原爆投下についてアメリカへの謝罪要求のすゝめ
アメリカの勝ち確なのに原爆投下したからほぼオーバーキルなんですが、「戦争を早く終わらせる為には仕方がなかった」と言う言い分には理解を示します。
実際原爆が投下されなければ戦争はもうちょっとだけ長引いたのは間違いないです。
どちらにせよ年内には終戦(日本の降伏)だったのは変わらなかったと思いますが。
しかし、日本の降伏を早めた事で「多くのアメリカ軍兵士の犠牲を防げた」と言う言い分は理解を示せます。
ただトロッコ問題と同じですね。5人の命を救うために1人を犠牲にするか、1人の命を救うために5人の命を犠牲にするかと言う状況と似ています。トロッコ問題には正解はないです。人間には個体差がありますから。これが働きアリのような個体差が殆んどないような生き物なら、単純に数が多い方を救えばいいのですが、人間の命は単純な個数では優劣をつけられません。
働きアリとは違い、人間の場合は5人救えば1人は犠牲にして良いとはならないのです。
であるからにして、原爆投下によって犠牲になった人数よりも、戦争が長引くことで犠牲になる人数の方が多かったとしても、それを理由に原爆を投下した方が命が多く救われて良かったとはならない。
ただ、アメリカの立場で考えれば、原爆投下のお陰でアメリカ軍兵士の戦死者を減らせた訳であるからにして、「アメリカ軍兵士の命を救うためには原爆投下は仕方がなかった」と言う弁には理解を示すべきです。
ただ、どこの国も自国民の命を優先する権利があります。
アメリカがアメリカ人の戦死を防ぐためだったと言って原爆投下を正当化する道理があるなら、日本人も日本人が原爆投下で死亡したのを怒る道理があります。そこは、アメリカにも理解を示して欲しいですね。
アメリカにアメリカ人の命を優先する権利があるように、日本にも日本人の命を優先する権利があるのです。だから、アメリカ視点なら原爆投下は正しく、日本視点なら原爆投下は非難に値します。
まぁ、アメリカは「原爆が投下されずに戦争が長引けば日本人兵士の戦死者が増えて結果的に原爆投下よりも多く日本人の命が失われる事になったはずだ」と反論するかも知れませんがね。
ただし、これは一発目の原爆投下に関しての話です。
二発目の原爆投下については話が別です。
一発目の原爆が投下された時点で、日本の降伏が早まるのは必然的でした。
だから、二発目は落とす必要なかったんですよ。二発目の原爆投下は完全にオーバーキルです。
本当に降伏を促すのが目的なら、一発目を投下して猶予を設けるはずなんですよ。
一発目が撃たれてから1ヶ月経っても日本が降伏しなかったなら二発目を落とすのもまだ正当性があったんですがね。
本当に日本の降伏を促す為だったのなら、二発目はもっと間隔を開けてから投下したはずです。
降伏をするのにだって時間がかかりますからね。降伏するにも手続きとか色々あるのはどこの国でも同じです。
二発目の原爆はどう考えても無意味でした。
一応、アメリカ視点で見るなら全く意味が無いわけではなく、一発目の原爆(ウラン原爆)とは違う型の原爆(プルトニウム原爆)を落とす事で、型が違う原爆を実践で試す事ができた、と言う事ですが、流石にそれだけでは人命を奪う動機としては弱すぎますね。日本人を他の型の原爆を試すモルモットにして良いのかって話ですよ。
二発目の原爆は完全に無駄な虐殺です。アメリカ視点でも正当化できません。
アメリカは、二発目の原爆については無意味な虐殺だったと認めて謝罪すべきですね。
二発目の原爆投下についてはアメリカ政府がきちんと公式に間違いだったと認めるべきです。
また、原爆を実践で使ったのは戦後にソ連に対して優位に立ちたいと言う思惑もあったかも知れませんし、実際、戦後に冷戦状態に陥ったのも日本への原爆投下の影響が大きかったかと思われます。冷戦の秩序を作る事で第三次世界大戦を防ぐためには原爆投下は必定の処置だったと言う人も要るかも知れませんね。
しかしながら、冷戦の秩序を作ったと言う観点でも一発落とせば十分ソ連に原爆の脅威を示せ、二発目は要らなかったと言えます。
よって、日本は二発目の原爆投下についてはアメリカ政府に謝罪要求をすべきです。




