86 星の瞳と月の瞳
ルナの光彩が、月の形に変わりましたっ!
で、ですが満月じゃないみたい。
目のはしっこでしか見られませんが、三日月っぽい形です。
「三日月の瞳」
「そんなもの、直視しなければ――っ!?」
な、なんとです。
ルナが2人に増えました。
いいえ、2人じゃありません。
4人、8人、16人と、どんどん、どんどん増えていきます。
「な、なんでっ!? ティアも増えて見えてたりするっ!?」
「えぇ、増えてるわね……。これは……」
「狂気に堕とす瞳はね、あまりに強力な効果だから、直視させなければ効果がないの。しかしそれほど強力でない幻覚を見せる程度なら、直視させるまでもない。視界のはしに入れただけでも、なんなら空間に『力』として設置するだけでも効果を発揮する」
ってことは、古戦場で見たあの幻覚。
兵士さんの幽霊が襲ってきた設置型の幻覚トラップも、『月の瞳』の力だったんだ……!
「さぁ、わかる? 本物の私がわかるかしら」
「わからないでしょう? もしかしたら本物なんていないかも」
「こうしてあなたを煙に巻いて、逃げちゃうつもりかもしれない」
「それともそれとも、突然幻覚を解除して、目の前にいた、なんてことも」
「うふふっ、さぁどうする?」
ティア一人なら、まずい状況だったでしょう。
こういうときこそ私の出番。
しっかりお役に立ってみせます。
天河の瞳を解除して、そのぶんの魔力を使って……開眼!
「綺羅星の瞳っ!!」
さぁ、これでバッチリ!
幻覚なんて見破って、本体の位置をティアに教えてあげ、れば……。
「……っ、ど、どうしてっ!?」
どうして、幻覚が消えないの!?
きちんと綺羅星の瞳を発動しているはずなのに!
古戦場での幻覚と同じなら、これで見破れるはずなのに……!
「残念だったね。真昼の太陽が照らす中、しかも設置して日が経った幻覚ならいざ知らず」
「月の夜、魔力が満ちるこの夜に、『星の瞳』が『月の瞳』に勝てる道理は存在しない」
「なぜなら星明かりなんて、月明かりよりずっとずーっと弱いから」
「満月の夜、星の光を月明かりがかき消すように。あなたの瞳は私に対して無力なの」
「そ、そんな……っ」
つまり私、ホントのホントに役立たず……。
こんなんじゃ、ティアの助けになってあげられないよ……っ!
私の力、星の瞳じゃ月の瞳は打ち破れないだなんて。
このまま黙って見ていることしかできないの……?
「っくふふ、悔しそうね。体を返すと言うのなら、あなたの大事な葬霊士さんは狂い死にせずにすむのだけれど?」
「……っ、ぅく、ティア……っ」
「トリス、ダメよ。言ったでしょう、安心して見ていなさい、って」
「う、うん」
自信あるみたいだけど、でもティアの感知力ってEなんだよね。
なにか考えでもあるの?
それとも、ただ私を幽霊に戻したくないからムチャしてるだけ……?
「賢い選択とは言えないね。気が変わったらいつでも言って? 私の目的はあなたの肉体。誰かを殺すことじゃないんだから」
「あなた、この私を殺せる気? 笑わせるわね。大僧正の婆さんから逃げ出した分際で」
「……よっぽど狂って死にたいみたいね」
あわわ、怒らせちゃってるよぉ……。
ちゃんと勝算、あるんだよね……?
分裂したルナたちが、ティアのまわりをぐるりと取り囲んで、ジリジリ距離をつめてきます。
あの中に本体がいるのか、それとも全部幻覚なのか、それすらわからない。
そんな中、ティアは静かに目を閉じました。
「あらあら、観念したのかな」
「幻覚の中ならば、目を開けていてもしかたないでしょう?」
「愚かだね。まぶたを閉じる程度じゃ、対策にもならないのに」
そうだよぉ、ティア。
もしかしたら『心眼』ってやつをやりたいのかもしんないけど、ティアの感知力Eだよ?
ルナの分身がいっせいにおそいかかってくるけど、ほら、まったく反応できていません。
身じろぎひとつしないまま棒立ちのティアに、ルナが霊気をまとった光弾を放って……。
……すり抜けました。
あとから来るルナたちの攻撃も、ぜんぶティアをすり抜けて。
そしてなんにもないタイミングで、とつぜんティアが身を伏せたんです。
「な、なんで……っ!?」
霊気で拳を覆ったパンチを空ぶった状態のルナが姿を現しました。
きっと動揺のあまり、でしょう。
「目を閉じたのはね、肌の感覚に集中するためよ」
ヒュンッ!
鋭く振られた双剣の片割れ、その切っ先がルナの腕をかすります。
傷口から立ち上る黒いモヤ。
ティアが先手を取りました!
「『月の瞳』に、私がなんの対策も取ってこなかったと思う? 普段以上に霊の存在に反応するマントを作ってもらったの。あまりに敏感すぎて、普段使いにはむかないけれど」
「マント、ですって……!?」
「ピリピリと静電気が起きるのよ。まるで羅針盤のように、あなたのいる方向が……いいえ、羅針盤以上ね。距離まで手に取るようにわかる」
そっか、いくら幻を見せたとしても、本体はひとり。
マントに幻覚なんて見せられないからね。
これはチャンスです。
「さぁ、一気にいかせてもらうわよ」
「……っ、させない!」
ルナはすぐに姿を消して、分身がいっせいにティアを襲います。
だけど目をつむったままのティアは、まったく動じずなにもないはずの場所へ一直線。
「終わりね」
ズバァッ!!
