70 月夜の晩に
月の出る夜は静かな夜。
星のまたたきこそ見えませんが、とってもいい夜です。
「ね、ティア。宿にもどったらさ、今日はいっしょにお風呂入ろうよ」
「……考えておくわ」
「テルマも、テルマもいっしょですよね!?」
「もちろんっ。洗いっことかしようね?」
「お姉さまと洗いっこ……! はふぅ……」
なーんて、にぎやかに宿へと帰る道すがら。
行く手にあるお屋敷の屋根を何気なく見上げます。
その上に輝く満月がとってもキレイで――。
「……んぅ?」
なんか見えました。
月に重なって、ヒトのシルエット……?
「……トリス、どうかした?」
「屋根の上にね。誰かがいるような……」
よーく目をこらして見てみると。
……ゾクッと、背筋が凍りました。
月の逆光で影になってて見えにくいですが、赤い髪に青い瞳。
テルマちゃんみたいな民族衣装を身に着けた、私と同じくらいの歳の。
あの、女の子は……!
「ティア、逃げよう!! 今すぐに――」
叫ぶと同時。
女の子は一気に私たちの目の前へ。
「……ねぇ、私の目を見て?」
とっさに目をそらします。
見たものを狂気に落とす、月の瞳の女の子。
ぜったいに見ちゃいけない、目を合わせてはいけません。
でも、ティアは?
ティアはきちんと状況を把握して、目をそらせたのでしょうか。
答えはすぐにわかります。
ヒュバッ!!
背中の十字架から双剣を引き抜いて、繰り出される鋭い斬撃。
すばやく後ろに飛び下がされて、避けられてしまいますが、ティアは無事です正気です!
「……へぇ。目を合わせずに剣を振るうだなんて」
「視線を外して戦うくらい出来るわよ」
「そもそもこの眼のことを知っているなんて――不思議、でもないか。あの人の『眼』があれば……」
「……で? あなたは通り魔? それとも狂人なのかしら」
「どちらもハズレ。私はモナット。そこに立ってる彼女をね――?」
「ひっ……!」
こっち見ました!
急いで視線をそらします。
「――もらいに来たんだよぉ? だからあなたに用はない。大人しく渡してくれれば殺さないよっ?」
「おあいにく様。あなた程度に負けるつもりはさらさら無いし、自分かわいさに一番大事な人を渡すような、腐った性根もしていない」
ティア……!
い、いま私のこと、一番大事なヒトって……!
『……お姉さまっ! テルマもお姉さまが一番大事ですからね! ですから全力でお護りします!!』
「うん、テルマちゃんありがとっ」
テルマちゃんもすかさず憑依、神護の衣を展開しました。
しかし敵さん、なんと私が目的とは。
いったいどんな理由があって……。
「はぁ、残念。だったら殺さなきゃね。でも、あなたは私に目を合わせない、とってもシャイな子みたいだからぁ……」
え……っ?
あの子がそでの下から取り出したアレって、聖霊を封じる『赤い棺』……!?
「同じくシャイな、この子がお相手してあげる。さぁ出てきなさい、聖霊『カーバンクル』!!」
フタがひらいて、中から出てくる緑のモヤ。
次第に形を作っていって、現れ出たのは二足歩行の巨大な緑の獣です。
額に輝く赤い宝石と、それを取り囲むようにして付いているたくさんの目、目、目。
口からダラダラとムラサキ色の液体を垂れ流して、手足に鋭い爪が生えています。
尻尾は何本も生えていて、うねる触手のよう。
そうです、棺から出て来たのに一頭身じゃない。
力を吸い取られていない、フルパワー状態なんです……!
「……おどろいたわ。どうやら私たちの棺とは違うモノのようね。聖霊のパワーを抑制していない」
「する必要なんてないんだもん。この私の【聖霊操術】があれば、ね」
聖霊操術!?
聖霊を意のままに操れるとでもいうの……!?
そんな、まさか……!
「さぁ、行きなさい」
『……キキッ』
そのまさか、でした。
モナットさんの命令の直後、サルのような鳴き声をあげて、姿を消すカーバンクル。
どこにいるのか、これではティアにはまったくわからないでしょう。
「……匂いも音も、気配すらしない。けれどどうやら、トリスの力を見誤っているようね」
す、すごい信頼です。
でも信頼には答えてみせるよ。
急いで瞳を閉じて、急いで魔力をためて――開眼!
