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17 恋する乙女は可愛いです

 熱が出て1週間が経った。


 今回の病はしぶといのか、それとも身体が貧弱なのか、私は未だ部屋で寝転がる生活を余儀なくされている。


 体温自体は落ち着いてきたが、未だ頭を覆うぼんやりとした感覚が抜けきらない。


 食欲は回復してきたものの、気怠さを感じるそんな日だ。

 パーティーの日ぶりに見るクレアが、突然うちを訪ねて来た。


「えっ、か、風邪を……?!」

「はい。少しはマシになったんですけど」

「そ、そそそっ、そんな大変な時に押しかけてしまってすみません……!」


 他人に風邪を移したくもないし、本来なら訪問の類はリズがお断りしているのだが、わざわざ家にまで来てくれた人を追い返すのも忍びない。


 とりあえずクレアをテラスに通して事を説明すると、彼女は真っ青になった顔でぺこぺこと謝ってくれた。可愛い。


「もう治りかけなので大丈夫ですよ。ただクレアさんに移してしまわないかが心配なんですけど……」

「いえっ! む、むしろ移してください……!」

「ふふ、そんなことできませんよ」


 ガタンと勢いよく立ち上がったクレアに思わず笑ってしまった。


 そんなに心配しなくても良いのに。それに、ちょうど寝たきりじゃだめだと思っていたところだし。


「それでご用件は? ……わざわざ馬車で来てくださったんですよね?」


 聞くに、クレアは地図と街の人の証言を頼りにここまでやって来たという。


「あ、……ええと、その、ドレスをお返しにきたん、ですけど」

「……え、ドレスを?」

「はい。母が借りたものはすぐ返せと言うものですから、お忙しいかとは思ったんですが……」


 「つい来ちゃいました。すみません」。クレアは再度頭を下げ、大きな風呂敷を取り出した。


 驚いた。……ドレスは落ち着いたらこっちから返そうと思っていたし、わざわざクレアの方から訪ねてくれるとは思わなかったからだ。


 風呂敷を広がると、丁寧に畳まれた綺麗なドレスが顔を覗かせる。


 何なら私よりクレアの方が似合っていたくらいだし、そのままあげても良かったのだけれど。


「あと、その……お菓子、です。お礼には足りませんし、リナダリア様のお口に合うかはわからないんですけど……」


 次いで差し出されたのは、缶ケースに入ったクッキーやフィナンシェ等の焼き菓子だった。ここからでもバターのいい匂いが香ってくる。


 ……も、もしかして手作りだろうか。


 クレアのファンとしては、むしろお礼として過剰なくらいなんですが……?


「ありがとうございます。とっても嬉しいです」

「こ、こちらこそ……。お身体が回復したら食べてくださると嬉しいです」


 内に秘めたるキモオタを封印しながら辛うじて清楚な笑みを浮かべると、クレアはパッと花が咲くように笑った。流石のヒロイン力だ。眩しすぎる。


 それに私だって大したことはしていない。化粧だって偶然持っていた道具を使っただけだし、そもそもレイマン様という気まずい相手から逃げる意味合いもないことはなかったし……。


「……そういえば、私クレアさんに名乗っておりましたっけ? ここまで辿り着くの、大変じゃありませんでした?」


 そんなお礼のお礼としてケーキを進めつつ、気になっていたことを尋ねる。


 記憶の限りでは名乗りもせずに立ち去ってしまったような気がしないでもないのだけれど……、クレアは一体どこで私の名を知ったのだろう。


 そう首を傾げると、何故かクレアは、そっと頬を染めながら俯いてしまった。……え?


「あ、えと、その、……スティード様に、教えていただいて」

「スティード? レイマン様ですか?」

「はい。……エスコートしてもらった時に、私からお尋ねしたんです」


 そう語る間にも、クレアの真っ白な頬は赤みを増していく。


 照れつつも嬉しさを滲ませるその顔は、まるで恋する乙女のような――、といったところで、私の頭にピンと考えが浮かんだ。



 …………あ、あれ、もしかして……?

 ……いやいやいや。まさかな。



 邪推を何とか振り切る。だってレイマン様ってゲームの攻略対象ですらないし、いくら一度エスコートされたからってまさかそんな。


 ……え? そうだよね?


「そう、レイマン様が」

「お優しい方、でした。私のような庶民にも笑いかけてくださって、その、だ、ダンスまで……」

「ダンス?」

「わ、私は踊れないと言ったんですが、リードするからって。……素敵な時間でした」

「……」


 ――え、えーっと……?


 邪推がどんどんと質量を増して行く。なん、何だこの、……何だこの、甘酸っぱい空間は。


 クレアの表情が恋人との惚気を語るようにしか見えないのは、私の目が腐っているからだろうか。いやでもそうにしか見えないし、……もしやこれは。


「……あの、クレアさん」

「はい」

「もしかしてですけど、……レイマン様と何かありました?」

「うえっ?!」


 瞬間、クレアの肩がびくりと反応する。それだけでもう役満だった。


 ――よ、よりにもよってレイマン様ですか……。


 いや、別に悪いとは言わない。クレアの選択を強制するつもりもないが、それでもお茶会での一件がある以上、私が苦い顔をしてしまうのは仕方がない。


 でも、あの場でレイマン様にエスコートを頼んだのは私だ。


 お茶会でのことを盾にしたのも私の判断なわけで、一概に彼のことをどうこう言えるわけじゃない、が。


「い、いえっ! 別に何かあったわけじゃないんです……! ただ素敵だなと思っただけで!」


 わたわたと弁明を始めるクレアにより心配が積もる。


 騙されていないかとか、身体の関係を強要されていないかとか、悪い想像ばかりが頭を駆け巡ってしまう。レイマン様もそこまで悪い人じゃないのはわかってるんだけどね。


「あの、えと、……わ、私には分不相応なお方だということはわかっているんです。地位も、人柄も、見た目も」


 そんな私の苦笑いをどう解釈したのか、クレアはこちらを伺いながらもぞもぞと口を動かし始める。


「で、でも、この間のパーティーは楽しかったんです。……お茶会でもう懲り懲りだと思っていたのに、あのお方がいらっしゃるならまた行きたいとまで思ってしまって」

「……」

「あっ、も、もちろん庶民がほいほいパーティーに参加できるとは思っていません! 機会があったら、って話で」


 尻すぼみになる言葉と共に、彼女は再度顔を俯かせた。


 ……まさかここまでとは。


 先程から度々話に出るあのお茶会の日、クレアは心無い令嬢たちにお茶を掛けられたはずだ。それがゲームの規定ルートなのだから、まず間違いはない。


 それでもって、そんなクレアの前に立ちはだかり、令嬢たちの悪意から守った攻略対象もいるはずである。


 私はそれがイヴァン殿下だと思っていて、故に彼らはいつか恋に落ちるのだと確信していたのだが、……これは一体どういうことだろう。


 しかもよりによって彼だ。クレアは私と彼の間にあったことは知らないだろうし、手放しに応援することはできない、けれど。


「そう、ですか。……クレアさんなら大丈夫ですよ。想い続けていればきっと実りますから」


 ――でも、こんな可愛い顔で言われたら、反対なんてできないよなあ。レイマン様が悪意を持っているというのも早計だしね。


 私は表情筋をフル稼働して笑みを浮かべ、カップの中の紅茶を一口飲んだ。


 クレアは驚いたように顔を上げる。

 それから綻ぶように口角を緩めると、「はい!」と愛らしく言った。


 本当に可愛い、恋する乙女の顔だった。

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