71 清廉なる癒し手
ズボッ、と剣が抜かれ、モナットさんがうつ伏せに倒れます。
そしてティアも、苦しげに膝をつきました。
「ティアっ!! 正気に戻れたの!? 大丈夫だったの!!?」
「大丈夫、ではなかったわ……。狂気に侵されて、あやうく正気を失いかけていた……。けれど、もっと大きなショックをあたえればかき消せるんじゃないか、と考えて、一か八か……」
そこで言葉を区切って、すこし離れた場所へ目をむけるティア。
私も視線を追って、
「え――」
そこに転がっている、切断された右腕を目にしました。
キレイな断面から流れ出した血が、大きな血だまりを作っていて……。
「ティア……? ねぇ、コートの下。腕、見せて……?」
「……」
スッ、とコートを脱ぐと、思ったとおりでした。
腕が、ありません。
「……ウソ。ウソウソウソ! なんで、どうしてっ、自分で斬ったの!?」
「背に腹は代えられない。斬ってなければ正気に戻れず狂い死にしていたわ……。それに――」
何かを言いかけたところで、倒れていたモナットさんがピクリと動きます。
それからガクガクと震えだして、
「あぁっぁぁ、あぁぁぁぁ……」
まるで狂気に苛まれているように、うなり声を上げ始めたんです。
「な、なに……? 何が起きてるの……?」
「はじまったようね……。ヤツに取り憑いていた霊が暴れ始めた」
「どういうこと……? あのヒト、霊が憑いてたの?」
「えぇ。憑依を感知する帽子がピリピリしていたもの。さっきの刺突ね、アレはただの攻撃じゃない。ドライクレイア式葬霊術・魂削りの刃……の見よう見まねよ」
言われてみれば、刺し貫かれたのに血が出ていません。
「でも、タントさんにアレをされたとき、痛くもかゆくもなかったような。あの技でどうして倒せたの……?」
「見よう見まねで、物理的衝撃を殺しきれなかった。だからこそ気絶させるだけのショックを与えられたの。……さぁ、飛び出してくるわよ」
モナットさんが大きく口をあけ、そこから腕が出てきます。
見た感じ、女の子の細い腕……?
「おげっ……! えごっ!!」
苦しそうにうめくモナットさんの口の中から、霊が勢いよく飛び出しました。
その姿を見たとたん、私だけではなくティアも、私の中のテルマちゃんも、目をうたがったことでしょう。
歳は一ケタから十歳くらいの女の子。
髪が赤くて目は黄色。
そしてその顔、とっても見覚えがあるんです。
いいえ、見覚えなんてレベルじゃない。
毎日毎日鏡の前で、お店のガラスや池や川の水面に映る反射で、一番よく見る顔なんです。
「わ、私、だ……」
「トリスの……、霊……?」
『そんな……。どうして、小さなお姉さまが……?』
疑問に誰も答えてくれることはなく、
『あ゛ああぁぁ゛ぁぁあ゛ぁぁ゛ぁぁぁっ!!』
私の霊は、絶叫しながらどこかへ飛んでいきました。
そしてモナットさんも……。
「ハァ、ハァ、ハァ……っ。クソっ、『あの方』が剥がされた……!!」
息も絶えだえで這いずって、私たちから逃げようとしています。
逃げ切れる、そう思ったのでしょうが、ティアがすかさず持ってた剣を投げつけました。
ザクッ!!
「がぁぁッ!!」
足首に突き刺さって、もう動けないでしょう。
こっちをジロリとにらみますが、その目は黒。
さっきまでの青い瞳じゃありません。
「クソっ、クソクソクソォ!! あの方の、『力』が失われたッ!!」
「……どうやらさっきの霊が憑依していないと、狂気の瞳は使えないようね」
『つまり、テルマの神護の衣と同じ……?』
「霊固有の、魔法……」
月の瞳の本当の持ち主はこの子じゃない。
私にそっくりな、あの霊のものなんだ。
「あぁぁっ、チキショウ!! どうして! 勝ってた、勝ってたのにッ!」
「うるさいわね……。こっちは痛くて気が立ってるの。少し眠ってなさい」
ティアがつかつかと歩いていって、
ドガっ!!
思いっきり頭を蹴っ飛ばしました。
「あ゛」
ドサっ。
あえなく気絶。
静かになったところで、
「……くっ、そろそろ、出血がまずいわね」
ティアがよろめき、ひざをつきます。
「ティアっ! 早く、早く手当しないと……」
「あぁ……、そう、それ。さっきの続き。心配ないわ、ここで再起不能になるつもりはないから」
「えっ?」
「私の腕ね、あなたならわかっていると思うけど、切断面がキレイでしょう? 鋭く素早く斬った切り傷は、切断面の組織がつぶれないからか、治りが早いものよ。治癒魔法なら腕をつけることすら可能なの」
「で、でも、治癒魔法なんて私もテルマちゃんも……っ!」
「いるじゃない。治癒術師の『彼女』が」
「彼女、って……まさか『あの子』を呼ぶの!?」
「顔も名前も知っている。そしてここは『彼女』ゆかりの地。寿命が尽きたらあの世で会おうって、あなたの約束を破らせることになるけれど……」
「……ううん。ティアの右腕には代えられない」
「そう。なら呼ばせてもらうわね……。いくわよ、ブランカインド流召霊術……っ!」
油汗がにじみ出て、今にも倒れそうなティアですが、残った左腕で長剣を抜き、石畳に突き刺します。
そうして霊気を体にみなぎらせ、詠唱を開始しました。
「――清廉なる乙女、心根清き癒し手よ」
剣のまわりに黒いモヤが漂い始めます。
冥界とつながった証です。
「輝けし冒険の日々を胸に、永遠に眠りし癒し手よ」
モヤはだんだんと人の形をとっていきます。
あの世から呼び出される死者の形へ、だんだんと。
「我が呼びかけに答えたもう。黄泉の坂を下りて来たれ」
完全にヒトの、あの子のシルエットに固まったモヤがはじけて、とうとう姿を現しました。
「来たれ、【癒しの乙女フレン・イナーク】」
「……あえ? ここは、中央都?」
あらら、フレンちゃんってば全然状況わかってない様子。
キョロキョロ見回して、すぐに私と目が合います。
「え……っ? トリスちゃん?」
「うん。私だよっ」
「トリスちゃん……。トリスちゃんっ!!」
ギュっ、と抱きついてきたフレンちゃんを受け止め――ようとしますが!!