なにもない空間を斬った、と思った次の瞬間。
「あ゛、うぅ゛……っ」
胴体を深々と斬り裂かれたルナが、よろめきながら姿を現します。
モヤモヤになるかならないか、ギリギリのダメージ。
勝負ありです。
これ以上の攻撃は必要ないでしょう。
「な、ぜ……っ。なぜ……っ、こんな……」
「恨むなら私を恨みなさい。トリスへの分も全て私にむけながら、あの世に逝くがいいわ」
目を開けて、切っ先を突きつけるティア。
トドメを刺すつもりなのかな。
私、あの子と話したい。
止めた方がいいかも――。
「なぜ、こんなにも簡単なのかしら」
「……っ!?」
き、消えました。
ルナがまるで幻のように消えて、次の瞬間。
ティアの目の前で、無傷の状態で、目をのぞき込んでいたんです。
「『満月の瞳』」
「――っ、あ、ぐ……っ」
「ティア!!!」
悲鳴に近い声が、私の口から飛び出します。
満月の光彩、ヒトを狂気に陥れる直視の魔眼を、ティアが、まともに見て……!
「あー、引っかかった引っかかった。面白いくらいにハマってくれた」
「あ゛……っ、あぁ゛ぁっ、あぁぁ゛ああ゛ぁぁぁ……!!」
「ど、どういう、こと……? なにが、起こっ……」
「……幻覚がおよぶのは視覚のみ、なんて誰が言ったのかしら」
「……っ! ま、まさか……っ」
「そのまさか。『月の瞳』の起こす幻覚は、あらゆる五感に作用する。あの葬霊士が肌で感じていたとかいう、私の気配とかいうものも、全て幻覚の産物だったの」
「そんな、そんなそんなそんな……っ」
絶叫しながら地面をのたうち回るティア。
また今度も、腕を落として正気に……?
でも、腕のいい治癒術師さんが霊山にいなかったら――。
「あぁ、そうそう。今回は分霊の劣化した瞳じゃない。腕を切断するショック程度で、正気に戻れると思わないことね」
「……っ、こんなの、いや、いやぁ……っ!」
『お姉さま、お気をたしかに! まだ、まだきっと方法が……!』
「今すぐ、今すぐ解除して! 体、返すから! あなたに返すからぁ! だからティアを殺さないで……!」
『お姉さまッ!!』
「っふふ、賢いね。じゃあ早く返して? ……と言っても、どうやって返すつもりかな」
「そ……っ、それは……」
「あなた、自由に体から抜け出せる? 抜け出せないよね? つまり『ツクヨミ』が必要。さぁ、持ってきなさい。大僧正もあなたの頼みなら聞いてくれるはず。それまで狂気の進行は、この段階で止めておいてあげるから。さぁ早く」
「……っ、ぅぐっ、そ、それでティアが助かるなら……」
『ダメです、お姉さま! 考え直して!!』
「でも、テルマちゃん……っ」
「ト、リス……っ!」
「ティアっ!?」
「トリス、ぁぐっ、安心、なさい……! あなたは、ぁ゛っ、ああぁ゛ぁあ゛っ、はぁ、はぁっ……、私が、守る……っ」
ティア、あんなにボロボロなのに、私のためにだなんて……。
ホントに私、ずっと守られてばっかりだ。
だから私も、私だって守りたい……!
このままルナの言いなりになって、『ツクヨミ』を差し出すことがティアを守るってこと?
ちがうよね。
私も無事で、みんな無事で終わらせることだよね。
だったら私……!
「今度は……っ! 今度は私が、ティアを守るっ!」
カッ!
「な、なに……っ!?」
ルナがひるみます。
私も内心ひるみます。
なんか一瞬、あたりが昼間みたいに明るくなったからです。
そのあと、光がやんだかと思うと。
とさっ。
「……ふぇ?」
私のうしろで、私が座り込んでいました。
魂が抜けたみたいにへたり込んだ私がいます。
「トリス・カーレット……。なんなの、あなた……。その姿、その瞳は……」
「えっ? ……えっ?」
「お姉さま? お姉さまなのですか?」
「えっ!? テルマちゃんまでどうしたの……?」
ルナもテルマちゃんもビックリしてます。
テルマちゃんの瞳にうつった顔を見て、私もまたビックリです。
「こ、これ、私……?」
赤い髪に黄色い瞳。
そこはいつもの私なのですが、すこし顔立ちが違っています。
あと髪型も、肩まで下ろした感じです。
「お、お姉さま、もしかして魂抜け出ちゃってますか!?」
「……ぅえぇっ!!?」
私、幽霊に戻っちゃったってこと!?
それとも幽体離脱というやつでしょうか。
けれど一番の驚きは私の瞳。
いつもの星の瞳じゃなない。
月よりもなお明るい、まるで『太陽』みたいな輝きを宿していたんです。