16 案の定の結果でした
裏口から廊下に舞い戻った私と殿下を迎えたのは、大変焦った様子の執事さんだった。王家に仕えているのだという彼は、名をロニーと言うらしい。
そんなロニーさんはまずビシャビシャの殿下を見て声にならない叫びを上げ、次に私を見て今度こそ目を見開いた。すぐさまタオルもかけてくれたし、優しい執事さんだと思う。
その後、数人の従者を置き、執事さんは殿下を奥へと連れて行かれてしまった。
取り残されてしまった私だが、まさかまた裏口から出るわけにもいかない。仕方なく従者を伴って会場に戻り、極力招待客と目を合わせないようにしながら馬車に乗り込む。
御者さんにはぎょっとした顔をされたが、何も聞かないでいてくれたのはありがたかった。無茶をするなというお説教はされてしまったが。
「…………ん゛……」
そんなパーティーの、翌日。
目を覚ました私がまず感じたのは、瞼の重さだった。
「……」
今は何時だろう。節々が痛む身体を何とか起こしカーテンの外を見ると、昨日の雨など嘘かのような晴天だ。ついでに太陽も高い。……もうお昼前だ。
……そういえば、昨日はどうやってベッドに入ったんだっけ。
家に着いてからの記憶が朧げだ。家に帰ってまずお風呂に入れられたことだけは覚えてるんだけど。
とにかく顔を洗わなければ。
そう思って立ち上がり、一歩を踏み出そうとする、と。
「っ、わ」
突然バランス感覚が崩れ、前方にふらついたかと思えば、次の瞬間には四つん這いの体勢になっていた。膝に鈍い痛みを感じる。
とにかく部屋を出よう。そうドアノブに手を伸ばしたその時、何の前触れもなく、扉がこちら側に向かって開いた。
――あ、まずい。ぶつかる。
そう思った時にはもう遅い。蹲っていた私が迫り来る扉を避けられるはずもなく、ぎゅっと目を瞑ったと同時。
ガツンという音と共に、追い討ちの衝撃が襲い掛かってきた。
「うわっ?!」
「っ!」
――……い゛ったぁああ……!!
痛い。痛すぎる。気を失うくらい痛い。頭を抱えながら転がると、焦ったような使用人の声が聞こえる。
誰かに見つけてもらったことは嬉しいけど、それ以上に頭が割れそう……!
「お、お嬢様、申し訳ございません! な、なな、何とお詫び申し上げたらいいかっ!」
「だい、だいじょうぶ……私もごめん……」
「そんな、今すぐに医者をお呼び致しますから!」
「い、いいの。それよりベッドに」
「嫌ぁーっ! お嬢様、死なないでーっ!」
「しな、死なないから……」
「だからベッドに運んで」。泣き叫ぶ使用人には私の声など届いてそうにない。それどころか、ドラマのラストシーンかのような迫力で騒ぎ始める始末だ。勝手に殺さないでほしい。
その後私たちは、騒ぎを聞きつけたリズがやってくるまで10分ほど同じやりとりを繰り返した。リズは開口一番「何ですかこれ」と眉間に皺を寄せていたが、全くもってその通りだと思う。
◇◇◇
「……ふむ、紛うことなき熱ですね。昨日雨に降られたせいでしょう」
額に触れる手がひんやりとして気持ち良い。
そっと目を細めると、呆れたような口調でリズがそう言った。
「ね、……熱?」
「ええ。身体がお強いことが取り柄だったお嬢様にしては珍しいですね」
確かに、まるでモヤがかかったかのように頭がボーッとしているし、思考も鈍く、ベッドに再び戻った今でも額はじんじんと痛む。
これは扉によるセカンドアタックが原因かもしれないが、……なるほど熱か。
納得がいくとホッとした。治るまでは寝てなくちゃいけないんだけどね。
「……あ、そういえば殿下は?」
「殿下?」
「昨日は殿下も濡れてたから。向こうも風邪引いてないかなって思って」
思い出すのは昨日の光景だ。彼だって執事さんが焦るほど濡れていたわけで、私が風邪を引くくらいなら殿下も似たような目に遭っていてもおかしくはない。
「さあ……、聞いてませんねえ。昨日の今日で話が広まるわけじゃありませんし」
が、リズは特段そういった話を聞いていないらしい。……まあ確かに、殿下って何となく頑丈そうだもんね。
「そう、わかった。……じゃあもう少し寝てるわね」
