79 それは夢か現実か
テルマは幽霊ですから、寝る必要がありません。
だからといって皆さまが寝静まっているあいだ、ヒマしているわけでもありません。
むしろ皆さまが……いえ、お姉さまがお休みなさっているこの時こそ、お楽しみの時間なのです。
「お姉さまぁ、むふふ……」
お姉さまの寝顔を独り占めする至福のひととき。
朝が来るまでじっくり眺めつつ、枕についた頭髪を一本、拝借させていただきます。
「はぁ……っ、お姉さまのお髪……。今日もつややかで美しいですぅ……」
感触を楽しみつつ袖の中にしまって、次は匂いを堪能するとしましょう。
まずはどうしますか。
首すじに顔をうずめるべきか、お布団の中にもぐりこんでスンスンするべきか。
それが問題です。
「……よしっ、まずは首すじですね。軽いジャブから入りましょう」
前菜からじっくり楽しんでいく方向で決定です。
さぁ、お姉さまのお美しい首に鼻を近づけて……。
「……んぅ? お姉さま、やけに肌がしっとりしてますね」
水もはじくような玉の肌、などではありません。
寝汗です。
じっとり寝汗、かいてます。
寝心地、悪いのでしょうか。
だとしたらお姉さまの快適な睡眠のため。
テルマ、力を尽くします!
「きっと熱いのでしょう。まずお布団をひっぺがすべきでしょうか……。それともパジャマの胸元をゆるめるべき……? いっそ一糸まとわぬ姿に――いいえ、それではお風邪を召してしまいます」
あれやこれや、お姉さまのためにさまざまなプランを練りに練っていたその時です。
「う……っ、うぁぁぁ……。はぁ、はぁ、うぁぁぁぁぁ」
「お、お姉さま……っ!?」
大変です、うなされています。
首を左右にふって、苦しそうに呻かれています!
おいたわしや、お姉さま。
今テルマが、悪夢の世界からお救いいたしますよ!
「お姉さまっ、お姉さま、大丈夫ですか!? 起きて、起きてください!!」
「うぁぁぁ……。ぁぁぁぁ! うあぁぁぁ!!」
「お姉さまっ!」
ゆさゆさ揺らしてみますがダメです。
揺れるのは頭と髪とお胸のみ。
意識をちっとも揺り起こせません。
「あぁ、あぁぁ! やだ、やだ……。殺さない、で……ぇぇ!」
「お姉さま……! あぁ、どうしましょう……。お姉さまがこんなに苦しんでいるのに……!!」
「ん、んん……。テルマ、うるさい。ハッスルしすぎよ……」
「あぁっ、ティアナさん、よかった……! テルマ、ハッスルなんてしていません。お姉さまがうなされておられるのです!」
「うなされている……?」
「ただごとじゃないうなされ方なので、起こそうと努力しているのですが起きなくて……」
「あぁぁ、いやだぁぁ……! たすけて、テルマちゃ……、ティア……」
「……たしかに、ただ事じゃなさそうね」
あぁ、夢の中でテルマたちに助けを求めるだなんて。
なんとかして悪夢の世界からお救いしたい……。
「お姉さま、テルマもティアナさんもここにいます。だから大丈夫です……!」
声をかけてはげましますが、お姉さまはうなされたまま。
いったい、いったいどうしたら……。
★☆★
「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」
息が切れる感覚。
肺が締め付けられる圧迫感。
体中の筋肉にたまる疲労。
これが夢なら、現実ってなんですか?
白い巨人から必死に逃げながら、そんなことを思ってしまう私です。
『まぁぁぁってぇぇぇ。きいろいの、かくにぃぃん』
「持ってない! そんなの持ってないぃ!!」
あんな大きな体なのに、移動速度がかなり速い。
全力疾走じゃないとすぐに追いつかれてしまいそうです。
けれど私の体力で、全速力が長く続くはずもなく……。
ズザッ……!
「あぁうっ!!」
足がもつれて、転んでしまいました。
痛い。
痛いけど痛がってる場合じゃない。
早く起きて、立って、逃げないと、じゃないと、じゃないと……っ。
『つぅかまぁえたぁぁ』
むんず。
「ひぃ……!」
足首を、二本の真っ白な指でつままれた。
指なのに私のふとももより太い指。
力を入れられたら、骨くらい簡単に砕かれてしまいそうな――。
『もう、逃げちゃだぁめ』
ボキッ。
「いっ――。ああ゛あぁ゛ぁぁぁ゛ぁぁぁぁあ゛あぁぁ!!!!!」
衝撃と音から、すこし遅れて。
意識を吹き飛ばすような激痛が全身を走り回る。
折られた。
足を、折られた……っ!
『これで、よぉし。逃げられなぁい』
「い、だぁぁい……っ、ひっ、ひっぐっ……、どうして、どうしてこんな……」
『きいろいの、もってない? もってない、だめぇ』
「わかんないっ、わかんないわかんないわかんないぃ!!」
『かくにん、するぅ』
おっきな手が私のほうへのびてくる。
確認、って、なにをするつもりなの……?
いやだよ、怖い、怖い……っ。
「やだ、やだぁっ! 殺さないで、殺さないでぇ!」
もうわけがわからなくなって、気づけば必死に頭を左右にふりながら命乞いしてた。
けれど巨人の手が止まることはなく、私の体をわしづかみにして、もう片方の手を頭にそえて。
「いやだ……。助けて、テルマちゃん、ティア……」
『かくにぃん』
……あれ?
巨人の瞳にうつってる私の顔、わたしじゃない?
