな、って」


 ――あの『魔性の伯爵令嬢』が控えめ……?


 飛び出た言葉に耳を疑い、リズは再度ユリウスと顔を見合わせた。あれが控えめとは。


「話が弾まないんだ。だから口数も減るし、……俺は、ステイシーの趣味も知らねえ。……向こうもそうだ。もっと知りたいし、知ってもらいたい、けど」


 そう言うと、イヴァンは顔を俯かせた。……なるほど、これは重症だ。


「じゃあ話せば良いのに。何が難しいの?」

「……あなたと一緒にするのは酷ですよ。世は初対面の人間と難なく話せる人ばかりじゃないんです」


 あっけらかんと言い放ったユリウスにそう一言付けておいたが、いまいちピンと来ていないらしい。そりゃあ、彼とはステージが違う。


「まあでも、結局は練習じゃないでしょうか。お嬢様がイヴァン様との交流を億劫に思っているようには見えませんけど、不安なら木なんかを話し相手にして技を磨けば良いのでは?」


 仕方がない、こういう時はそれらしいアドバイスだ。


 リズがイヴァンの分の紅茶を淹れながら口を走らせると、イヴァンはさっと目を輝かせた。


「木を、話し相手に……?」

「はい。木に慣れたら人形、人形に慣れたら鏡、鏡に慣れたら人間です。もうその頃にはお兄様のように」

「あ、兄上のように……?!」

「ちょっとリーゼロッテ、あんま弟に変なこと言わないでよ。こいつ全部真に受けちゃうんだから」


 今度はユリウスに白い目を向けられた。……さっさと納得させてお帰り願おうというリズの作戦は筒抜けだったようだ。


 こほん、と咳払いをひとつ挟む。


「いえ。木は流石に冗談ですが、でも解決策は練習しかないかと」

「練習? ……人間相手に、か?」

「はい。お兄様が相手なら気も抜けるでしょうけど、せめて私相手に話せたら上出来です」


 そう言って、リズはイヴァンに向き直った。このまま妙な誤解を残すのも侍女として後味が悪いし、乗りかかった船だ。矯正の手伝いくらいはしなければなるまい。


「そうですね。……時にイヴァン様、何か好きな物はありますか? 趣味とか」

「ステイシーだ」


 物だと言っておろうが。


「あの、人ではなく物です。好きな物。何かありませんか?」


 問い直すと、イヴァンはハッとした様子で訂正した。


「あ、ああ、……わりい、好きという単語だけでつい」

「はあ。……それで、イヴァン様は何が好きでおられるんです?」

「そう、だな。物と言うと、……ステイシーに貰った万年筆、だろうか」

「……」

「立派な『物』だろ。万年筆。だめか?」


 ――それは万年筆が好きなんじゃなくて、ステイシーがくれたものだから好きなだけだろう……。


 当時の喜びを思い出したのか、僅かに口元を綻ばせるイヴァンを見て、リズはユリウスに目をやった。さっと逸らされる。責任から逃れるな。


「いえ、素敵かと。……でもですね、こういった際には付加価値なしで好きなものを挙げるのがベターなんです」

「付加価値?」

「はい。ですから、一旦この場では『ステイシー』という単語を禁止にしましょう。それを踏まえてお好きな物はありますか?」

「ああ。……じゃあ、愛らしくて控えめな想い人から貰った万年筆が――」

「……」


 ……もうこれはダメだ。もはや彼は、リズがどうこうできる範囲にない。


 リズはこめかみの辺りを揉み込みながら、色々な感情を込めた溜息を吐く。そして、始まってしまったイヴァンの1人舞台にそっと耳を傾けるのだった。

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