44 大好きだよ
記憶をなくした私は、家族に選ばれたお姉ちゃんとお父さん、お母さんの存在を不自然に思わないように、軽い暗示をかけられたみたいです。
ドライクが去ったあと、疑いなくみんなを家族と認識して。
こうして始まったんだね。
生まれたときからずっと続いてきたと思ってた、ガンピの村での私の暮らしが。
そこからの出来事、ぜんぶ私も覚えてるよ。
「お姉ちゃん、いっしょにおふろー」
「はいはーい♪ トリスちゃん、お姉ちゃんがすみからすみまで洗ったげるねー」
「それはやめて」
いろんなことがあったよね。
楽しいことから、ちょっと気持ち悪いことまで。
「お姉ちゃん、さみしいの……。いっしょに寝てもいーい?」
「バッチ来い! なんなら毎日いっしょに寝ようか!?」
「それは……、なんか怖い」
お姉ちゃん、私と血のつながったお姉ちゃんじゃなかった。
でもお姉ちゃんとして、たくさんがんばってくれたんだね。
「はい、お姉ちゃんっ。今日のぶんのごはんだよっ」
「あはぁっ、トリスちゃんの手作りならいくらでも食べられる! ねぇあーんして、あーん!」
「指ごとしゃぶってくるし、遠慮しようかな……」
今さらだけどね、たくさん感謝してるよ。
お姉ちゃんがお姉ちゃんでよかったって思ってる。
なつかしい思い出が駆け巡って、次々と風景が変わっていく。
けれど次の風景は、私の記憶にない記憶。
「トリスちゃん……。どうして……? どうしていなくなっちゃったの……?」
私が村を飛び出したあと。
取り残されたお姉ちゃんの記憶だ。
テーブルにつっぷしたお姉ちゃん、一人称だからどんな表情なのかわかんないけど、きっととっても悲しんでるんだろうな……。
「ど、どうする……! まさかトリスがいなくなるなんて……」
「ひとまず次の配給のとき、ゲルブさんに相談してみましょ?」
「そ、そうだな……。人を使って探させようにも、幽霊の身じゃどうしようもない」
お父さんとお母さん、顔色が青いです。
とっても心配かけちゃったんだろうな……。
胸がすっごく痛みます。
「トリスちゃん……。トリスちゃん……」
お姉ちゃん、ふらふらと歩いて行って私の部屋へ。
ベッドに寝転がって、思いっきり深呼吸しています……。
「すー、はーっ!! すーぅぅぅっ、はぁぁぁぁぁっ!!! あぁ、トリスちゃんの残り香。トリスちゃぁぁん……」
正直、その行動はどうかと思うけど。
「トリスちゃん……。うっ、うぅぅ……っ、ぐす……っ」
と、お姉ちゃんが泣き出してしまいました。
まくらに顔をうずめたまま、体をふるわせてグスグス泣きじゃくります。
「お姉ちゃんが悪かったのかなぁ……。お姉ちゃん、きちんとお姉ちゃんできてなかったから……。だからトリスちゃん、いなくなっちゃったのかなぁ……」
お姉ちゃん、ちがうよ。
お姉ちゃん、ちゃんと私のお姉ちゃんできてたよ?
だから泣かないで――なんて伝えようとしても、ここはお姉ちゃんの記憶の中。
なんにも伝わってくれません。
ただお姉ちゃんの中に生まれた小さな『歪み』の感覚を、共有するしかできません。
その日から、お姉ちゃんの中に生まれた『歪み』は少しずつ大きくなっていきました。
日に日にふくらんでいく『歪み』を抱えながら、一言も発さず生者の真似事をつづける虚ろな日々。
私が冒険者として人助けをがんばってる間、こんなに身近なヒトが助けを求めていただなんて思いもしなかった。
なにが『人助け』だって感じです。
そんな長い長い、なにも起こらない日々に終止符を打ったのもまた私。
ティアとテルマちゃんを連れての里帰り。
私の顔を見た瞬間、お姉ちゃんの心は喜びにつつまれて。
しかしもう、どうしようもなく『歪んで』しまっていたんです。
歪んじゃったお姉ちゃん。
ゲルブの攻撃から身を隠して、私にこっそりついていって、王都に着いた私たちがダンジョンにもぐっているあいだ、他の霊を食べて回ってた。
『トリスちゃんのために強くならなきゃ……。あの葬霊士に負けないくらい……。トリスちゃん、トリスちゃん……』
歪んでるけど、全部私のために。
お姉ちゃんとしてできることをするために、やり方をとっても間違えてるけど、がんばっていたんだ……。
そして場面が切り替わって、これは……さっきの公園?
