92 大聖霊スサノオ
遠くから走ってきて感じた、ゾッとするほどおぞましい霊気に、遠目に見てもわかるほどおぞましい姿の巨大な聖霊。
手遅れだったかと思いましたが、なんとか、なんとか間に合ったみたいです。
月の瞳の狂気に堕とされたセレッサさんを、間一髪。
太陽の瞳の力でなんとか助けられました。
『おひょっ、ひょひょひょっ!!?』
ティアにおもむろに蹴り上げられたあの怪物。
モンスターか『歪んだ』悪霊にしか見えないけれど、赤い髪とキツネのお面、それからボロ切れみたいになった民族衣装から、面影がうかがえます。
そうでなくても『月の瞳』を使えているので、きっと気づけたと思います。
アネットさん、ですよね……?
どうしてあんな姿に……。
『ティア、あのヒト――』
「わかってる。私としても殺生は避けたいわ。出来うる限りの範囲内で、ね」
ティアが私の眠った体を、そっと地面に、しかし素早く横たえます。
「セレッサ。トリスの体をお願い」
「かまわねぇけど、ちょっと待て。少しは説明してからに――」
「時間がないの。アレが落ちてきちゃうから」
「ちょ、おい!」
困惑顔のセレッサさんを置いて、アネットさんめがけ飛び上がるティア。
説明不足にもほどがあるとも思いますが、一秒でも早くアネットさんを倒したいのでしょう。
なにせタントさん、あの聖霊とたった一人で必死に戦っているんです。
私たちが来たことにも気づかないくらい、必死に。
アネットさんが空中でくるりと回って体勢をととのえ、両手のひらをこちらにむけました。
手のひらにはなんと、目玉がぎょろり。
もちろん月の魔力を秘めた瞳でしょう。
しかしっ!
『おひょひょひょっ。満月の瞳!』
「ムダよ」
そうです、ムダなのです。
私が憑依したティアの目に『太陽の瞳』あるかぎり、月の狂気なんか届きません。
『満月の瞳! 満月の瞳! 満月の――』
「ムダだというのが聞こえないようね」
ティアが背中の十字架から、長剣を抜き放ちました。
あわい光をまとった霊気を刃にまとわせ、両手で一息に振りぬきます。
「ドライクレイア式葬霊術――魂削りの刃」
ズバァッ!!
半円を描きながら振るわれた長剣が、アネットさんを深々と斬り裂きました。
けどすごい、本人の体に傷ひとつついてません!
「今度は見様見真似じゃないわよ。練習したもの」
『お゛ひょ゛……っ』
バギャァ……!
追い打ちのかかと落としが容赦なく脳天に叩きこまれ、真っ逆さまに落下したアネットさん。
その体から魂が抜け出しますが、本人のものじゃありません。
『いぃぃ゛ぃいゃ゛あぁ゛ぁぁぁぁ!!!』
私にそっくりな女の子の魂が、絶叫しながら霊山へ飛んでいきました。
ルナの分霊です。
どうやら無事に切り離せたみたい。
着地したティアですが、そのまま一直線に聖霊とタントさんの方へ走ります。
アネットさんのことなんて気にもとめません。
なので私がしっかりチェック。
もう戦闘不能みたいだけど、怪物みたいな体が元に戻ってない……?
『ねぇ、テルマちゃん。あのヒトに何が起こったんだろう』
『テルマにもさっぱりです。さっぱりですが、まるで歪んだ悪霊でしたね……』
なんて話しているあいだにも、巨大な聖霊はもう目の前。
三本の腕を使ってタントさんをひたすらつかもうとしている聖霊ですが、接近するティアの姿をたくさんある目玉のひとつがとらえます。
すると腕の中の一本を、こっちにむけてのばしてきました。
一本、と表現してもいいのか、すこし疑問が残るところですが。
なにせ腕のいろんな場所からさらに腕、その腕からもさらに腕、と何度も枝分かれして、たくさんの腕がうごめいているのです。
見ているだけで正気が削られていきそうです。
「……来なさい、『サラマンドラ』」
パチンっ。
ティアが赤い棺を取り出し、たくさん足の生えたトカゲさんを呼び出します。
『汝が望み叶えたくば』
ズバァ!