「わかりました。おやすみなさい、お嬢様」
病人ができることは少ない。眠気はないが掛け布団を被って目を閉じると、リゼがぱたぱたと部屋を出ていく音が鳴る。
この世界には、前世のように熱によく効く薬がない。
一応そういった類のものはあるけれど、効き目は弱く、効果も雀の涙程度だ。しかも値段は高いし、熱を出した際は寝て治せという脳筋手法を取ることが多い。
それに薬って苦くて飲めたもんじゃないんだよなあ……。数時間は喉の奥が渋くなるし。
今回もリズに薬はいるかと聞かれたけれど、丁重にお断りしておいた。良薬口に苦しというのは子供を納得させるための都合良い言葉である。
◇◇◇
リーゼロッテ・クルルフォンは、クルルフォン子爵家からリナダリア伯爵家へ行儀見習いに出された侍女だ。
仕える主人からはリズと呼ばれ、若年ながらも頼りにされているしっかり者。
どこか抜けたところのあるお嬢様をフォローする役回りを請け負っているのだが――今回ばかりはどうするべきか。
リズはこめかみをぐりぐりと揉み、目の前に広がる封筒たちを見て何度目かの溜息を吐いた。
「……しつこい……」
現在、デスクの上に並ぶ手紙たちは、全て同じ人物からステイシー・リナダリアに宛てて出されたものである。
送り主の欄には、随分とまあ達筆な文字で書かれたイヴァン・ハイル・フロックハートの名がずらり。
これだけでリズを憂鬱な気持ちにさせるのだから、彼の名には何か魔力のようなものがあるに違いない。リズはそう踏んでいた。
ステイシーが熱に倒れ、4日が経った。
リズもちょくちょく様子を見に行っているが、彼女の病状はあまり良くなっているようには見えない。
ステイシーに宛てにイヴァンから手紙が届いたのはそんな折――というか、ステイシーが熱に倒れたその日だった。
リナダリア伯爵家では、ステイシー宛の手紙はリズが検閲を行なっている。
その日もいつも通り検閲に入ったリズは、イヴァンからの手紙を見て驚いた。その中身が、要約すれば「風邪を引いてはいないだろうか」という内容だったからだ。
残念ながら彼女はめちゃくちゃ風邪を引いている。
特に初日は頭を上げるどころか声を出すのも辛いほどで、まともに返事ができる状況じゃなかった。
ということで、リズはリナダリア伯爵家名義で返事をしたためることにした。
ステイシーは風邪を引いていること、返事ができそうにないこと、ただ心配はいらないこと等々を紙1枚にまとめ、封を閉じる。
その後はなるべく早くにという文言付きでリナダリア家直属の使者に託し、リズはこれで一安心と胸を撫で下ろした、のだが。
手紙の返事は翌日に来た。早すぎる。
中身は「お見舞いにいってもいいか」というものだ。依然ステイシーは起き上がることができない状態だったため、リズはオブラートを何重にも包んで「ごめんなさい」と伝えた。
返事はその翌々日、つまり今日だ。「どうしてもだめか」という内容だった。
リズは思った。めんどくせえと。
あれだけ懇切丁寧にお断りしたにも関わらず、イヴァンは食い下がってきたのだ。となると、もうここからは「本当にだめか」「無理です」「ちょっとだけで良いんだ」「無理です」の堂々巡りになる可能性が高い。
リズはイヴァンのことを少し知っていたが、あれは第一王子とは違うベクトルでおかしい人間だ。
一度決めた以上、意思を貫き通すまでは諦めないというわけがわからない忍耐強さをしている。……これは『それ』だ。
困った。もう見舞いに来るまで諦めないという意思を筆跡からも感じる。
「はあ……」
溜息が止まらない。最初は男遊びをやめてイヴァンとくっ付けば良いと思っていたリズも、こうなるのは予想外だった。
仕方なく筆を取る。考えに考えて出した返事は、「お嬢様の体調が良くなったらいいと思います」というもの。リズは根負けしたのだ。
そんな手紙を出した翌々日。イヴァン名義で届いた手紙には、文面で伝わる最上級の感謝と嬉しさが詰めに詰め込んであった。
お嬢様は中々大変な人に好かれてしまったらしい。
他人事のように思いながらも、リズはまた溜息を吐くのだった。