第十八話 カリンの決断
「わ、わし……帰れるのか? 元の、時代に……」
カリンの声が震えている。
「帰れるわい。この、全知全能の杖、『ユグドラシルの枝』に出来んことは無い!
さっきも見たろう。時を超えるくらい、わけないわ」
と、神老人は持ってる杖を高く掲げた。
ただの枝にしか見えないが……全知全能ときたか。
「確かに……あの杖。計り知れないものを秘めているようです」
エルナが杖を、まぶしいものを見るような目で見る。
聖女的に、何か感じ取れるものがあるようだ。
さっきも、過去の出来事を数百年分、さかのぼって見ることが出来たようだが。
……この老人、神というが、凄い力を持った枝の持ち主ってだけなんじゃ?
「か、帰る……元の、家に。母上……父上……」
カリンが天を仰ぐ。
……そうか、帰れるのか。
カリンにとっても、それが一番いい事、なのかもしれない。
「よ……良かったな。帰れるんだぞ。もっと喜べよ。
これで正しい人生を歩みだせるんだ。性格も元に戻るかもな」
と声をかける。が、
「わ、わし……」
振り返って俺を見るカリンの目は、迷いと不安に揺らめいているようだった。
カリンのこんな表情、初めて見るかもしれない。
「何を考えることがある、全部元通りに、……」
カリンに語り掛ける途中でふと、俺は気づいたことがあった。
神老人に向き直る。
「……カリンが元の時代に戻っても、もう泉の女神をやる必要はないんだよな?」
「そうさの。またやりたいと思うなら別だがの」
……おい、まさか。
「カリンが女神にならない場合、また違う人間が選ばれるんじゃないだろうな」
「それはそうだの。カリンがやらぬなら他の人間が必要になる。
魔王の出現は、定められた運命だからの」
「……では、今のこの時代はどうなるんですの? 魔王が滅びた、この世界は……」
エルナがおそるおそる、老人に聞く。
聖女も、なにか不穏なものを感じているようだ。
「カリンが元の世界に戻った所から、やり直しになるのう。
きっと、全然違う歴史になるであろうな」
違う、歴史……?
俺とエルナが目を見合わせた。
「今度は、魔王城近くには泉を出現させぬように設定しておく。念のため。
さすれば二百年周期が狂うこともない。女神の泉は正常運転に戻るであろう。
そもそも二度目までは上手く行ってたわけだしの」
「待て待て! 違う歴史とはなんだ。やり直しってどういうことだ!」
語気荒く、神老人に詰め寄る。
老人はやや後ずさりながら、
「やり直しはやり直しだの。
過去の映像を見ると、おぬし……ティムとカリンが出会って物事が進みだしたようだが。
カリンが元の世界に戻り、女神とならぬなら、その出会いも無くなるということさね」
なん、だって……
ガランガラン。
カリンが持っていた斧を落とす音がした。
「な、なら。金銀の武器を冒険者に配ったり、魔王を倒したりしたことも……?
ティムどのとエルナどのと、楽しく飯を食ったことも、か……?」
「全部、やり直しと言っておろうが。そもそも!
オリハルコンとミスリルを大量生産し、あまつさえ選ばれし勇者でもない者たちに配るとは!
あってはならんことだ! それだけでも、やり直しにする理由があるというもの!」
突然キレだす神老人。
だが、カリンの怒りはそれ以上だった。
「ふざけるでない、のじゃーーーーー!!」
斧を拾い、ふたたび斬りかかる。
慌てて転がって避ける神老人。
「うおおおい! それやめろ! 神に向かってなんたる態度、」
「お主のやってる事は、神たる者がやって良い事ではないじゃろ!
わしが元の世界に戻れば、またあの泉に囚われる人間が出るとか!
誰かを不幸にせねば、成しえぬことなのか? 魔王討伐とやらは!」
カリンが吠えた。
いきなり斬りかかるのはどうかと思うが、言っている事には……同意する!
「たった一人の犠牲で、全ての人間が救われるのだ! 何がおかしい!?」
老人も叫んだ。……こいつ、開き直りやがったな!?
カリンがだんっと地面を踏みしめ、老人を指さした。
「そうか! なら分かった! わしは元の世界には戻らぬ!
この詐欺神め! 望み、わしの望みは!
お主がもう二度と、人間には関わらんようになることじゃ!」
「なー!?」
神老人があんぐりと口を開く。
よほど意外な事を言われたらしい。
「やり直しになどさせんのじゃ! もう魔王が滅びた世界で確定させるのじゃ!」
「おいおい……良いのか、それで!?
元の世界に、元の時代に戻らなくて……!?」
思わず、カリンに声をかける。
俺を振り返ったカリンの目には、もう不安も迷いも存在していなかった。
「ティムどの。エルナどの。わしが千年、あの泉に囚われたから、お主らと出会えたのじゃ。
辛く、長い時間じゃったが……その旅路を経て、良き出会いに繋がったのじゃ。
わしはそれを、無かったことになどしたくない! いいじゃろ? それで!」
カリンは、格好つけたような事を言った自覚があったのか、最後の方はやや照れが入った言い方になった。
だが、「やり直さない」という選択は冗談でもなんでもなく、本気のようだった。
「ああ……分かった。カリンの覚悟、伝わったよ。
大したやつだ、お前は。確かに、出会えて良かったよ」
「ですね……わたくしも、尊敬いたします。カリンさん」
三人で顔を見合わせ、笑い合う。
決心はついた。
「何をごちゃごちゃと! ならもうよい! 世界はいったん、時をさかのぼる!
カリンとは違う人間を女神とし、ふざけたやり方の魔王討伐など起こらぬ世界に仕立て直す!」
いきりたった神老人が、ユグドラシルの杖を高く掲げた。
そうは、させない。