「綺羅星の瞳!!」
すべてを見通すこの眼力。
カーバンクルの擬態能力だって、完全にお見通しです。
「ティア、右斜め後ろ、三歩ぶんの距離! 爪が来る!」
「わかったわ」
私の指示にあわせて安全な方向によけるティア。
一瞬おくれて石畳が、爪の形にえぐれます。
当たったらひとたまりもないですね、アレ。
さて、聖霊としての弱点は――。
「……見えた。おでことおへそ、心臓と、あとは両脇腹に二つずつ! 弱点の光が見えるよ!」
「ありがとう。あの技がおあつらえ向きね」
うん、ちょうど十字の形だもんね。
あの技なら一人で全部の弱点を、一発でまとめて斬り裂けます。
透明化以外に能力はないのでしょうか。
スケスケ状態のまま攻撃を続けるカーバンクル。
ティアはつねにモナットさんの目線に注意をはらいながら、私の声かけで楽々かわしていきます。
うん、これなら簡単に倒せそう。
「あの目……、やっかいだね。カーバンクルの擬態能力を完全に見切っているなんて……!」
「誤算だったわね。その聖霊、私たちを相手にするには相性最悪よ?」
「く……ッ!!」
モナットさん、目を合わせないように視界のはしっこに置いていますが、歯がみして悔しがってる様子です。
「ジャニュアーレの一件。それからヤタガラスの像についても、あとでくわしく聞かせてもらうわ」
「そ、そこまで知っているの……っ!? クソっ、カーバンクル! なにをモタモタしている! 早く殺せ!!」
「キキェァァ!!」
奇声をあげて、なかばヤケクソ気味に突進してくるカーバンクル。
ここが倒すチャンスと見ました!
「ティア、真正面! せーの、の合図であの技を!」
「わかったわ」
腕を交差し、ティアが構えます。
私と初めて会ったとき、悪霊を倒したあの技を。
敵とティアの距離は、あと石畳四つぶん。
この距離ならジャストタイミング!
「せーのっ!」
「ブランカインド流葬霊術――十字の餞」
ザンッ!!
やりました、完璧です!
縦と横、ふたつの斬撃が同時に繰り出され、まったくのズレもなく五か所の弱点を斬り裂きます。
「キュケェエェェ……!!」
十字架の形に裂かれて姿を現すカーバンクル。
透明化の維持もできないみたいだね。
こんなにあっさり聖霊を倒せるなんて、とも思いますが、ティアの言う通り相性が悪すぎました。
まるで倒してくれと言ってるみたいに――。
「……ん?」
そう、だよ。
なにかおかしい。
こんな、まるで倒してもらうために出したみたいな……!
「斬ったね? 油断した」
小さく、小さく、私の耳にしか聞き取れない小さな声で、モナットさんがつぶやきました。
直後、ワープの魔法でしょうか。
一瞬で姿を消してカーバンクルの真後ろへ。
まさか……っ!!
「ティ――」
呼びかけようとしますが、間に合いません。
カーバンクルが最後の力をふりしぼったのか、再び透明化。
真後ろにいたモナットさんの姿があらわになって。
「じゃあね。『月の瞳』」
「――ッ!!」
視線が、狂気の瞳とかち合いました。
「ティアッ!!!!」
「う……っ、う、あぁ……っ」
カランっ。
ティアの両手からこぼれ落ちる双剣。
ガクッ、とひざをついて、頭をかかえてうずくまって……。
「うああ゛ぁぁ゛、ああ゛あぁぁあ゛あぁぁ゛あぁ゛ぁぁあぁぁ!!!!」
その光景は、これまで見てきたどんな幽霊と出会ったときよりも、どんな危ない目にあったときよりも。
そのどれとも比較にならないくらい、背筋が寒く、体が芯から冷えて、恐ろしく感じました。
「うそ……。うそだよ、こんなの……」
叫びながら悶え狂うティアを前に、ガクガクと足が震えて止まらない。
『あ、あぁ……! ティアナさんが……、そんな……!』
テルマちゃんの声も震えてる。
どうしよう、どうしようどうしようどうしよう。
このままじゃ、ティアが、ティアが……っ!!
「きゃははははははっ。見事に引っかかってくれちゃった♪」
崩壊していくカーバンクルを棺にもどして、こっちをむくモナットさん。
とっさに視線を外しますが……。
「心配しなくていいよ。あなたを狂気に堕としたりしないから」
「え……?」
「当然よね。目的はあなた。大事な大事なその体に、傷でもついたら大変じゃない」
目の前まで来て、そっとほほを撫でられました。
かわいい女の子相手のはずなのに、背筋にゾゾゾッと寒気が走ります。
「なに……? 体……? 私が狙いなの……?」
「なーんにもわかんないって顔してる。恐怖に引きつった、いい表情」
霊的なものを弾く神護の衣も、生身の人間には意味がありません。
このままなすすべもなく、連れていかれて……。
私、どうなるの……?
いや、私のことよりも。
ティアが、このままじゃティアが……っ、死……んじゃ……っ!
「さぁ、来なさい。あの方がお待ち――」
ドスッ!!
「……どす?」
自分の体に起きた衝撃と、音が理解できなかったのでしょう。
モナットさんがぼうぜんと、胸元へ視線を下ろします。
背後から胸の真ん中を貫いて突き出した、銀の刃へと。
「あ……? なん、これ……?」
「私のトリスに……っ、触れることは、許さない……っ!」
左腕に持った双剣の片割れで、背後から敵を刺し貫いたのは、もちろんティア。
けれどその表情は苦痛に歪んでいて。
ぶらりと垂れ下がったコートの右の袖からは、なぜだかポタ、ポタ、と血がしたたり落ちていました。