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21/46

21 気付いて、しまいました

「あ、あの、殿下」

「なんだ」


「これはその、ちょっと、第二王子を前にする姿勢として正しくないのでは……?」


 現在地は自室のベッドの上。


 布団に押し込まれ枕に頭を乗っけた私は、傍のカウチソファに腰掛ける殿下にそう進言した。


 一介の伯爵令嬢がベッドに入ったまま王子を出迎えるなんて、そんな失礼な話聞いたことがない。


「何言ってんだ。病み上がりで動き回ってる方が不敬だろ」

「や、病み上がりと言ってもですね、もう熱もないですし……」

「そういった慢心が風邪を呼ぶんだ。違うか?」


 ――いや、違いはしませんけど……。


 でも今日はぴかぴかにした応接間でしっかり腰を据えて話す予定だったわけで、この格好じゃ決められるものも決められない。何だこの赤ずきんみたいな構図は。


「あ、も、もしかして、令嬢の私室にずかずかと入り込むのは失礼だったか……?」

「えっ、あっいや別に! そういうことじゃなくって」

「すまない、じろじろ見る気はないんだが……目隠しとかした方が良いだろうか」

「おおおお心遣いありがとうございます! でも結構です!」


 ポケットからハンカチを取り出した殿下を慌てて止める。……もうこれは諦めるほかなさそうだ。


 手を引く殿下に自室へと放り込まれ、もう10分が経つ。


 殿下の指示で呼び出された使用人たちに手伝われながらドレスを脱ぎ、髪を結び直し、ベッドに入れられた頃には、もう頭の中のカンペは爆発四散していた。


 3日かけて言いたいことを丁寧に推敲したのに、最早何も思い出すことができない。が、頑張ったんだけどな……。


「……大丈夫か? まだ頭が痛んだりは」


 殿下は心配そうにこちらを見ている。どう見てもピンピンしていたろうに、もしや心配性なのだろうか。


「大丈夫ですよ。そもそもただの風邪ですから」

「本当か? ……俺の前だからと無理していたり」

「ふふ、しませんよ。本当に大丈夫です」


 笑うと、殿下の顔も少し和らいだようだった。いつも無表情だからわかりにくいが、なるほどこうしたら確かに少しユリウス様に似ている。さすが兄弟だ。


 ……そういえば、ユリウス様はどうしているんだろう。リズが突然蹴り上げた時には本当に驚いたけど。



「……ステイシー、聞いても良いか」



 窓から見える玄関口に人の姿はない。ということは応接間に――と、そう考えたところで、殿下の表情がまた固くなった。


 何事だろう。頷くと、殿下は躊躇ったように口を開き。


「あの日、何で裏口から外に出ようとしたんだ? ……髪も乱れていただろう」


 あの日。……間違いなく、スティード侯爵家の婚約発表パーティーがあった日を指しているのだろう。


 口籠る私に、殿下が続ける。


「責めてるわけじゃない、とは言えねえ。……レイマンから話を聞いて本当に焦ったし、心配したんだ」

「……」

「もう二度とあんな真似しないでくれ。……俺のいないところで無理されたら助けにも行けねえし」


 あの日のことは、完全に私の独断だ。


 クレアを嘲る令嬢を見返してやりたくて、それで化粧にドレスまで貸して、家のために裏口を使って、それで迷った。


 後悔はしていないけれど、ただ殿下に迷惑をかけたのは事実だ。


 だから彼に謝りたくて、ベッドから上半身を起こすと、私はそっと頭を下げた。「ごめんなさい」と一言付きで。


「その、……あの日の雨で、ドレスを汚してしまった子がいたんです。それで、ルーカス様への挨拶も終わっていたし、私のを貸してあげようと思って」


 口に出すと変な話だった。貴族令嬢にとって、ドレスは生命線も同義だろうに。


「で、でも、髪が乱れていてみっともなかったので、あの……裏口から出ようと思ったんです。表から出たら、家の迷惑になりそうで……」


 短く説明を終え、もう一度「ごめんなさい」と謝る。思えば、殿下には謝ることばかりだった。


 婚約者がいると嘘をついたことも、雨の中独断で外に出たことも、……『魔性の伯爵令嬢』の件をずっと黙っていたことも。


「あ、で、でもっ、ドレスを汚した子は悪くないんです。彼女も恐縮してたのに、私が勝手に張り切っちゃっただけで、あの」


 散々な女と呆れられても仕方がない。社交界のタブーをこれでもかと踏み荒らす女にはもう付き合っていられないと見限られて、それで、「好きだと言ったのは気の迷いだった」と、そう。


 …………そう言われても仕方がない、けど。


 何故か胸が痛んで、服の胸元を掴んだ。


 仕方がない。それだけのことをしているんだし、そもそも最初は殿下の興味が薄れることを期待していたはずだ。私は悪役令嬢なのだから、きっとこれで良い。


 これで良い、んだけど。

 そう自分に言い聞かせる度に、何故か胸が痛んで。


 ――……あ、あれ……?


