72 思い上がりの末路
するどい爪が肉を裂き、牙が柔肌を貫いて、内臓を引きずり出す。
まさしく猛獣の捕食シーンが、目の前で展開されています。
「やめ゛ェっ、ぶぼぉぉ!!」
口から血を霧吹きみたいに吹き出しながらうめくモナットさん。
カーバンクルは口の端から腸を垂らして、おいしそうにむさぼり喰っています。
あまりの光景に、体の震えが止まりません。
「ど、どうして……? 聖霊、コントロールできるはずなんじゃ……」
「やはり、ね。人の身で聖霊を意のままに操るなんて不可能よ。おそらく彼女は勘違いをしていたのでしょう。自分の持つ能力か、もしくは技術に対する、なにか致命的な勘違いを……」
その結果、聖霊の怒りに触れたっていうの……?
怖い、怖いよ……。
怖いけど、きっと私よりずっと怖い思いをしている子がいる。
「あ……、あぁ……」
フレンちゃん。
きっとこの子もこうして死んだ。
目の前の惨劇は、自分が死んだときの光景を思い起こすに充分だと思う。
「フレンちゃん、見ちゃダメ……!」
「う、うん……」
衣が展開中だから抱きしめるのはムリだけど、せめて前に出て、カベ代わりくらいにはなれるから。
「あ゛、ぎょ゛……ぼ……」
内臓を食い荒らされながら、言葉ですらない『音』を漏らして、とうとう絶命してしまったあのヒト。
死んだ以上、魂が抜けだしてきたわけですが……。
「……あ、あ゛ぁぁぁ゛ぁッ!! 死んだ! 私死んだ!! ど、どうして、どうしてよカーバンクル! ご主人様に対して――」
ガシィッ!
「……え?」
「ぎゅきょぇっ」
モナットさんの霊の頭をわしづかみ。
この期におよんで主人面する相手をあざ笑うかのように、聖霊の口元がニヤリと歪みます。
そして……。
「待って、冗談だよね、まさか魂まで――」
「がぁあぁあぁぁ」
「いっ、いああああ゛ぁぁぁあぁぁ゛ぁあぁ゛ぁぁ!!!」
ガブッ。
ゴリ、ゴリ、クッチャクッチャ……。
頭から丸かじりにされて、噛み砕かれ、咀嚼されていきます。
あの世に逝くことすら許されず、カーバンクルが倒されない限り永遠に、腹の中で苦しみ続けるのでしょう……。
『食事』を終えたカーバンクルは、私たちになんの興味も示さずにどこかへ走り去っていきました。
追いかけたいところですが、ティアの体力も限界のようです。
「……ティア、ひとまず休もう? きっとアイツ、お腹いっぱいだからヒトを襲ったりしないはず。一晩休んで、それから探しても遅くないよ」
「えぇ……。そうね……」
それにしても、ティアがこんなに消耗するなんて、とんでもない敵でした。
さすが五席のジャニュアーレさんを簡単に殺しちゃった相手――と言いたいところですが。
(なんだか、違和感なんだよねぇ。顔はそっくり同じだけど、表情とか口調とか、なんか違うような……?)
もっと物静かな印象だったんですよね、記憶の中のあのヒト。
いったい、どういうことなんでしょうか……。
★☆★
月が沈んで日が昇り、翌日になりました。
昨夜の戦いの直後はボロボロのグロッキーだったティアですが……。
「もっもっもぅ。中央都にょふぁん、やっふぁりおいひいわ」
元気いっぱい、食欲もいっぱい。
お口のなかいっぱいにパンをほおばって、さらなる元気を得ようとしています。
「ティアってば、相変わらずの食べ方だなぁ……。そこがかわいいんだけどね」
「っ!? テルマもマネした方がいいですか!?」
「テルマちゃんはそのままお行儀よく食べるのが、いちばんかわいいかなぁ?」
「そ、そういうものなのですね」
納得して、私が供えたパンをちぎって食べるテルマちゃん。
すぐに対抗意識を燃やすトコも、またかわいいっ。
そして今朝は、私がお供えものをする幽霊さんがもうひとり。
「うふふっ。三人とも、本当に仲がいいのね」
フレンちゃん。
じつはまだあの世に帰っていません。
昨日、カーバンクルが逃げ出した件のあと、「あんなことがあったのに、見届けないままじゃ安心して戻れないよ」と、ごもっともな意見をいただいたので、送還を待ってもらっています。
「私がいなくなったあともトリスちゃんが楽しくやれてるみたいで、なんだか安心しちゃった」
「まぁねっ。楽しいことだけじゃなくって、他にもいろいろあったけど」
ホント、フレンちゃんが死んじゃった日からいろんなことがありました。
けれどいろいろ乗り越えてきた。
これからも乗り越えていけると思います。
さしあたって乗り越えるべきは、逃げたカーバンクルを追いかけること。
野放しにしておけないし、捕まえてモナットさんの魂を分離させられれば、いろんな情報が得られるはず。
……話ができる状態なら、の話ですが。
「うん、でもまぁなんとかやってきたから。今回も絶対なんとかなる、だよっ!」
「ふふっ。これでひとつ、心残りが無くなったかな」
「ひとつ、ってことは、他にもあるんだね……」
「……まぁ、ね」
「お兄さんのこと……とか?」
「……! 兄を知ってるの!? 教えたこと、たしかなかったはずだよね……?」
フレンちゃん、ビックリしてるなぁ。
思えばこの子、自分の身の上とかあんまり話さなかった。
「じつはね、この中央都にはもともと猫探しで来ててね」
「猫探し」
「そっ、猫探し。それで猫を探しているとちゅう、星降りの洞窟でバッタリ会っちゃって」
「あの洞窟で……。そっか、あそこで、か……。兄さん、やっぱりまだ私のこと……?」
「気にしてた、かな……」
ここは、あえてにごします。
自分を連れ戻すためにあの世に行こうとまでしていただなんて、知ったらショックが大きすぎるだろうから。
それこそ『未練』が出来上がっちゃう。
「そう、なんだ……。やっぱりまだ、心の整理がついてないんだね……」
「で、でも大丈夫! 私たち、しっかり知り合いになったからさ。お兄さんのこと気にかけておくから。ねっ?」
「……ありがとう。トリスちゃん、優しいね」
二コリと笑顔をむけられて、すこし胸が痛みます。
ホントは『ツクヨミ』なんて、ちょっと怪しい団体に所属していて、私たちから疑いの目をむけられているだなんて。
そんなこと、ぜったい教えられません。
さて、食事が終わっていよいよ行動開始。
カーバンクルが広い広い中央都のどこに隠れひそんでいるのか、普通なら地道に探すところですが……!
