87 太陽の瞳
トリス・カーレット、どうやら幽体離脱したようです。
なにがなにやらさっぱりですが、これはいったいなにが起こっているのでしょうか……?
「……ふっ、ふふはっ、あーっははははっ!」
「な、なにが面白いのっ」
「これが笑わずにいられる? だって私のために、わざわざ体をあけ渡してくれたのでしょう?」
「あ……」
そ、そうだ。
今の私の体は無防備。
テルマちゃんも私の魂と紐付けされてるから、魂がいなくなった体には憑依できない……はず。
だから神護の衣で守ることもできないし……。
「……え、えーっと。ちがうもんっ!」
けど、なんだかピンチな感じがしません。
今ならなんでもできそうな気がする……!
「ティア、私の目を見て!」
「……っ?」
狂気に侵されてボロボロのティアですが、きっと今の私なら。
視線を合わせてもらうと、思ったとおりのことが起きました。
「……狂気が、私の中で暴れ狂っていた『月の狂気』が消えていくわ」
「な、なんですって……?」
「やっぱりっ! この眼なら、月の瞳を打ち消せる!」
「まさか、そんな……。その輝き、『月』の光をも打ち消す輝き……! 『太陽の瞳』だとでもいうの……!?」
「すごいですお姉さまっ! あと本来のお姿もかわいらしい上にお美しいです! 二度美味しいですっ!!」
「あ、ありがと……」
「こんな、こんなこと認めない、認めない、認めない……! 私の体の中に残った力を使ううち、『成長』したとでもいうの……!?」
「――その通りよ」
ヒュバっ!!
復活したティアがすかさず斬りかかります。
剣閃がルナをかすめ、今度こそ幻覚ではなく本当に傷が入りました。
「トリスは成長しているの。星のまたたきが、日々形を変えていくように」
「……っ、黙れ……! 黙れ黙れ黙れぇッ!!」
黒いモヤが漏れる傷口をおさえながら、心底悔しそうです。
というか、なんだか様子がおかしいです……。
「認めない認めない認めないっ! 『ニセモノ』が『ホンモノ』を越えるだなんて絶対に、ぜったいにィィィィィィ」
黒いモヤが傷だけじゃなく全身から立ち込めて、渦を巻きながらルナの体中を覆っていきます。
これ、まさか、『歪み』はじめてる……!?
「ゼッタイにみとめナイィィィィィィィィ!!!!」
ブワァァアアァァァっ!!
まるで黒い竜巻です。
突風とともに全身をつつみ込んだ黒いモヤ。
しばらくして黒の渦が消し飛んだとき、そこにいたのはもう『ルナ』じゃありませんでした。
『ユルサナイ。ユルサナイユルサナイユルサナイ』
全身にくまなく、スキマなく目玉がついた怪物。
集合霊でもない人間が、あそこまで『歪む』だなんて。
どれだけの絶望と苦しみがあったのか、想像するだけで胸が痛みます。
ですが痛んでる場合でもありません。
全身目玉、つまり体のどこを見ても視線が『狂気の瞳』とかち合ってしまうんです。
『ユルサナイユルサナイユルサナイユルサナイカエセカエセカエセカエセカエセカエセ』
私の瞳で狂気を打ち消しても、すぐにまた狂気に侵される。
しかも今度のルナは殺意の塊です。
治してる間にやられちゃいます。
「ど、どうしよう、ティアを助けるには……!」
「お姉さま……、テルマもテルマでどうしましょう。お姉さまに憑依できず、これではただいるだけなのです……」
「……『憑依』? ――それだ!」
「えっ?」
「それだよ! 行こう、テルマちゃん!」
「えっ、ちょ、お姉さまぁ!?」
テルマちゃんの手をとって、ティアの方へと走り出します。
ぶつかりそうな勢いで、というかぶつかるつもりの全速力で。
「ティア、私を受け止めて!」
「トリス……? ……そういうこと。わかったわ」
大きく腕を広げるティア。
テルマちゃんを連れて、その胸に思いっきり飛び込んで――そのままティアの中へと入れました!
『や、やったっ、成功だよっ!』
『えっ、お姉さまティアナさんに取り憑いちゃったんですか!? しかもテルマまでぇ!!?』
テルマちゃんは私と魂の一部が結合しちゃってます。
だから思った通り、私といっしょにすんなり憑依できました。
『テルマちゃんは神護の衣を! 私はティアに――、私の「眼」をあげるっ!』
瞳に魔力を集中させる、いつもの開眼シークエンスを憑依状態で行います。
今回はいつも以上に、さっき新たに開眼したときを思い出して。
魔力をいつも以上にとびっきり、とびっきり集めて、熱く熱く燃やして……開眼!!
『太陽の瞳!!』
……成功したかな?
半透明の状態でひょっこり顔を出して、ティアのお顔をのぞきこむと。
やりました、成功です!