「ストップ! 今危ない!!」
「えぅっ!? わ、わかった、よくわかんないけど……」
ふぅ、間一髪でした。
まだ神護の衣が消えてないからね、幽霊のフレンちゃんが抱きついたら爆散しちゃう。
……その前にテルマちゃんが消してくれたかな?
(……消してくれた?)
『……はいっ』
う、うん。
いい子だからね、テルマちゃん。
信じてるけど、その間はちょぉっと怖いかな。
「あ、そ、それよりも! ティアがね、大変なの! それでフレンちゃんを呼んだんだけど……」
「大変……? ――ひゃっ! う、腕が……!」
「あなたの治癒魔法なら、接合できると思う。やってみてくれる?」
「は、はいっ! ……で、でもあの、幽霊の身で治癒魔法、できるのでしょうか」
「できないわね。だからトリス、体を貸してあげて」
「あっ、テルマちゃんみたいに」
『むむ。わかりました。ではテルマ、いったん離れます』
すぅっ、と出ていくテルマちゃん。
さぁ、いつでも憑依オッケーですよ。
「よし! さぁフレンちゃん、私の中に飛び込んでおいで!」
「で、出来るのかなぁ……」
「出来るから、早く!」
「わ、わかった……」
初めての憑依。
怖いだろうけど私に突っ走ってきて、ぶつかる瞬間。
フレンちゃんの姿がスーっと消えました。
「……成功?」
『成功、みたい』
うん、私の中から声がする。
憑依成功です。
というわけでティアの腕をひろって、傷口にピッタリ合わせます。
あとは――。
「フレンちゃん、任せました!」
『任されました! 体、借りるね』
主導権をフレンちゃんにタッチ。
すぐに私の腕がフレンちゃんの意思で動いて、傷口に手がかざされました。
『癒しの光よ、来たれ。キュアレスト』
出ました、フレンちゃんの使える中でも最高の治癒魔法。
あわい光が切断された切り口をつつんで、みるみるうちにつないでいきます。
『……どう、でしょうか』
癒しの光が消えて、そっと手を離すフレンちゃん。
果たしてティアの腕、無事にくっついたのでしょうか。
離しても落ちたりはしないようですが……。
「……」
ぐっ、ぱっ、と右手を何度か開閉して、曲げ伸ばしして、ティアがうなずきます。
これは……、やりました!
「完璧よ。想像以上に腕のいい治癒術師なのね」
『え、えへへ、ありがとうございます……。コレしか取り柄、ないですが……』
「謙遜しないの。あなたがいなければ、ここで右腕と泣き別れだったわ」
用事をすませたフレンちゃん、私の中からスーッと抜けて出てきました。
もっと長居しててもいいのにね。
「やったね、すごいよフレンちゃん!」
「生きてた時とおんなじようにできるかわかんなかったから、ちょっと怖かった。でもね、トリスちゃんがいっしょだったから」
「フレンちゃん……」
「お二人とも……、見つめ合いすぎじゃないですかぁ……?」
ちょっとスネたように、小さくつぶやくテルマちゃんかわいい。
心配しなくても、フレンちゃんとはお友達なのに。
「ともかく、これで一件落着だねっ。あとは――っ!!?」
ゾクッ。
そのとき背筋に走ったのは、聖霊が出現したときと同じ感覚。
ふりむけばカーバンクルがそこにいました。
完全に元通りになっています……!
「まさか……! 再生が早すぎる……!」
「お姉さまはテルマがっ!」
私の中に飛び込んで、すぐさま神護の衣を発動してくれるテルマちゃん。
ティアもダメージを押して、剣をにぎります。
「ひひっ、これがカーバンクルの最大の武器、高速再生能力! さぁ命令よ、あの葬霊士を喰い殺して――」
「げっ、ききょぉっ!!」
「……え? なっ、なんでこっちにっ、ちょっ、待っ」
しかしカーバンクルが襲いかかったのは私たちじゃなく、倒れているモナットさん。
大きな口を開いた緑の獣が襲いかかって……。
「ぎああああぁぁああぁぁぁ!!!」
耳を塞ぎたくなるような叫び声が月下に響き、目をおおいたくなるような惨劇を月の光が照らしていました。