そっか、わたしじゃないんだ。
これ、わたしじゃない。
だったらへいき、わたしじゃないからへい
ぐちゃっ。
「あ゛」
★☆★
テルマが騒いで起こされて、普段なら怒っていたところだけれど。
たしかにこれは、ただごとじゃないうなされ方ね。
「トリス、トリス」
ゆすっても起きない。
だったら無理やり体を起こせばどうかしら。
ベッドと背中のスキマに手を差し込んで抱き起こしてみる。
「トリス、起きなさい。トリス……!」
しかし反応なし。
これはどうしたものかしら……。
黙って見ているわけにもいかず。
いっそユウナ――じゃない。
タントにも協力してもらおうか――。
と、考えていたら。
「――っあ」
トリスが、とつぜんに目を開けた。
本当にとつぜん、なんの前触れもなく。
「……あ、あっ、私……?」
「お姉さま、テルマです! わかりますか!?」
「え、あ、テルマ、ちゃん……? それに、ティア……?」
「えぇそうよ。悪夢でも見たの? かなりうなされていたけれど……」
「あ、足、無事……。体、頭も、なんともない……。そっか、やっぱり夢……。夢だった……。よかった……。あは……、あははは……っ」
表向き笑ってはいるけれど、涙が目からポロポロとこぼれ落ちている。
痛々しくて見ていられないほどに。
「トリス、もう大丈夫よ。大丈夫だから」
震えるトリスの体をそっと抱きしめて、頭をなでる。
この子のキレイな瞳に、みるみる涙がたまっていって……。
「う……っ、ぐすっ、ひぐっ! ティア、ティアぁぁ……!!」
「お姉さま、テルマもいます。ですからもう怖くありませんよ」
テルマも後ろから抱きしめて、二人ではさむ形になったわね。
この方がこの子も安心するでしょう。
「ありがと……っ、テルマちゃ……っ、私、私……っ、すっごく怖くて、夢なのに、怖くて、痛くて……ぇっ」
泣きじゃくるトリス。
ただの夢にしては、あまりにも心が疲弊し過ぎている。
けれど、今は詳しく聞けるタイミングじゃないわね。
落ち着くまで抱きしめていてあげましょう。
数分後。
泣き止んだトリスが照れくさそうに顔を上げる。
よかった、落ち着いたみたい。
「えへへ、ご心配おかけしました。夜泣きで二人を起こしちゃうなんて、ちっちゃい子みたいで恥ずかしい……」
「いいんですよ、お姉さま。ここまでいろいろありましたから。変な夢だって見てしまうでしょう」
「……もしよければ、どんな夢だったのか教えてくれる? よければ、でいいのだけれど」
「どんな夢、かぁ。うーん……。石造りの、暗いダンジョンの中にいてね?」
首をひねって、ぽつぽつと話し始めたわね。
底抜けな、狂気に等しいポジティブさを持つこの子だけに、立ち直りも早いみたい。
「そこ、檻がたくさんあって、聖霊が一体ずつ入っててぇ」
「……なんですって?」
「へぅっ!? ティア、どうかした?」
思わず耳をうたがう。
だって、『その場所』に心当たりがあったから。
……いえ、まだ偶然の一致かも。
「……なんでもないわ。続けて」
「う、うん。それでね、怖くて逃げようとしたら、真っ白な巨人が出てきて……。なんかね、『黄色いの持ってないか』って言いながら追いかけてきて……」
「黄色いの……」
「こ、怖いですね……」
「怖かったよぉ。それで逃げたんだけど、転んで、つかまっちゃって、こ、こっ、ころっ、され……っ」
「もういいわ。話してくれてありがとう」
「あ、うん、最後まで話したから……。夢なのにね、いろんな感覚がリアルで、痛かったりしたの。もう寝るの、怖くなっちゃった……」
よほど怖い夢だったのね。
眠ることに恐怖をおぼえるほどに。
「お姉さま、心配いりません! 今度怖い夢を見たら、テルマが夢の中へ助けにいきます!」
「テルマちゃん……」
「こうして手をにぎっていれば、ずーっとくっついていれば、必ず助けに行けますからっ」
手をにぎる……。
たしかに他人のぬくもりを感じていれば、安心して眠れるかもしれないわね。
テルマにならってもう片方の手をにぎってあげましょう。
「あ、ティアも……」
「私も、助けに行くわ。これで安心して眠れるでしょう」
「うんっ」
よかった、やっと笑ってくれたわね。
それから少しして、横になった私たち。
両側から二人ぴったりとくっついて手をにぎっていると、じきに静かな寝息を立て始めた。
よかった、今度はうなされていないみたい。
……それにしても。
正直、驚愕しているわ。
トリスが見た夢の風景に。
『ツクヨミ』が封印されるはずだった、『聖霊の墓場』。
あそこの様子と、まるっきり同じだったのだもの。
違いと言えば聖霊の状況。
牢に閉じ込められているさらにその中に、赤い棺が厳重に封印されて納められている。
それと、白い巨人なんてものも存在しない。
少なくとも、私の知る範囲では。
ただ奇妙な点もあって、『墓場』に入るときには大僧正の霊力が込められた『黄色い札』を持ち込む決まりになっているの。
禁を破った者がどうなるのか、一切聞かされていないのだけれど。
(トリス……。あなたの体験、本当に夢だったのかしら……)
……それに、目を開けた瞬間のほんの一瞬。
トリスの瞳の光彩が、太陽のようにまばゆく光って見えた。
あれはいったい……。