ティアの光彩が、まるで太陽みたいに燃えています!
「どう、どう? イイ感じ?」
「……えぇ、びっくりするくらいよく見えるわ。世界ってこんな風だったのね」
『でしょっ? それが私の、いつも見ている世界だよっ。ほら、テルマちゃんもいつもみたいにっ』
『わ、わかりましたよぉ。神護の衣っ!』
すべての霊的接触をはじき飛ばす透明な衣。
いつも私を守ってくれるテルマちゃんの衣が、ティアの体にかぶさりました。
神護の衣にそでを通したティア、なんだか新鮮な光景です。
『うん、これで完璧! 私たち、三人の力が合わさった!』
「いい判断だったわ、トリス。これなら――」
もう目をそらす必要、ありません。
太陽の光彩で、狂気をばらまく月の瞳の異形を見据え、ティアが双剣をかまえます。
「これなら、何にも負ける気がしない」
『カエセェェェェェェ!! ワタシノヲヲヲヲォォォォォ!!!』
目玉から大量の触手が飛び出して、こっちにむかってきました。
ですがティア、まったく避けようともしません。
する必要がないですから。
神護の衣で全ての触手が、ティアの体に届く前にはじけ飛びます。
「終わりにしましょう。この世をさまようあなたの旅路を」
狂気の瞳もまったく意味を成しません。
ティアの攻撃をはばむすべはなにもなく、
「ブランカインド流葬霊術――十字の餞」
ザンッ!
『ヒギャアアァァァァァァァアァァァ!!!』
異形は十字に斬り裂かれ、断末魔の悲鳴をあげながらしぼんでいきました。
「願わくば悲しき亡霊に、永遠の安らぎがおとずれんことを」
十字架の鞘に双剣を納めて、胸の前で小さく十字を切るティア。
みるみるしぼんでいった異形のルナは、『歪み』を吐き出したのでしょうか、元通りの姿にもどっていました。
草むらの上にうずくまって、泣きじゃくっています。
「……っ、どうして、どうしてなのぉ……! 私、私、ただ、返してほしいだけなのにぃ……!」
『ルナ……。ティア、もういいよねっ。私出ていくねっ』
「えぇ。私の役目は終わったわ。ここからはきっと、あなたの役目」
憑依を解除して、ティアの体から飛び出します。
おまけでテルマちゃんも飛び出しました。
「ねぇ、ルナ……」
そっとかたわらにかがみ込みます。
テルマちゃんがハラハラしながら見てますが、大丈夫。
もうルナから、暴れようって気持ちを感じません。
力だって使い果たしてしまった。
この子はもう、まるっきりただの子どもでしかありません。
「なによぉ、なんなんだよぉ……ッ!!」
「あの世に逝くの、イヤ?」
「イヤに決まってるでしょぉ!? とつぜん捕まって、殺されて、体を取られて、あの世に送られて……! やっとのことで戻ってきたんだもん!!」
「そっか……」
「なんで!? どうしてっ!? どうして私が殺されなきゃならなかったの!? どうしてあなたが私の体でのうのうと暮らして、そんなに愛されて、どうしてっ、どうしてなのぉ!! うああぁぁぁぁぁぁ……!!」
ズキズキと胸が痛みます。
私の体をあげたくなるほどに。
けれど、それはできません。
ティアもテルマちゃんも悲しむって、もうわかってるから。
それを避けるために体を張ってくれたティアを、裏切ることになっちゃうから。
だから、この提案しかできないかな……。
「……あのね、ルナ。もしよかったら私の――ううん、ちがうね。あなたの体に、私を同居させて?」
「――え?」
「お、お姉さま!?」
ルナだけじゃなく、テルマちゃんもビックリしてる。
そりゃそうだよね、いきなり同居人が増えるわけだし。
「どうかな……。それじゃあ、ダメ?」
「……」
どうだろう。
首をたてに振ってくれるかな。
「……イヤよ」
残念ながら横方向。
拒否、されちゃいました。
「イヤよ、イヤ! そんなの、ただの憑依霊じゃない! 私は生き返りたいの!! 体を取り戻して、命を取り戻したいの!! じゃないと、じゃないと私……」
ポロ、ポロ。
大粒の涙が、青い瞳からこぼれます。
「私、大人になれない……」
「ルナ……」
「ずっと、ずっと子どものまま……。あの体が手に入れば、成長できる。無理やり終わらされた人生の続きができるの……!」
どうしたら、どうしたらいいんだろう。
ホントに私で、この子を救ってあげられるのかな……。
かける言葉が見つからなくなってきた、そのときでした。
「あぁ、皆さん。そしてルナ様。ようやく見つけました……っ」
なんと、この場に予期せぬヒトが現れたんです。
レスターさんです。
レスターさんが息を切らして、森の中から走ってきたんです。