1.竜巻
子供の頃。
そう、まだ非現実的な夢を余裕で見られた遠い昔。
私、土屋夏子は魔法使いになりたかった。
初詣、神社に行くたびに、賽銭箱に10円を投げ込んで、鈴を鳴らして、手を2回叩いて、
「魔法使いになれますように」
なぁんて願っていた。
いつか絶対に叶うと信じて、毎年願っていた。
当然、叶うはずもなく、
そこそこ良い大学を出て、そこそこ良い会社に就職して、結婚したら寿退社するんだろうと思いながら働いていたのに、仕事を辞めてまで結婚したいと思える人になかなか出会えず、普通に働いていたら、普通に出世して、生活に困らないくらい普通に稼げるようになって、
「もう、結婚しなくてもいいかな」
なんて思い始めていた30代半ばに差し掛かったある日、仕事中に連絡が入った。
「突然のお電話で申し訳ございません。土屋夏子さんのお電話でお間違いないでしょうか? こちらは笹浦警察署です」
「はい…」
「本日、土屋春子さんが笹浦海水浴場にて高波にさらわれ行方不明となりました」
「え?」
私は笹浦警察署に急いだ。
何かの間違いかと思ったが、現実だった。
一人娘の遥と遊びに行った海で、波にさらわれた少年を助けに向かったところ、そのまま少年と共に高波にさわられて消えたらしい。
幸い、遥は直前に浜に戻っていたため助かったという。
春子は10代の頃に水泳強化選手に選ばれ、オリンピックを目指して頑張っていた。
しかし、20歳の時に遥を妊娠したことで強化選手から外された。
父親の正体は誰にも明かしていない。シングルマザーとして娘を育てていた。
つまり、遥にとって唯一の親族が私なのである。
私は、当時9歳の遥を引き取り、母代わりとして育てることになった。
それから7年、私は順調に出世して経営企画部長となり、遥は高校生になった。
「眠いよ~」
遥はあくびをしながら器用にパンをかじっている。
「アメリカの子会社とのミーティングのせい。現地都合なの」
現地時間の夕方は日本の朝である。
それに合わせて、いつもよりも1時間早い出社になった。
遥の通う高校は、電車で通うと駅から徒歩20分という少し不便な場所にあり、私の会社の道すがらにあることから毎朝送っている。
だから、車で送ってもらいたいという意思が遥にある限りは、私の時間に合わせてくれている。
「学校着いたら寝ようかなあ」
「自習室で勉強するんじゃないの?」
「あ~、勉強しなきゃ。…でも眠い」
元々朝に弱い子ではあるが、睡魔と戦っている理由は他にもある。
大学の入学金や授業料を自分で払うつもりでいるのだ。
放課後に連日バイトを入れていて、帰宅後に夜中まで勉強しているため、かなり疲れている。
大学までは面倒見るよ、と伝えているが、
「夏ちゃんに面倒見てもらうのは成人まで。つまり18歳以降は自分の費用は自分で出すと決めているの」
と断られた。
「親代わりとして育ててくれただけで本当にありがたいと思っている」
ということだった。
故に、大学は国立を狙っており、勉学に励む。
が、成績は学校で中の上で、学校からは地方の国立を狙うようにアドバイスされている。
本人もその気で、高校卒業後は地方で一人暮らしをする予定である。
今、私にできることは、予備校に通わない遥に勉強を教えてあげることくらいである。
私たちは車に乗り込んだ。
二人暮らしではあるが、少し大きな荷物を運ぶのに便利というだけでミニバンを使っている。
いつも通りのルートで遥の高校に向かっていた中、突然ゴルフボール大のヒョウが降ってきた。
同時にスマフォからアラート音が鳴る。
「何?!何?!何?!」
遥が慌てて見た。
「竜巻警報だって」
「竜巻?」
「え、鳴ったところでどうしたらいいの?」
「どこ? この辺?」
「えっとね、え、あ、この辺」
「え~、どうしよう。とりあえず地下駐車場?」
そう思ったが、他の人たちも同じ考えだったようで、めぼしい駐車場は悉く満車。
ぐるぐるぐるぐる探したが、全く見つからない。
「あれは? 松芝駅前のデパートの地下駐車場」
「遠いでしょ。とりあえず、安全そうな場所へ移動しよう。どこに竜巻が来てるの」
「えっとね、ん~、分からない。どこだ?」
「警報の範囲は?」
「えっとね、あ、川の向こうは範囲外」
「志津市側?」
「そうそうそう」
と言いながら、遥は前方右側を指す。
「ほら、向こう側、空が青空」
「じゃあ、そっち向かうか」
青空に向かうため、次の交差点を右折することにした。
しかし、運が無かった。
右に曲がった瞬間、正面から竜巻が迫ってきた。
ブーブーブーブーブーーーーーーーーーッ
クラクションが鳴り響くとともに、前を走る車が次々と竜巻に吸い上げられていく。
「いつも通りの時間だったら、こんなことにならなかった。巻き込んでしまってごめん」
私は遥に謝った。
「夏ちゃんのせいじゃないよ。これも運命なんだよ」
遥の言葉と共に、車は竜巻に吸い込まれた。