『あびょ』
いつものようにノータイムで斬り捨てられ、剣が炎を宿しました。
迷わず聖霊の力を使うだなんて、それほどの相手、ってことだよね。
ティアをつかもうとする巨大な手。
ひらりとかわして、手のひらに飛び乗りました。
そして腕から生えてる腕のすきまを駆け抜けながら、流れるように長剣をふるっていきます。
「ブランカインド流葬霊術――焔獄の河瀬」
炎の斬撃で次々と斬り落とされていくちいさな腕たち。
もっとも相手は聖霊、すぐに再生されてしまいます。
ですが道を切り開くにはじゅうぶん。
肩まで一気に駆け抜けて、タントさんを攻撃している二本の腕を根本から斬り落としました。
「タント! このスキに離れなさい!」
「お、お姉ちゃんじゃん。すごいね、めっちゃ強くなってる!」
「……!?」
『えっ?』
『まさかタントさん、これってもしかして?』
と、ともかく今は退避優先。
腕が再生する前に、ティアとタントさんは聖霊から大きく大きく飛び離れました。
間合いの外に出たあたりで、あっという間に腕は再生。
あんなに大きな腕なのに、文字通りあっという間に生えました。
聖霊の中でも、格が違うとわかります。
しかし、しかしです。
どうしても気になってしかたないことが……。
気になるので、ティアの中からひょっこりと顔を出します。
『タントさんっ! もしかしてユウナさんの記憶もどりました!?』
「おぉわっ、誰!?」
『あっ、顔ちがう! 私です、トリスですっ』
「あぁぁ、トリスちゃん。うん、この子の中で寝てたときからなんとなく知ってる子。この子の妹なんだよね」
この口ぶり、なんだかタントさんじゃないみたい。
まさか記憶がもどったわけじゃなくて……。
『あ、あの、あなたってもしかして、ユウナさ――』
「トリス。雑談してるヒマなんてないわ」
『あぅ、ごめん……』
ティアにやんわり叱られちゃいました。
そうだよね、今は戦闘中だもんね。
「……まず、あの聖霊について教えてくれる?」
「『スサノオ』ってキツネ面は呼んでたね。アイツが封印を解いて、墓場の奥からよみがえらせたっぽい。そのキツネ面も、アイツにつかまれてバケモノみたいに変えられちゃった」
「スサノオ……ね。能力は人間を異形に変えること。把握したわ」
ユウナさんのこと、気になって仕方ないくせに、真面目なんだから。
私もこの間に、まわりの状況を確認です。
まずすみっこの方に、ガタガタ震えるメフィちゃん。
ケガはしていないみたい。
セレッサさんがそのそばに、私の体を抱えて移動しています。
安全な場所まで避難させたいのかな。
そしてです。
なんだか夢で見た覚えのある、白い巨人が半分になってうごうごしてるじゃありませんか。
『テルマちゃん……。夢で私を追い回したやつがいる……』
『本当ですか!? よくもお姉さまを……。許せません、今すぐ祓いましょう!!』
『も、もう動けないみたいだし。……でも、あれってやっぱり夢じゃなかった、ってこと?』
だとしたら、アレってどんな体験だったというのでしょうか。
私も知らない、『太陽の瞳』に秘められた力が暴走でもした?
さて、そんなことを考えているあいだにも、『スサノオ』がなにかをやり始めています。
地面に手首から先をうめて、なにかにぎにぎしてますが……?
『ティア、アレってなにしてるのかな……?』
「わからない。わからな過ぎてうかつに手を出せないのが困りものね」
まったく未知の聖霊だもんね。
にぎにぎをやめたかと思ったら、おもむろに腕を引っこ抜きます。
その手ににぎられていたものに、私とっても見覚えがありました。
……いえ、私だけじゃないでしょう。
この世界で生きているすべてのヒトが、日常的に目にしているものですから。
『な、なんで……っ、「マナソウル結晶」……!?』
「作り出した、とでもいうの……」
「あり得なくもないねー。人体をあんなふうに変化させるんだ。岩を『結晶』に変えるくらい……」
だ、だからって、『マナソウル結晶』といえば、結晶体がひとつ出てきただけでその場所をダンジョンに変えて、削られても無限に再生する謎の鉱石。
そんなもの、簡単に作られちゃったら世界が狂っちゃう……!
『ティア……! この聖霊、ぜったいに野放しにしちゃいけないヤツだ……!』
「えぇ、同感ね。必ずここで封印しなおさなければ」