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籠屋  作者: 天月ヒヨリ
二.花と貴方へ
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100.吾亦紅

 ぽつり、肌を弾いた雫に羽鶴が夜空を見上げると、厚く垂れ込めた雲が時折光り遠くの方から響いた雷鳴に思わず眉間に皺が寄る。


「魚の餌になるンだとよ」


 羽鶴の様子に苦笑した雨麟が、先程までいた川の方へ視線を遣ると幾つも浮いた花の薬玉が溶けながら沈んでゆくところだった。

 鎮魂の意味合いを持つ花の薬玉を雨が打つなど雨麟の覚える限りでは無かったが、川へ流した後なので咎めるものはないだろう。すんなりと付き合ってくれた羽鶴も一緒になって流してくれた。それだけで充分だと、むくれた横顔に眼を細める。


「雷雨とかきいてない」

「そだなぁ。花祭りで降るなンて珍しいンよ。店まで距離あっから歩いて行くかぁ。あ? 羽鶴何やってンだ?」


 天色の眼をまん丸にした雨麟をよそに羽鶴はもそもそと羽織を脱ぎだした。


「雨麟が濡れるから。着物、お兄さんにもらったやつだし」

「落ち着け気持ちだけで充分だから!! つつ兄も腰抜かすわそンなン!!」


 慌てて止める雨麟と別にいいのに……と顔に出ている羽鶴の髪にやんわりと乗っていた雨粒がふっと途絶えた。


「……?」


 羽鶴が見上げると番傘の黒い骨組みが伸びている。持ち手を青白い指が支えており、手首に浮き出た骨の先に白い着物が映る。どうも長身で、真っ白な帯がちらりと見えた程度である。しなやかに伸びる指がすす、と番傘を差し出すので、なんとなく受け取った羽鶴はお礼を言おうと口を開いたが声が全く出なかった。

 ばたばたと番傘を雨が打つ。羽鶴が隣の雨麟を見ると、見開かれた瞳が困惑の色を乗せていた。


「お前……」


 したたかに雨が打つ。羽鶴が視線の先を追うと、白い着物の姿はなかった。


「雨麟……?」

「あぁすまンな、ぼーっとしてたわ。礼言いそびれちまったな。帰らンと、この雨じゃあ寄り道は厳しそうだしよ」

「うん……?」


 訊かない方がいいだろうか。

 この人の深いところに、踏み入らない方がいいだろうか。


「羽鶴、あンがとな」

「うん」


 雨を避け足早に川辺を去る人々を見送りながら雨麟とひとつの傘に収まる羽鶴はぷらぷらとお土産の詰まった袋を揺らす。急な雨。花びらがたくさん降ってきて綺麗だったのに。はしゃぐ雨麟につられて二人で気になった屋台を覗いては互いに味見という名の半分ずつ違う味の屋台飯を食べてみたり。たまに茶化されたり。ほわりとした気分を雨粒が均していく。羽鶴がなるべく雨麟を濡らさぬようにしなくてはと下がり気味だった視線を前へ遣ると、川上からぽつりと流れてきた灯籠が映った。


「薬玉以外は流さないんじゃなかったっけ……?」

「ンン~? あーありゃあ古いのだなあ、いつだか流したような気も…………まァ一つだけだし、だいじょぶだろ。ところでよ、こないだへンな廊下の話虎雄に聞いたンよ。暖簾がどうのっていう。そしたら“もっぺン行くなら覚悟キめろ”、だとよ。そいつがなンなのかは俺にも話せねえンだと。付いてってやりてぇが、俺が付いてきゃ何も起こらねえと思う」


 雨麟が石ころをひとつ蹴った。叩きつける雨音の中へ消えた何処ともつかぬ地べたを見つめ、ふと羽鶴を見上げる。


「この雨だ。帰り道がてら話してこーや。誰にも聞こえやしねえよ」

「なんだかちょっぴりわるい雨麟を見た気がするなあ」

「うンやー多分よ、籠屋ン中で話すにゃあンましいい内容じゃねぇし、今ぐらいしか無えと思ってよ」

「え……?」

「ほら、ぽやぽやしてる。知りてえことから遠ざかるようになってる。なンかされたろ。多分それすら覚えてねえンだろうけど」

「…………、何かされたかなあ僕。ただ、何か思い出そうとすると、頭の中に靄がかかって――。何かを、伝えきれてない気がして。何度も、振り出しに戻る。そんな感じがする」

「強烈だなぁこりゃあ……。ほれ羽鶴、手ぇ出しな」


 言われるまま片手を差し出した羽鶴の手のひらに雨麟が指で何かを書き始める。するするとくすぐったい小さな指が最後に円を描くと、藍色で埋め尽くされた靄が少し晴れた。


 “振り向いてはならぬと申し上げましたのに”



 静かな、僅かに苛立ちを含んだ声が蘇る。


「……」

「…………。羽鶴、引き寄せ刀については、昔籠屋ン中で話し合った時にゃ追っかけられてる本人に近付けさせねえ、なるたけ夜には出歩かねえ、ってことになってる。俺らじゃできて追っ払うくらいまでなンよ。どうすりゃアレが消えンのか、わからンままでいるンよ。本人らが籠屋ン中に引き篭もりゃあ、手出しはできンかった。でも違った。客に乗っかるようになった。遂には中まで入って来た。羽鶴が訪ねて来たあの日、初めて籠屋の中にまで入って来やがったンだ」



