18 あまりにも予想外すぎます
クレアが家を訪問した翌日にもなると、私の容体はだいぶ良い方向へと向かっていた。
熱や頭痛は完全に引いたし、大事をとってあと数日ベッド生活が続く以外は全快と言っていいだろう。リズ曰く、テラスで太陽の光を浴びたのが効いたらしい。
食欲も絶好調で、それを記念してか特に夕食は豪勢だ。リズに連れられダイニングの戸を開けると、ぶわりと美味しそうな匂いが漂ってくる。
机の上には結婚式でもやるのかという量の食事たち。昼食が未だ腹に残っている私が食い切れねえと口角をひくつかせる中、お母様とお父様はにこやかな笑みを浮かべていた。
「見て、スー。あなたのためにちょっと無理を言って作らせたのだけど、どう?美味しそうでしょう?」
嬉しそうなお母様にそう言われると、病み上がりで食べられる量じゃないです……とは言えず。
適当に相槌を打ちながら席に着き、一言二言会話を交わすと、とりあえず目の前にあった冷製スープを飲んだ。美味しい。お腹はいっぱいだけど。
「そうだわ。ねえ旦那様、昨日スーにお見舞いが来たのよ。可愛らしい感じの子だったわあ」
昨日、というとクレアのことを言っているのだろう。お見舞いではなくドレスを返しに来ただけなんだけどね。
「へえ、スーにお見舞いが。どこの家の子だ?」
「貴族の子じゃないみたいよ。でも礼儀正しくってね、持ってきてくれたお菓子も美味しかったわ」
「そうなのか。スーに友達ができたなんて嬉しいなあ」
「ええ。お人形さんみたいな子でね、ドレスを贈ろうか迷っちゃったくらい。ふふっ」
メルヘン趣味のお母様にクレアの愛らしさはドストライクだったようだ。
貴族意識の高いお父様は庶民が云々と言いそうなものだが、これだけ喜んでいるお母様を前にするとそんな言葉も出ないのだろう。嬉しそうに肉を頬張っていた。
つくづく良い両親だ、と思う。
前世を思い出してからは、特に彼らのありがたみを感じることが多い。
ステイシーの両親は、何故この2人から魔性の伯爵令嬢が生まれたのだろうと疑問に思ってしまうほど優しい。
貴族特有の嫌味な態度もないし、お母様なんかは抜けすぎてて心配なところもあるけれど、厳格な父とのバランスが取れているとも言えるし。
子供が娘1人じゃ跡継ぎが心配だろうに、スーが立派に育つまでは2人目や分家からの養子は考えないと言い切ってくれているくらいだ。
――まあ、当のステイシー・リナダリアは男遊びに目覚めちゃったんだけれども。
「スー、私たちとはパーティーすら出てくれないものねえ。寂しいけれど親離れの時期なのかしら」
「成長は嬉しいんだがなあ。父様たちはもっとスーに頼ってほしいんだよ」
2人は、貴族間では有名なステイシーの所業を知らない。
人格者で慕われているが故、娘のことを引き合いに出して嫌味を言う人間もいないのだろう。ステイシーがやったことは中々のタブーであるにも関わらず、だ。
おかげで婚約者がいるという盛大な嘘が露見せずに済んでいるわけだが、このまま一生こうというわけにはいかない。
いつかは自分のしでかしたことを彼らに知らせて謝らなければならない。私からすると魔性の伯爵令嬢は別人なんだけど、周りからしてみたら同一人物に変わりないしね。
「お嬢様!」
そんなことを考えて憂鬱になっていると、ダイニングの戸がいきなり開いた。
見やると、先程慌てて出て行ったばかりのリズが息を荒くしながら立っている。はて、一体何の用なのか。
「旦那様、奥様、お話の最中申し訳ございません。お嬢様に至急お伝えしたいことがあって」
「急ぎの用事なの? なら私たちのことは気にしなくていいわ」
「ありがとうございます。……お嬢様、これを」
リズはぴしっと腰を曲げて謝罪し、かと思えば私に1枚の紙を手渡してきた。びっしりと文字が敷き詰められているが、……何これ呪詛?
差し出されたそれを受け取り、気が遠くなりながらも上から目を通す。どうやら呪詛ではなく手紙らしい。
ええと、差出人の欄はイヴァン・ハイル・フロッ――……あれれれれ?
「リ、リズ、これは……」
「ええ。……イヴァン殿下からの手紙です」
「イヴァン殿下?!」
リズの言葉にいち早く反応したのはお父様だった。
カトラリーを放り投げたガチャンという音が遅れて響き、お母様が短く「きゃっ」と声を上げる。
恰幅のいいお父様はずんずんと歩み寄り、ぷにぷにの手を差し出してきた。
「み、見せてくれないか」
「え? い、良いですけど……」
一瞬にして手元から手紙が消え去った。……私も中身は大して読んでいないけれど、リズが慌てるほどのことが書いてあるのだろうか。
そう疑問に思い、はたと気付いた。
――言われるがままに渡してしまったが、第一王子の生誕パーティーでのことを書かれていたらどうしよう。
手紙をじっくりと読むお父様の反応が怖くなり、椅子ごとそっと後ずさる。
思わず身構えると、がばりと、いきなり飛び付かれた。
「ステイシー!!」
「?!」
「ああ、お前はなんて自慢の娘なんだ……! 家に招き入れるほど殿下と親しくなっているなんて!」
「えっ」
……いやいやいや聞いてない。それに殿下を招き入れるなんて約束をした覚えもない。
何かの間違いじゃないのか。そう私が弁明する間もなく、お父様はボルテージを上げている。
「クレセントのお茶会に招待されたと聞いた時からもしやとは思っていたが、まさか殿下自らお見舞いに来てくれるまでとは……!」
「お、お見舞い……?」
「しかも殿下に『なるべく早く会いたい』とまで言わせるなんて……っ!」
「えっ、あ、あの、ですから」
「こうしちゃいられない! リズ、早急に掃除を! 今週中には殿下を迎えられるよう準備をしなさい!」
お父様の興奮は止まらない。困り果ててリズと目を合わせると、まるで「ご愁傷様です」とでも言うように逸された。み、見捨てられた……!
とにかく状況を掴まなければ。もみくちゃにされながら手紙を読むと、どうやら殿下は私の風邪を知っていたらしい。情報の出どころは不明だが、それでお見舞いをしたいと。
よければ都合のつく日付を教えてもらいたい、とそこまで読んだところで、お父様から話を聞いたお母様が感激のあまりワッと泣き出した。もう収拾がつかない。
「良かったわね、スー……! 殿下ならあなたを幸せにしてくれるに違いないわ!」
「だからそういうんじゃ」
「スー、殿下との馴れ初めはどうだったんだ? どれくらい前から顔見知りだったんだ?」
これは面倒だと悟ったらしい。リズがそそくさと食卓を後にした。
残されたのは涙するお母様とウキウキが止まらないお父様、それから状況把握に勤しむ私だけ。料理は未だに良い匂いを漂わせている。
――本当にどういうことなんだ。私は何も聞いていない……!
とにかく後でリズを問い詰めるとしても、部屋に戻りたくって仕方がなかった。