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籠屋  作者: 天月ヒヨリ
二.花と貴方へ
83/145

83.留守―4

***


 夕刻、籠屋に帰ってきた羽鶴は受付台の内側でぱっと明るい顔をした白鈴の出迎えを受ける。大きな薄赤の瞳を輝かせながら澄んだ声が言う「おかえりなさい」の破壊力に靴を揃えながら耐えた羽鶴はひょいと専用の靴箱にしまった。客用の靴箱が埋まっている。相当忙しいだろう。


「羽鶴さんお昼は大丈夫でした? うふふ、大瑠璃がおつかいなんて何年ぶりなんでしょう」

「夏馬さんと変装して来たよ。おかげで美味しいお昼の後は質問攻めにされたけど」

「それは……目立ったのでしょうね……」

「なんていうか……目立たないはずがないって感じの……。まあ誰も大瑠璃だってわかってなかったからいいんじゃないかな。あ……榊は一発でわかってて笑ってたよ」

「ふふふ、榊さん、楽しそう」


 笑った白鈴の幸せそうな表情にじっと見入ってしまう。向ける好意に差のないような白鈴でも、好き、の意味が違う。


(榊に会ったらど突こう……)「今日も賑やかだね、満室?」

「はい、お部屋の数は絞っていますけど、大座敷までお客様でいっぱいで……手の空いているのは私だけですね」

「着替えて雨麟に合流しなきゃね。いきなり座敷に行ってもなんだから、雨麟が出てくるまで待ってるけどさ」

「羽鶴さんは慣れるのが早いですね……」

「師匠がすごいんだ」


 奥の階段へ向かうと座敷の賑やかさに紛れてからから、と音がする。

 そちらを覗くと裏口の庭に浅葱色の着物が見えた。


「あ、おかえり大瑠璃。今日ありがと」

「む、まさか鶴に見つかるとは。まあいいか鶴だから」

「なんだそれ。もう声とか戻ってるんだね。今日満室だってよ」

「へえ。鶴ここで油売ってていいの? 香炉は厨房に籠るから朝日と雨麟の二人で配膳してるんでしょ」

「今帰ってきたとこだよ。着物派手だなあ。昼間より目立つんじゃない?」


 浅葱色に白蘭の花。普段色無地の着流しばかり着る大瑠璃は手提げの紙袋で羽鶴の尻をべしべしと叩いて追いやる。


「夏馬の趣味だ、着物を貰わないと帰さないって駄々をこねられたの」


 階段を上りながらああだこうだと会話をして、三階に出るとふみとしらたきが飛んできては大瑠璃の頭に留まった。


「座敷には行かない。非番非番。手に余る客を外に放り投げる役ならたまにやるけど」

「おい元看板物騒じゃないか」

「いや? だあれも知らないから。きちんと叱って放り投げてあとはその人次第でしょ」

「お前面倒見いいよな」

「さっさと行かないと女物着せるよ」

「勘弁して」



 着物に着替えて一階に降りた羽鶴は厨房の暖簾から香炉に挨拶し、座敷の方からやってきた雨麟とも挨拶を交わして指示を受ける。配膳と洗い物くらいしかこなせないが、雨麟は上機嫌ににかっと笑った。


「助かるぜ羽鶴! 帰ってきたばっかで悪ぃンだけどよ、俺と個室の方に配膳頼むわ。大座敷は朝日がいるし、個室のが終わったら合流すンぞ!」

「うん、ありがとう。香炉の料理、たくさん食べてもらえるね」

「フフン、絶好の機会よ。さ、一部屋ずつ片してこーぜ」



 雨麟と個室の客に料理を運びながら、厨房と廊下とを行き来する中でだんだんと日が落ちてゆく。ぼんやりと、廊下に吊るされた行灯と部屋の障子が浮き上がって、暗がりに紛れる己の手のひらすら夜に呑まれてしまうのではと下げたお膳を持ち直した。

 秋の匂いがする。庭に面した廊下に響く笑い声。大座敷から響く三味線と、軽やかな歌声、止んだ瞬間の歓声と拍手。次いで流れる琴の音に、庭の鹿威しが跳ねた。



「羽鶴?」


 雨麟が歩を止め見上げてくる。大きな天色の瞳に灯りが這って、水面のよう。

 

