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19 気圧されてしまいました

「――で、お見舞いってどういうことなの、リズ!」


 食事もそこそこにとっ捕まえたリズを自室に押し込む頃には、もう夜も更け外が暗くなっていた。


 あちこち動き回ったせいでお腹は空いてきているものの、もうどうしようもない。兎にも角にもリズをそう問い詰めると、彼女はそろっと目を泳がせながらやっとこさ事情を話してくれた。


「あー、あの……、手紙が届いたんです。お嬢様が倒れた日に」

「手紙?」

「はい。『風邪を引いていないか』と、お嬢様を気遣う内容で」

「……誰から?」

「…………イヴァン様から」


 いよいよ目を逸らしたリズに愕然とする。そ、そんなこと聞いてない……!


「お、お伝えしようかと思ったんですけど、お嬢様の体調も芳しくなかったでしょう。……それに王城へのお返事を遅らせるのも無礼ですし、リナダリア家名義でお返事を出したのです。『風邪を引かれています』と」


 辿々しく語るリズの判断は間違ってはいない。確かに、仮に殿下からの手紙を知らされていたとしても同じようなことを命じただろう。


「そしたら、その……お見舞いに行きたいと言われまして」

「い、良いって言ったの……?」

「いやいやいや、無理だって言いましたよ! 流石に面会できる体調じゃありませんでしたし」


 リズはぶんぶんと首を振った。


「じゃあ何でこんなことになってるの」

「それは、その、色々ありまして。……ど、どうしてもだめかと聞かれたんです」

「……」

「それで、ええと……、良くなったらいいかもしれませんよって、送って」

「……」

「うやむやにしたらイヴァン様も忘れるだろうと思ってたんですけど、……気付いたら今日、『いつになったら見舞いに行けるんだと、催促の手紙が来ておりました」


 ――な、何ということなの……。


 大きく大きく溜息を吐き、両手で顔を覆う。別にリズに怒っているわけではない。むしろ、無断とはいえ手紙の返事をしてくれたことはありがたいくらいだ。


 懸念点はひとつである。


「…………き、気まずい……」


 そう、気まずい。殿下と会うのがこの上なく気まずいのだ。


 私と殿下がまともに会話をしたのは、婚約者の嘘を明かしたあの日が最後だ。スティード家で会った時は状況が状況だったし、それに会話らしい会話もしていない。


 で、王城に呼ばれた日、殿下に何を言われたかと言えば、二度目の求婚で。


 あの時、殿下は「今すぐには答えなくて良い」と言った。


 ……つまり、裏を返せばいつかは返事をしてくれということだ。結婚するのかしないのか、遅かれ早かれ答えを出さなくてはならない。


 殿下も早急に返事がほしいとは言わないだろうが、腰を据えて話すとなると嫌でも意識してしまうのが人間である。しかも家って。


「……イヴァン様と何かおありになられたんですか?」


 そんな私の葛藤を察したのか、リズがおずおずと尋ねてくる。


 一瞬口にするのを躊躇ったものの、リズには一度目の求婚のことを洗いざらい話している。私は椅子に腰を下ろすと、王城でのことを語り始めた。


「その、王城に行った日ね。……婚約者についての嘘を全部話したの。それはリズにも言ったでしょ?」

「はい。承知していますが」

「あの日ね、殿下にもう一度……き、求婚をされたの。改めて」


 言葉にすると尚のこと恥ずかしい話題だ。

 リズは目をまん丸に見開いている。


「……返事は今度で良いって言われた、けど、……い、意識するものはしちゃうでしょ?」

「……」

「でもそっか、お見舞いかあ……。今からお断りなんてできないよね、お父様とお母様もあんな反応だったし……」


 また溜息を吐く。今逃げていてもいずれ殿下とはエンカウントするんだし、引き伸ばせば引き伸ばすほど気まずくなるのはわかっているものの、どうも気が進まない。やっぱ無理ですとか言えないし……。


