13 私に任せてください
それから数日もしないうちにドレスが届き、合わせるアクセサリーを選んでいると、パーティーまでの1週間はあっという間に過ぎた。
「すごい雨ね。……この分じゃ昼には土砂降りかしら」
当日の朝、ヘアメイクのため部屋に押し込まれた私は、使用人に何かしらの液を塗りたくられながら窓の外を見やる。
せっかくのパーティーだと言うのに、天気は生憎の雨だった。
「本当ですね。湿気もありますし、今日はまとめ髪に致しましょうか?」
「ええ、お願い。馬車の時間も早めてもらいましょう」
王都郊外に位置するスティード家の邸宅はここからそう遠くないが、念には念を入れたほうが良い。
案の定、雨は昼にはひどくなっていた。
そのため普段よりもゆったりとした歩調で道を抜け、私がようやっとスティード家に到着したのは、時間よりも30分は早い頃合いだった。準備を早めたのが功を奏したらしい。
隣を歩く御者に傘を差してもらいながら、なるべくドレスが濡れないよう歩く。
パーティー会場――スティード侯爵家所有のダンスホールに入ると、中には10名ほどの客とスティード家の人間がいるだけだった。
思わずレイマン様を探してしまったが、今は席を外しているらしい。
代わりに主役たるスティード家の長男が目敏く私に気付くと、小走りで駆け寄ってきてくれた。
「ステイシーさん!」
「あ、ええと……ごきげんよう、ルーカス様。この度は婚約おめでとうございます」
「ありがとう。まさか君が来てくれるとは思わなかったよ」
照れたように笑う彼――ルーカス・スティード様は、まともに話すのは初めてながら、人の良さが全面的に溢れ出ている。きっと人格者だ。
「こちらこそ、その……招待状を送って頂けるとは思わなくって。ありがとうございます」
「はは、その礼なら弟に言ってやってくれ。あいつがリナダリア嬢を招待しようって提案したんだ」
朗らかに笑うルーカス様に、やはり、と思わず表情を歪めてしまう。
薄々勘付いてはいたものの、一体何故レイマン様は私を招待したのだろう。クレセントのお茶会の一件で、私に対して良い印象はないと思うのだが……。
「そう、ですか。お見掛けしたら必ず言っておきますね」
「ああ。今日は楽しんで行ってくれよ」
「それじゃあ」。そう片手を振ったルーカス様は、新たな招待客を見るや否や軽快に駆け出していってしまった。明るい良い人だ。
そんな彼の背を見送りながら、私はほうと息を吐く。
――さて、これからどうしようか。
パーティーの開始まではまだ時間があるし、周りには知り合いと呼べる知り合いもいない。要は暇だった。
ひとまず会場内をぐるりと見渡してみる。
会場の一角では雇われたらしいオーケストラが待機し、それぞれチューニングを行なっている。豪勢な食事も用意されているが、ドレスがお腹を締め付けているためあまり食べられはしなさそうだ。
「…………え」
と、私がテーブルから目を逸らしたその時。
見覚えのある人影が会場の隅に見え、私は思わず声を漏らした。
目を凝らしてみる。瞬きをしてみる。変わらない。そりゃそうだ、私があの愛らしい容姿を間違えるはずがない。
――……何で、ゲームの主人公がこんなところにいるんだ?
ゲームのストーリーにこんな展開はあっただろうかと思案するも、主人公がスティード家のパーティーに呼ばれるなんて展開は記憶にない。けれども、現に彼女はここにいる。
どきりと胸が鳴った。自然と足がそちらに向く。
ゲームの主人公――デフォルトの名をクレアという彼女は、雨に濡れたらしいドレスを必死にハンカチで拭っているところだった。
「……あの、クレアさん?」
突然呼ばれた名前に、クレアはびくりと肩を跳ねさせる。何も考えずにデフォルト名を口走ってしまったが、どうやら合っていたらしい。
クレアと私の視線が絡んだ。綺麗な桃色の瞳に、戸惑いの色が浮かぶ。
それからその大きな目を数度ぱちぱちと開閉すると、クレアまず一言「ごめんなさい」と謝った。
と思ったら、ぺこぺこと頭を下げ始めてしまった。
「じ、邪魔ですよね、すみません……!」
「え」
「庶民なのに紛れ込んでしまって、わ、私も行くのはどうかと思ったんですけど、でも招待されてしまったものですから」
「断りきれなくって」。とにかく謝罪を繰り返した彼女は、ところどころ汚れたドレスの裾を握って俯く。
――もしかして、なにか勘違いされている……?
ふと頭をよぎったのは、この間のクレセントのお茶会のことだ。
私は現場を目撃してはいないが、主人公はあのお茶会で庶民はああだこうだと陰口を叩かれたはずだ。
それでお茶を頭から掛けられ、貴族令嬢にいじめられた。
……まさか、その一派の仲間だと判断され怯えられているのでは?