「……ステイシー?」


 名を呼ばれ、ばくんと心臓が跳ねた。


 殿下はやはり心配そうな表情を浮かべている。藍色の瞳に見つめられ、感じる胸の痛みが激しさを増した。


 胸元を掴む手に力を込める。おかしい。

 何なんだ。私はどれだけ卑しいのだろう。


 この期に及んで、まだ殿下に失望されたくないなどと。


「あ……」


 3日前、リズに背中を押してもらったあの時を思い出す。


 言わなきゃいけない。

 私は『魔性の伯爵令嬢』で、とんでもない女なのだと。


 でもうまく口に出せない。今じゃもう、泣けてしまうくらい優しい彼に、嫌われたくない気持ちがいっぱいでいっぱいだった。



「な、……何でも、ないです。すみません。……まだ気分が悪いのかも、しれません」



 ぼそりと、呟くように言って俯いた。


 顔を見せることができなかった。恥ずかしさとか、申し訳なさとか情けなさとか、感情がいっぱいで。


 気付いた。

 結んだ勇気が粉々になって初めて、ずっと前から抱いていた気持ちに納得がいった。



 ――私はきっと、殿下のことが好きなんだ。



 だからこそ失望されたくないし、嫌われたくない。


 『私は魔性の伯爵令嬢です』なんて、言えるはずがなかったのだ。



 ◇◇◇



「――いやあ、まさかこんなところでリーゼロッテに会えるとは。神様も頑張るよねえ」

「……」

「姿見せなくなったからてっきり嫁いだんだとばかり思ってたけど、行儀見習いに出てたなんて知らなかったよ。なんで教えてくれなかったの?」

「知らせる義理がないからです」

「薄情だなあ。俺たち友達じゃん」

「……一介の侍女と王子が友人なわけがないでしょう」


 ――誤算だった。まさかこいつが引っ付いてこようとは。


 イヴァンがステイシーと共に消えてから少し。


 ユリウスを客間に通したリズは、大きな溜息を吐いていた。リナダリア伯とその妻は、ユリウスの「積もる話があるから」の言葉と共に退室させられている。


 ユリウスとリズは、幼い頃に数度顔を合わせたことがある知り合いだ。


 ……がしかし、リズは彼に対して良い思い出がない。


 少なくとも、王族であることを分かりながら出会い頭に足を掠めるほどには苦手な相手だった。


「……そもそも、何故いらっしゃったんですか。第一王子がほいほいと城を抜け出して良いものではないでしょう。しかも従者もこんな最低限の人数で」


 客間の扉前に控える数人の従者に目をやると、どうやらさっきのエアキックで警戒されているらしい。


 あからさまに鋭い視線を向けられ、リズはうへえと思いながらも紅茶を淹れ直した。一体何なんだ。


「何でって……、そりゃ来たかったからでしょ。想い人の前でしどろもどろになる弟が見たくてさあ」

「はあ」

「それに城からも近いしね。イヴァンが早く行きたいってうるさかったし、人数も絞れるだけ絞って来たんだ」


 明るく語るユリウスに、また溜息を吐きたくなる。リズが主人を蹴り上げかけた時点で取り押さえもしない従者を数人って、それはもういないも同然ではないだろうか。


「ま、結局イヴァンはあの子連れてどっか行っちゃったんだけどね。早すぎて追う気にもなんなかったよ」


 「お前には会えたけど」。にっこり笑顔で付け足された彼の言葉に、リズはこめかみを揉む。