『あれが羽鶴様を狙うのだというなら、大瑠璃を刺しにくる方が来たのだと思います。拐い元はわたくし以外には何もしないのですから』


 穏やかな声音が蘇る。

 そうだ。引き寄せ刀は二体いる。


「入ってこなかった方は……」

「……」

「籠屋に入ってきたのも、大瑠璃を刺したのも、僕を追いかけて追い払われたのも、おんなじやつなら……雨麟、もう一体、違うやつがいるんだ。多分、見たことはないけど……助けなきゃ、どっちも」

「羽鶴、そいつは見ちゃいけない。眼に映せば、相手からも見えちまう。こンな強烈に守らにゃならンほどのもン、誰にも背負い込ませたくねぇンだろう。俺は引き寄せ刀は一つの塊みてぇなもンだと思ってたよ。羽鶴の言う片割れにゃ見たことは無ぇが心当たりはある。羽鶴が来る前、宵ノ進にゃ変に波風立てるような客が多かった。怪我も多くてな。何度か気の狂った客の言葉を拾ったが、ありゃあ本人の言葉じゃなかった。想念のような。耐えてるうちによ、おかしくなっちまう。見てて思ったよ、ああこのロクなもンじゃねえのが引き寄せ刀なのかって。“追われるほどのことをした”って言われちまえば立ち入れねえよ、それ以上は入ってくンなって言われてるようなもンだから」

「でも……僕はこのままじゃいけないと思う……。昔からずっと今までどうしていいのかわからないまま他が無事ならいいってそれは……。雨麟! さっきのやつもう一度やって! 全部思い出したら何かわかるかも!」

「お断りですぅー! それこそ互いにアブネーわ。羽鶴を守りたくてやったことに対して俺が水差した時点でもう何だけど、きっと見ちまったから隠したンだろ。思い出せなくて結構、って話だと思うぞ。あと宵ノ進にシメられたくない」

「僕たまに雨麟の言う宵ノ進と僕の思うイメージとのかけ離れを感じるんだけどどこでそんな力で解決するようなところが出て来るんだろうか。……はぁ。……あ……? 僕見たのか? 自力で思い出せ~僕~」

「なンもなかったら隠す必要がないかンな。つぅか、俺がちょっかい出したくらいで全部思い出せるようなアレでもないんだが……そうだな、首突っ込むって決めたンだし、ほれ」


 雨麟が小指を伸ばして差し出すので、羽鶴はなんとなく同じようにして小指を伸ばしては絡めると明るい声が返ってくる。


「ゆーびきった!」


 言い終わると同時に小指を離されて取り残された心地の羽鶴はふと先日訪ねてきたドピンク頭を思い出す。あのゆるりふわりと何かをくるめてしまうような物言いが、今弟にもありはしなかったか。


「雨麟、今の何の約束……?」

「逃げ道に俺が居てやろうと思って」


 したたかに降り続く雨の中、晴れ間のような笑顔が返ってくる。


「安心しな、自棄じゃねぇから。やりてえようにやってみな羽鶴。きっと、今度は忘れねえから。そンでもって俺ンこと少しでも思い出してくれたら、嬉しーな」

「う、うん……? 雨麟のこと思い出すって、忘れるわけないじゃない」

「そだなー、ええと名前を浮かべるだけでもいいか俺の場合。頭ン中でも呼ンでくれたら。片割れの引き寄せ刀と対面されちゃあ困るけど、そンときゃそンときで。ン? なンだ? 自分が悪りぃみたいな顔しやがって。羽鶴は今、とても誰かの助けがたくさンいる時なンだよ。気にかけても、謝ることでも自分を責めることでもねえ。俺が羽鶴に会えて嬉しいから、手ぇ貸すとかそンな感じ」

「…………、雨麟、ありが、とう……」

「おうよ」


 雨粒が傘を打つ。行く手にぼんやり光る籠屋の提灯がもう暫くだけ遠退いてはくれないかと思ってしまう。雨麟との内緒話をあと少し、少しだけと。


「引き寄せ刀は、何がしたいんだろう」

「俺からすりゃあ、反吐がでる」

「わかれば、解決できるかな」

「敢えて考えないようにしたっていいンだぞ。羽鶴が羽鶴でいてくれれば、それだけで。……ええと、虎雄の伝言覚えてるか?」


 大門をくぐった雨麟が玄関の戸に手をかける。


「もう一回行くなら覚悟を決めてけ?」

「そ。腹ぁくくるか」


 がらっ。一気に玄関の戸を開けると雨麟の姿が消えた。

 見慣れた籠屋の広い玄関、受付。灯りの照らすどこにも姿が無い。


「うり……」


 振り向こうと考えた自分を抑える。知る程に制されてゆくような気がする。

 泥だらけの下駄と裾の先にはずぶ濡れの草履が揃えられており、たっぷりと雨水を吸った黒い鼻緒は乾けば青色なのではなかろうか。


(誰の……)


 羽織を畳み、裾の汚れた着物と足袋を脱ぐ。一言二言三言言われそうな、襦袢のまま上がるだなんて。本来なら、誰かがおかえりと言いながら、少し待たせて替えの着物やら手拭いやらで世話を焼くのだろう。本来なら。

 磨き抜かれた床に赤黒い血溜まりができている。点々と奥へ続くそれは追うごとに赤味を取り戻し、立ち入ったことのない小部屋の襖の前で途切れていた。


「……」


 羽鶴は引手に手をかけ一気に開いた。





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