そう思うと唐突な謝罪にも納得がいく。ステイシーは見た目だけは無駄に華やかでテンプレートな貴族感が強いし、実際貴族なわけで……なるほど怖がられるのも仕方がない。私は弁明に出た。
「ああいえ、その……な、何をなさっているのかなって、そう思っただけなんです」
「……へ?」
「ドレス、汚れてしまったんですか? 熱心に拭いていらしたみたいですけど」
クレアは大きな目をまんまるにしている。ああ可愛いとオタク心が疼いたのも束の間、彼女は唇を噛んで頷いた。やはり汚れてしまったらしい。
「はい。……家から傘を差して来たんですけど、途中で汚れてしまって」
「えっ、徒歩で来たんですか?! ドレスを着たまま?」
「ば、馬車を頼むお金がなかったんです。ドレスも、その、他に着替えるところがなくって」
確かに、前世で言う更衣室のような場所はないし、会場に到着してからドレスに着替えるなんて以っての他だ。他に手立てがなかったのだろうが、それにしたって中々勇気のある行動である。
加えて、クレアは髪も乱れていた。湿気で毛先があらぬ方向に跳ねているし、風と雨の追い討ちでヘアセットは悲惨だ。綺麗な髪が台無しになっている。
そんな私の視線に気付いたのか、クレアは震える手を握り、ぽつりと語り始めた。
「この間、お、お城でのお茶会に呼ばれてしまって。……その時、庶民なのにってなじられてしまったので、今回こそはどうにかと思ったんですけど」
「……」
「やっぱり無理でした。……来ない方が良かった、ですね」
か細い声が響く。自分の置かれている状況を客観的に認識してしまったせいか、彼女の目は少しだけ潤んでいた。
来ない方が良かった。
言葉が重くのしかかる。
クレアは素敵な女性だ。健気で穏やかで優しくて、まさに理想のヒロインそのもの。
そんな彼女が、一度悪意に襲われてしまったがために、来ない方が良かったと泣きそうになっている。
――彼女は、悪いことなんてひとつもしていないのに。
「……クレアさん」
そっと、静かに彼女の名を呼んだ。クレアは愛らしく首を傾げている。
……そうだ。彼女を、クレアをこのまま帰すわけにはいかない。今日というこの日を、〝来なければ良かった〟で終わらせてはならない。
私がなんとかしなくては。
そう決意すると早い。私はクレアの左手を取った。
「私に任せてください。もう二度と、クレアさんに向かって庶民がどうだなんて言わせませんわ」
「え、えっ?!」
「そうと決まれば行動は早く、です! まだパーティーまで時間はありますから!」
「あのっ、えっ、一体どういう……!」
残された時間は限られている。私はクレアの手を引き、ずんずんと進んだ。お化粧室はどこだろう。スティード家の人間に聞いたら教えてくれるだろうか。
そう辺りを見回し、私はふと目に入った人物に足を止めた。
すらりとした長身、相変わらずの派手な格好と、長髪が目印の彼は。
「――レイマン様!」
張り上げた声で名を呼ぶと、彼、ことレイマン様がこちらを見てぎょっとした表情を浮かべた。
「やあ、ステイシーさん。招待状が届いたみたいであんし――」
「あの、お化粧室はどちらになるでしょうか。至急お教え願いたいのですが!」
「は?」
嫌味のひとつでも言うつもりだったのだろうか。にこやかに笑う彼の言葉は、申し訳ないが遮らせていただいた。世間話に付き合っている暇はない。
「お化粧室です。鏡があればそれで良いのですが」
「えっ? む、向こうの廊下の先にある、けど」
「ありがとうございます。それではまた!」
「あっ、……お、おいお前!」
背後で吠えるレイマン様の声はシャットアウトし、可能な限りの早足で廊下を駆けた。クレアが「あの」だの「さっきの人は」だの「大丈夫ですから」だの言っているが、私の心情が大丈夫じゃない。
私はちらと振り返った。眉を下げたクレアが、不安げにこちらを見ている。
そんな彼女のため、私は気丈に笑いかけた。大丈夫だと、そう示すように。
「安心なさってください。私、これでもメイクにはちょっとした自信があるんです」
もう薄れかけている前世の記憶を思い出す。
社畜時代、毎日毎日マナーとしての化粧を強いられたあの頃を、私はまだ覚えている。手の感覚も鈍っていないし、僅かながら知識もある。
そう。私は、雨で散々なクレアにヘアメイクを施すつもりだった。
幸いにも、バッグの中には化粧品をいくつか忍ばせている。すっぴんでこの愛らしさを持つクレアを更に着飾ることくらい訳ないし、むしろそうまでしないと私の腹の虫が治らなかった。
――何が何でも、この会場で婚約者の次に可愛くしてやる……!