 リズとユリウスが出会ったのは、物心がやっとつき始めた5歳の頃だった。


 忘れもしない聖夜のあの日。とあるパーティー会場ではしゃいでいたリズは親元を離れてバルコニーに走り、そこで見かけた当時ボブカットで女顔のユリウスに、嬉々としてこう言った。


 ――「可愛いお嬢様ね! 私リーゼロッテ。あなたは?」


 その頃のリズには、服装で性別を見分けるという機能が備わっていなかった。


 ドレスを着ていれば流石に女の子だとわかるものの、可愛ければ女の子、かっこよければ男の子という価値観が強かったのだ。


 ユリウスはもちろんぽかんとした。それだけならまだ良かったが、問題なのはここからだ。


 程なくして勘違いに気付いたユリウスは、それを訂正するでもなく、あろうことか面白がったのである。


 ――「わたしユーリ。伯爵家の娘なの。よろしくね、リーゼロッテ!」


 あの日が記憶を過ぎる度、リズは思う。この第一王子は、あの頃から善人の仮面を被るのが上手かったのだと。


 バルコニーで散々おしゃべりを楽しんだユリウス改めユーリとリズは、その後パーティーで出くわす度にたくさん遊んだ。


 それから年を重ね、お互いに10歳になった頃である。服装に関しての知識もついてきたリズは、いつだってパンツスタイルのユーリにこう尋ねた。


 ――「ユーリはドレスとか着ないの? 可愛いんだし、絶対似合うと思うよ」


 するとユーリは一瞬訝しげに首を傾げた後、ああと思い出すように言ってのけたのである。


 ――「あれ、言ってなかったっけ? 俺普通に男だよ。一人称も社交場以外では『俺』だし」


 世界がひっくり返ったかと思った。


 リズはサラッとネタバラシをされるその時まで、本当にユーリ、もといユリウスを女だと思い込んでいたのだ。


 愕然としたリズは、「えっ、ほんとに信じてたの?」と笑い転げるユリウスの言葉が信じられず、1人呆然とした。


 それからが地獄だった。面白がったユリウスに事あるごとに絡まれ、ついでとばかりに第一王子だとバラされ腰を抜かし、からかわれ――いつしかそれがうざったくなり、ムキになって応戦していると更にからかわれた。


 そうまでして馬鹿にされると、元より気の強いリズは腹が立ってくる。


 怒鳴り、受け流され、また怒鳴るといったやり取りが何年続いただろうか。


 リズに行儀見習いの話が舞い込んできたのは、そんなある日のことだった。……それが、まさかここで因縁の相手と再会することになろうとは。


 しかもまあ立派にご成長なされている。素晴らしくお可愛い性格だ。可愛すぎて一発殴っちゃいたいくらいである。


「……とにかく、落ち着いたら早くお帰りになってください。暗くなったらいよいよ帰路が危険ですし」

「え、なに、お前心配してんの? 柄じゃないね」

「一般論ですが」


 言い切ったリズが少々乱雑にカップを置くと、ユリウスはからからと笑う。


「まあまあ、ちょっとくらい許してよ。別に俺もただ暇潰しに来たわけじゃないんだからさ」


 ……似たようなもんだろう。そう思いながらも、リズは結局「はあ」と言うことしかできなかった。

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