12 新たな試練が待っていました
「――スティード侯爵家の婚約発表パーティー?」
リズからそんな話を聞いたのは、王城を訪れて5日と経たないある日のことだった。
「はい。スティード家の長男が婚約を発表なされたということで、その記念パーティーの招待状が届いておられるのです」
「そう……、でも何で私に来たのかしら。面識はなかったはずだけど」
「さあ。クレセントのお茶会で次男のレイマン様とお話ししたと仰ってましたし、そのよしみじゃないですかねえ」
首を傾げつつ、リズは招待状をデスクの上に置く。
私はクレセントのお茶会でのことを思い出し、苦笑いを浮かべた。レイマン様、か。
彼とはお茶会で夜のお誘いを断って以来だけど、……今更会うのも気まずいな。去り際に捨て台詞まで吐いてしまったし。
向こうは特に気にしていないのかもしれないが、それにしたって気が引ける。兄のパーティーに弟であるレイマン様がいないはずもないし……一体どうしたものか。
「あれ、行かないんですか? いつもなら即決でお返事を出していたのに」
「うん。……リズは行った方が良いと思う?」
「そうですねえ、別に行っても損はないんじゃないでしょうか。噂によれば、クレセントのお茶会の出席者にはほとんど招待状を送っているみたいですし」
「えっ、そんなに?」
それだけでかなり大規模なパーティーだ。次期当主である長男の顔を立てるために中々奮発しているらしい。
「交流を持たれるという意味でも行った方が良いと思いますよ。イヴァン様もいらっしゃるみたいですから」
リズはにやりと笑みを浮かべた。……何やら含みのある物言いだ。
「……そんな顔しなくても、別に殿下とは何もないよ」
「そうですか。ではパーティーは出席ということで」
「あっ、ちょっとリズ……!」
そそくさと部屋を出るリズの背にそう声を掛けようが、ご機嫌な彼女は振り返ってくれない。
私はソファにぼすんと腰を下ろし、はあと溜息を吐いた。貴族の娘だからか、リズはたまに押しが強い。
――にしても、そうか。殿下もいらっしゃるのか。
いつかはお会いするんだろうとは思っていたけれど、二度目のプロポーズからこうも日を空けずにまた顔を合わせることになるとは。……うまく応対できるか心配だ。
残された招待状を手に取り、そっと封を開けてみる。
レイマン様とのことも気がかりだけれど、……人が多ければそうたくさん絡むこともないだろう。せっかくの招待を無碍にすることも避けたい。
決意を固め、私はデスクから紙を1枚引っ張り出した。
それからペンを手にすると、了承の返事を書くべく文面に頭を悩ませるのであった。
◇◇◇
スティード侯爵家でのパーティーが1週間後に迫った頃。私は、リズを引き連れ王都の仕立て屋を訪れていた。
今まで着ていたドレスのサイズが合わなくなったため、これを機に新調するのだ。
「今から仕立てるのは流石に無理そうですし、ありものを買うしかなさそうですねえ。何か気に入ったものは見つかりましたか?」
煌びやかな店内をぐるりと見渡したリズが言う。正直なところ派手すぎず露出の少ないものだったら何でも良いのだけれど、そういうわけにもいかない。
店内をふらつきながら視線を彷徨わせる。と、一着のドレスが目に入った。
首が詰まった長袖のデザインに、黒のシンプルな生地と裾に入った刺繍が上品でとても可愛い。目立たなさそうだし、露出も最低限で良いのではなかろうか。
「ねえリズ、これはどう? 落ち着いてて良いと思うのだけど」
パッと顔を上げ、リズを呼ぶ。すると、彼女がこちらを振り返ると同時に頭の中に声が響いた。
――「ええ……、何よその芋ドレス。正気?」
直接語りかけてくる高圧的な物言い。何故か私の中から出て行ってくれない、『魔性』の方のステイシーだ。……至って真面目に考えた結果なんですが。
――「ダッサイにも程があるわよ。貴族の誇りが感じられないわ。何、悪魔とダンスでもするつもりなの?」
あまりにもボロクソの評価だ。そんなに言うなら、その貴族の誇りとやらをふんだんにアピールできるドレスを教えてもらいたいものなんですが。
――「そうね。その3つ右のドレスとかが理想じゃない?」
「え゛っ…………」
得意げに語ったステイシーの示すドレスを見やり、私は思わず絶句した。……真っ赤な生地に大胆に入ったスリット、それから胸元が大きく開いたデザインだ。こっちのドレスの方がよっぽど正気とは思えない。
「えっ……、お、お嬢様、まさかそちらの赤いドレスを……?」
「あっ、いや、違うの! 何だか攻めたデザインのドレスがあるなって思っただけなの、本当に……!」
気付けば、知らぬうちにこちらへ来ていたリズにあらぬ誤解をされていた。
慌てて否定し、逃げるように再度店内を見回る。――ていうかリズにも引かれてたし、やっぱりあの赤いドレスダメなんじゃない……!