「今日は、なんだか静かだ」

「まァ、片方いねぇから。大丈夫だろ、大瑠璃もいるしよ」

「雨麟は、どう思う? 引き寄せ刀って、亡霊みたいな感じかな」

「似てるけどそうじゃねえ。未練残して死にきれねえにしても、刺しに来た時点で思わなくていい。ほンとに大事なら、傷付けに来ねえ。これは俺の意見だし、あいつらが真面目に考え抜いてンだから押し付けもしねえ。怪我されンのは、嫌だけどよ」


 苦笑する雨麟はお膳を片手で持って羽鶴の袖を軽く引いた。


「羽鶴、手ぶらじゃダメだ。そのままじゃ、喰われる」


 どこかで鈴が鳴った。雨麟がしかめっ面を隠しもせずに小さな手を離してはそちらの方を向く。


「はァ?! 虎雄か?! なンだよ今忙しーンだよ!! すまン羽鶴、これ置きに行ったら香炉ンとこにいてくれや! 朝日は多分出てこねえ!」

「う、うん待ってる……」


 雨麟は空のお膳を抱えるようにして廊下を走って行った。速い、着物であれだけバタバタと走れるのだから、洋服ならば榊といい勝負かもしれない。

 雨麟の分のお膳も重ねて運んだら良かっただろうが、おそらくは断られていただろう。

 廊下を見つめ、ぽつりと声が漏れた。



「僕、籠屋の誰にも相談してないのに……」


 引き寄せ刀を倒そうとしていること。笑い話のような、無謀で途方もない話だからこそ言い出せるはずもなく。けれど気付かれた。勘がいい、という次元の話ではない気がする。


(そのままじゃ喰われる……か)


 引き寄せ刀は執着と嫉妬の塊のようなものだと聞いたが、中身が元々人間ならばどうにかできるのではないか、という考えはあっさりと“通用しない”で返されてしまった。全身を黒い包帯で覆う引き寄せ刀の口元は赤い肉が覗いていた。奇声を発し、刺しにくる。到底言葉が通じるとは思えない。だから倒してしまえ、は愚計だろうか。それでも雨麟は“倒す”方針には反対しなかった。



(待って、僕、もっと話す必要があるんじゃないか……? 大瑠璃を刺したくらいの相手なのに僕が丸腰で挑んじゃ目に見えてるよな……?)


 考えながら行き着いた厨房で、香炉が珍しくむくれていた。普段殆ど表情のない香炉であるから、目を真ん丸にして固まる羽鶴はかける言葉に遅れる。その間に、香炉がすっと歩んできてはお膳を受け取り礼を告げた。


「はつる……ありがとう……てんむす、お食べ……」

「ありがとう。……香炉、何でむくれてたの?」


 受け取りながら椅子に座らされると、香炉は湯飲みも差し出した。いただきます、と言い食べる羽鶴にすすっと漬物の小皿も出てくる。空腹に染みて美味い。そうでなくてもふっくらご飯にたれに浸けた海老天が海苔で巻かれて香りから美味、さくさくの衣、程好い弾力の海老、やわらかな塩気と噛むほどに広がる奥深いたれの味。


「……よいのしんと、比べられるから……。今日も、かてなかった……」

「こんなに美味いのに……お弁当も美味しかったよ、ありがとう」

「ありがとう……ちがうのは、いいこと……でも、満足、させられない……」


 宵ノ進の料理と比べることが間違っているのではないか、そんな気もするが同じ籠屋の板前同士、比較は常にある。客の味わってきた料理の最上位を塗り替えて、度々訪れる中で言われる“今日は不在なのですか?”は堪えるものがある。けれども宵ノ進の料理は強烈だ。見た目の華やかさと香り、食感、遊び心。総じて繊細、最後は口の中で味ごと溶けて消えてゆく。あとに引かぬ味にもっと、と他の品に箸を伸ばし、夢中で食べてしまうような。


「まぼろし……」

「?」

「みんなそう言う……。よいのしんの料理は、夢を見ているようだって……だから、私の料理は、料理を食べている、って……」


 途方もない壁を感じる。が、それは良い違いではないのか。


「香炉の料理は香炉の料理、じゃないの? ていうか文句つける奴は道端の草でも食べてればいいよ」

「はつる……おおるりに、にてきた……」

「え? そうかな」

「うぇーい朝日ちゃんの大勝利だぜ~!!」


 勢いよく暖簾をはためかせて頭上でピースした朝日に、香炉が「めっ」と小さく言った。



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