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籠屋  作者: 天月ヒヨリ
二.花と貴方へ
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65.水撒き

 夏の日、こっそり抜け出して隣町へ出掛けた。

 朝日にもらった白いワンピースと帽子、些細な仕草を纏うだけで誰も籠屋の看板だとは気付きはしない。

 うだる熱気も涼しげに、隔絶された世と自分との空気に笑みがこぼれる。

 隣町はそれが濃い。柊町の寛容な、慣れた空気に居心地がよくなって自分が時代を越えてきたのだと忘れてしまいそうになる。着物で歩けば即座に見つかるものだから、洋装ではあるが確かめに出掛けるのだ。

 そうでなければ忘れてしまいそうだ。火を放ってこの時代にきたことさえ。


 対岸に白い子供がいた。少年、だろうか。道路は熱で空気を曲げていた。ぼんやりと立つ少年は、どうやら暑さで参っているようだった。

 道に敷かれた白線は痛々しく剥げている。少年は左右に気を払い、こちらへ渡ってくるのだろう。

 少年がきょろきょろと左右を見ていた。刺すような陽射しが白み、熱が喉を焼く。

 音のない静かな日だった。熱がすべて連れ去ったような気さえしていた。

 横転した荷台が、少年へと突っ込んだ。


 少年の居場所はすぐに知れた。白い世界が鮮血で埋まる。駆け寄ると、幸い下敷きは逃れていたが意識はあるはずもなく、右腕は折れていた。頭と腹を打っただろうか、溢れ出る血の色に咄嗟に体が動いていた。――これはどうしようもないものだ。頭では強く感じていた。ワンピースを血が這い上る。

 連絡手段など持たなかった。ましてや人通りもなく、柊町の外でなど。

 運転席に視線だけを投げるも、呻き声が聞こえるばかりで脱出するには至らない。そちらへ向かえば連絡手段はあるかもしれない。けれどこの白い体を離したら、これは二度と戻ってこない。見知らぬ少年、他人だ。己が善意などでできていないことは理解している。既に人を殺めた。只、幼馴染みにすまないと詫びる。

 熱が喉を焼いた。


「虎雄、この子を、助けて」




  黒い影が見えた。こちらの時代へ招き入れてしまった。連れ戻しに来るだろう、幼馴染みに付きまとう、誰かのように引き寄せ刀の形を成して。

 救助に必要な条件が即座に揃い、隣町の病院へ運ばれた少年は意識こそないものの命を留めた。

 運転手もまた助かり、こちらは数ヵ月で退院するとのことだった。

 病室で名前を聞いた。羽鶴。寄宮羽鶴だと。

 

「はつる」


 ベッドへ横たわる彼にも、周りで話し込んでいる医師や両親にも、この声と姿は届かない。

 まるでいないもののよう、はじめから、この時代にはいないものであるけれど。


「目が覚めたら、羽鶴のものをひとつもらうよ。そうしたら、持っていく」


 病室を去った。誰も気付くものなどあるはずがなかった。

 籠屋への帰り道、血濡れのワンピースを嘲笑う黒い包帯に会った。全身を覆う黒、焼け爛れた臭い。お前か、と思った瞬間に、それは悲鳴にも似た鳴き声で叫んだ。すがるようにワンピースを握り締めて、「どこに」と。

 血の気が引いた。全部だ。全部まとめて引き寄せ刀になってやってきたのだ。

 それだけに留まらず、笑う鬼を見た。笑んで、引き寄せ刀を凪ぎ払い、千切れていったそれらを見るや可笑しそうに上げる笑い声。

 ――壊してしまった。


「宵、――宵」


 かける言葉に詰まった。闇色の鬼は優しく笑う。


「わたくしがはらってさしあげます」

「いい、宵は、もう入ってきてはだめだ」

「いいえ、さくや。さくやをとりあげるものあらば、わたくしが、さいてさしあげます。ぜんぶ、さくやがそうしてくれたよう」


 店主は言った。還るはずの命を掬い上げたのだから、私に願った時点であんたの手に負えることではない、と。

 全部巻き込んだと朝日に漏らせば、隣に座っていた彼女は、皆生きてるくせにしょげこむなと軽く背を叩くのだった。


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