……でも、ドレスなんて今までまともに選んだことがないしなあ。
前世の記憶を思い出す前はあれこれと注文を付けていた気がするけれど、今となってはそんな気も湧かないし。
できれば露出が少なめで落ち着いたデザインが良いのだが、その結果ステイシーに罵倒されたわけで……。中々ちょうど良いラインが見つからなさそうだ。
と、何気なく店内に視線を向けたと同時。
「……わ」
ふと目に入った一着に、思わず足を止める。
特に奇抜なわけでもない、普通のドレスだ。袖が膨らんだタイプの、裾にレースと大きな刺繍があしらわれた、藍色のドレス。
その一着から目を離すことができず、私は小さく息を吐いた。
綺麗だ。本当に。まるで殿下の瞳のような藍色で――、
「…………いや、何気持ち悪いこと考えてるの、私」
浮かびかけた思考を押し戻す。いくら何でも、殿下が全く関係ないドレスにまで彼のことを持ち出すのは気持ち悪すぎる。
……でも、デザインは綺麗で素敵なんだよなあ。
これならアクセサリーも映えそうだし、悪目立ちもしなさそうだ。落ち着いた雰囲気で、年頃にしては地味だけれど、貴族らしくもあるし。
「そちら、気に入られましたか?」
思い悩みながらぼーっと突っ立っていると、店主のマダムにそう声を掛けられた。私は苦笑いを浮かべる。
「ええと、……はい。素敵だなと思いまして」
「ありがとうございます。お嬢様はお肌が白くていらっしゃいますし、よくお似合いになられると思いますよ」
マダムは微笑む。社交辞令だと分かっていても気分が高揚してしまうのは喪女の悪癖だ。
「そう、ですかね」
「ええ。……随分とお悩みになっているみたいですけれど、何か懸念点が?」
「ああいや、懸念点といいますか……。知り合いの瞳の色に似ていて、それで。何だか意識しているみたいで……」
口に出すと変な話だった。ドレスの色がたまたま知り合いの瞳と被ることなんていくらでもあるだろうに、1人で勝手に騒いでいる自分が恥ずかしい。
けれども、何となく自分の中では藍色は殿下の色だという認識が強い。
「くだらなくてすみません」とマダムに頭を下げると、彼女は口に手を当ててくすくすと笑った。優美な仕草だ。
「いえいえ、お気になさらず。お嬢様にそんな風に想っていただける殿方が羨ましいくらいですわ」
「えっ、あ、いや、別に殿方だとは……!」
「うふふ、瞳は雄弁ですのよ。遠慮なさらないで」
な、何だか壮大な勘違いをされている気がする……! 本当に違うのに!
「良いですか?お嬢様。時には大胆にアピールすることも大切ですのよ」
「あの、だから……」
「それに、瞳の色とドレスを揃えるなんて素敵じゃありませんか。きっと想い人もお喜びになりますわ」
「あの」
「いっそ〝あなたを想ってこの色を選びました〟、なんて言ったらいかが?お相手もイチコロに違いありませんもの!」
「リ、リズ、助けて……!」
遠くで店内を見ていたリズに助けを求めてみるも、マダムの口は止まらない。
……結局、私はその熱量に押し切られ(ついでにもう飽きが来ていたらしいリズの「わー素敵なドレス」なんて適当な言葉に背中を蹴飛ばされ)、あの藍色のドレスを購入することとなった。
「まあ、本当に素敵!どんな男性も振り返ってしまいますわ!」
ドレスを着せてもらった私を見るなりそう叫んだマダムの声に耳を塞ぎつつ、もう何度目かわからぬ溜息を吐く。
……大丈夫かなあ。殿下に気持ちの悪い女だと思われなきゃ良いんだけど。
なんて、無意識のうちに殿下の反応を考えてしまうあたり、私も相当やられているのやもしれない。