「見ててね、フレンちゃん! 成長した私のこの力を……!」
「おぉ? わくわく……」
むふふふふんっ、目にしてしかと驚きなさい。
久しぶりに使います、この大技!
瞳を閉じて魔力を集中させて、させて、させて……、極限までため込んで……開眼!!
「天河の瞳っ!!」
私の瞳はいま、満点の夜空に輝く天の川のごとく、キラッキラな光彩へと変わったことでしょう。
頭上に浮かぶ魔力球に、中央都全体を詳細にしめした立体マップが映し出されています。
リアルタイムで動くたくさんの人の黄色い点。
さまよう霊の黒い点。
そしてひときわおぞましく、黒く渦巻く黒点こそが……!
「見つけた! 南東の路地裏、ここにカーバンクルが潜んでる!!」
「さすがね、トリス」
「とってもすごいです、お姉さまっ。一瞬で見つけちゃいましたっ」
いつもの二人にほめられて鼻高々な私。
さてさて、フレンちゃんの反応は……?
「……………………」
……口をぽかーん、と開けて、固まっちゃってました。
「あの、フレンちゃん……?」
「……トリスちゃん。こんなことできるようになったんだ」
「えっ、う、うん」
「……すごいよ」
な、なんとじんわり涙が浮かんでいます。
感涙ですか、そんなですか!?
「なんだか、嬉しくなっちゃって……。すっごく頑張ったんだろうなぁ、とか……」
「あわわっ、泣かないでぇ!」
「うん、うん、そうだね。はやく聖霊、捕まえにいかないとね」
ふぅ、なかなか焦りました。
さて、気を取り直していきましょう。
聖霊捕獲大作戦、開始です!
★☆★時はさかのぼり、昨夜。モナットの死の直後★☆★
分霊が戻ってきた。
ということは、あの子がやられたってことかな。
自分の片割れを取り込めば、何が起きたかすぐわかる。
同化した瞬間、モナットの身に起きた出来事が流れ込んできた。
『……なるほどね。ブランカインドの葬霊士、やっぱり一筋縄じゃいかないか』
私の取り戻したいモノのそばには、常にあの葬霊士がいて、執拗に守っている。
きっと『中身』を愛しているのだろう。
『しかしなさけない。失敗しただけでなく、聖霊に殺されるだなんて。あなたの「妹」、お粗末にもほどがあるわ』
部屋のすみ、カベにもたれかかった『彼女』に、八つ当たりまがいの言葉を投げつける。
じっさい、無様な失態以外のなにものでもないのだけれど。
「妹が愚かだなんて、今さらね。幼いころからうんざりするほど見せられてきたから」
『キツネの仮面』の下からもれるくぐもった声からは、あきれの色が聞き取れた。
私と同じ『目』を共有している彼女には、私と同じものが見えているはず。
説明するまでもなく、なにが起きたか把握している。
妹が死んだにもかかわらず、顔色ひとつ変えないだなんて。
頭のネジが数本飛んでいるとしか思えないね、この『部族』。
「そう、妹は思い違いをしていたの。『聖霊』様を従えようだなんて、とんだ思い上がり。あくまでも利害の一致で協力してくださっているだけなのに。そこをはき違えていた以上、遅かれ早かれこうなることはわかりきっていた」
『あなたはちがうのね、アネット?』
「えぇ、ちがう。この身すべてを聖霊様にささげる贄と心得ているわ」
『仮面』を取った彼女の顔は、モナットとまったく同じ顔。
発する声もそっくり同じ。
しかしまったく異なるしぐさと口調で、彼女は答える。
これなら期待できるかな?
あなたはガッカリさせないでね、『協力者』さん。