 そう私があれやこれやと考えていると、リズがぽかんと口を開いたままこう訪ねてきた。


「意識、しちゃうんですか?」

「……へ?」

「意識ですよ。嘘を告白したあと二度目の求婚までされて、それで意識しちゃったんですか?」


 次は私がぽかんと口を開ける番だった。何でそんなことを聞くのだろう。


 とりあえず頷いておく。そりゃそうだ。叱られるまでならまだマシ、怒りで厳罰を喰らうことまで覚悟していたのに、まさか求婚されるなんて思ってもみなかったし。



「――それ、もうイヴァン様のこと好きになってるんじゃないですか?」

「ぶっ」



 口から空気が飛び出した。


「いッ、いやいやいや! なんでそういう話になるの!」

「だってそうとしか聞こえないじゃないですか。今まで誰に求婚されても嘘で突っぱねてきたお嬢様がそんなに悩むなんて」

「それはそうだけど……!」


 そもそも他の人にもいけしゃあしゃあと嘘をついていたのは私じゃなくて魔性の方のステイシーなんですよ、とは言えるはずもなく。


「そ、そういうのじゃないの。ただあそこまで言われると戸惑うっていうか、どうしたらいいのかわからないっていうか……」

「で、それで会うのが気まずいと?」

「う、うん。……それに殿下、あの、私が社交界でどう言われてるか、みたいなことも知らないみたい、だし……」


 『魔性の伯爵令嬢』。

 社交界のことに目敏くアンテナを立てている貴族たちであれば、この名前を知る者は多い。


 でもだ。殿下はそれを知らない。


 未婚の令嬢が他者と関係を持つという、犯してはならないタブーを堂々と踏み荒らす女だとは知らずに求婚をしているのだ。


 殿下に対する気まずさはこの爆弾を黙っているという罪悪感もあるだろう。しかも私は、一度婚約者がいるという嘘まで吐いてそれを許してもらっている。


「……わ、私みたいに傷物の女が殿下の時間を奪うのも申し訳無いし、そろそろ男遊びについても話さなきゃとは思ってる」


 あれだけ優しい殿下でも、きっと二度目はないだろう。

 仏の顔も三度までなんて迷信だ。二度あることは三度あるのだから。


「殿下だけじゃない。お父様にもお母様にも話さなくちゃだし、……それに、今まで婚約者がいるって嘘をついてきた人たちにも謝らなくちゃでしょ」


 視線を俯かせた。リズは押し黙ってくれている。


「それを考えると申し訳なくって、……で、でも結婚って言われたらやっぱり意識しちゃうの」

「……」

「殿下が好き、とかはまだわからないけど……、でも、だとしてもやっちゃいけないことをした私が無責任に〝好き〟だなんて言えるはずもないし」


 それに、傷物の女なんて殿下の方から願い下げだろう。


「……色々ごちゃごちゃで、気まずいの。殿下と会ってどんな顔したら良いのかわからない」


 手で視界を覆う。

 真っ暗になった中で浮かぶのは、あの藍色の瞳を僅かに細め、わかりにくくも微笑む殿下の顔だった。


 そのまま数秒、沈黙が流れる。


 口を開いたのは、小さく息を吐いたリズだった。


「だったらそれをイヴァン様に言えばいいんです」


 あっけらかんと言い放った彼女に、思わず顔を上げる。


「あなたを騙していました、でも求婚にはドキドキしました。もしかしたら好きかもしれません――って」

「す……っ! 好きかどうかなんてまだ何も」

「許すか許さないかはイヴァン様が決めることですし、1人で思い悩むよりは事が前に進むかと思いますよ。思い切りの良さがお嬢様の長所じゃないですか」


 それはそう、だけれど。選択肢がひとつしかないとわかっていても、躊躇ってしまうのが私、ひいては人間の面倒なところである。


 優しくて聡明で、誰よりも真面目な殿下を傷付けたくない。王族を怒らせて家に不利益を与えたくない。……嫌われたくない。引き起こしたのは自分なのに、どうしようもなくそう思ってしまう。


 言葉を濁した私の意図を、きっとリズも感じ取ったのだろう。


 彼女は私の頭に手を置くと、まるで妹にそうするかのように、そっと優しく撫でてくれた。


 温かくて柔らかい。

 けれども力強い感触。


「いち侍女としての意見を言うなら、イヴァン様はお嬢様の所業を知ったところで幻滅はしないと思いますよ。怒るないしは引かれるでしょうが」

「や、やっぱり……?」


「でも、彼がお嬢様に真摯に向き合っていることは確かです。毎日あれだけの密度で手紙を送ってくるなんて、常人にはできませんから」


 そう言うと、リズは朗らかに笑った。


「そう早くに覚悟を決めろとは言いません。お見舞いの日、この先どうするかのじっくり考えて腹を括れば良いんです。時間は有限ですが、落ち着いて物事を考えられるくらいにはありますよ」

「……」


 思わず、こくんと一つ頷く。


 このまま悩んでちゃいられない。いつかは知らせないといけないのだから、第三者にバラされるより、私の口から謝罪と共に伝えたい。それが誠意だ。


 きゅっと口を引き結ぶと、リズも一つ頷いた。

 後には引けない。いけないことをしたのは私だ。


 私は静かに覚悟を決めた。


 殿下のお見舞いが3日後に決まったという知らせを受けたのは、その次の日の朝だった。

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