ティアとテルマちゃんと話しているとき――。
「……ティアナお姉ちゃんっ」
……あぁ、そっか。
トドメを刺しちゃったの、私だったんだ。
お姉ちゃんを戻れなくさせちゃったの、ぜんぶ私だったんだね……。
だったらお姉ちゃん。
いま、私にできる一番のことは――。
★☆★
視界がはじけて現実へ。
流星の瞳を発動してから、まだ一秒も経っていないみたいです。
だけどね、この一秒未満の時間でお姉ちゃんに伝えたいこと、たくさん見つかったよ。
ぎゅっと抱きしめ続けながら、心の底から叫びます。
「お姉ちゃん、大好きっ!!」
『――――ぁぇ?』
「大好きだよ、お姉ちゃん。たとえ血がつながってなくても、幽霊でも。お姉ちゃんは私の、たったひとりのお姉ちゃん。大事な大事な家族だよっ」
『あァ、アァァアぁ……』
「ごめんね、たくさんさみしい思いさせちゃったよね。私のためにずっとがんばってくれてたんだよね。気づかなくってごめんね、お姉ちゃん……」
いつもなら恥ずかしくって言えないことも、口からどんどん出てきます。
心のままに気持ちを伝えたいから。
お姉ちゃんを助けたい、ただその一心で、せいいっぱいの気持ちを伝えます。
「お姉ちゃん、おねがい。戻ってきて? こんなこと、もうやめよ? もとのお姉ちゃんにもどってよぉ……」
『ア゛……、アァ゛……』
歪みきって黒いシルエットみたいだったお姉ちゃんの輪郭がゆらぎます。
だんだんと、だんだんとモヤがうすれて……。
『トリ、ス、チゃん……』
「お姉ちゃんっ!?」
顔の半分だけですが、元のお姉ちゃんの顔に戻ってくれました。
目にはたしかな理性の光。
お姉ちゃん、正気を取り戻してくれた……?
『アっ゛、あぁぁァあぁぁぁぁぁぁッ!!!!』
「お姉ちゃんっ!!」
と思ったのもつかの間。
頭をかかえて悶え始めて……!
『トリスちゃン、離れテ……!! 自分を抑えきレナイの……!! このまマじゃ、またトリスちゃンにヒドいことを……!』
「いやっ、離れないっ!! いっしょにお風呂でも、いっしょに寝るのでも、ちょっとえっちなことだって、お姉ちゃんがしたいことなんでもしていいから! だから負けないでっ!!」
『トリスちゃん……。そんナにお姉ちゃンのこト……』
「うん。何度でも言うよ……。大好き。大好きだよ、お姉ちゃん……」
『だったラ……』
トンっ。
「え……っ」
優しく、突き飛ばされました。
ぺたんとしりもちをついた私をしり目に、お姉ちゃんはふらふらとティアに近寄っていきます。
『オねがイ、葬霊士さん……。トリスちゃんヲ傷つケル前に……、トドメを……、刺しテ……』
「ダメっ、ティア!!」
「……トリス、彼女はもう限界よ。わずかに残った理性で必死に欲望をおさえつけて、あなたを突き放した」
ティアが聖霊を解除して、十字架を地面に突き刺しました。
展開される光の魔法陣、葬送の灯。
ダメだよ、ダメ、このままじゃ……。
「霊の望みを叶えることこそ、私たち葬霊士の本分。もうあなたも知っているでしょう?」
魔法陣の真ん中に立ったお姉ちゃん。
まばゆい光の道が、雲の上へとのびていって……。
『ふフふ……。あナタが現れたとキから覚悟しテいたことダケド……』
「思っていた形とは、少しちがったわね」
お姉ちゃんの体がフワリと浮き上がります。
あの世へと続く道をのぼっていくために。
「待って……。待ってよ、お姉ちゃん……。私まだ、お姉ちゃんとお別れしたくないよぉ……」
『――トリスちゃん』
歪んでかすれてたお姉ちゃんの声が、鮮明に聞こえます。
おぼろげな黒いモヤのようだった姿も、ハッキリとお姉ちゃんに戻りました。
光の魔法陣の影響なのでしょうか。
それとも……。
けど、そんなのどうだっていいです。
ポロポロこぼれる涙をぬぐって、必死にお姉ちゃんをこの目に刻みつけます。
大好きなお姉ちゃんの、最期の姿を。
『私、トリスちゃんのお姉ちゃんになれて、幸せだったよ』
「私も……っ、ひぐっ、私も、お姉ちゃんの妹で……っ、よかった……っ」
二コリ。
最後に微笑んで。
私の大好きなお姉ちゃんは、天へと続く光の道を、のぼって消えていきました。
「う……っ、うぐっ、ひっ、ひっく……」
「お姉さま。テルマの胸でよろしければ、思う存分お泣きになってください」
憑依を解除したテルマちゃんが、抱きしめてくれました。
ふだんこの子のお姉さまとして頑張ってる私ですが、今だけは甘えさせてもらいます。
「テルマちゃ……っ、うえぇっぇぇぇぇぇっ……」
テルマちゃんの胸の中でしばらく泣き続けた私。
落ち着いたところで、ティアも来てくれました。
「トリス……。なんと声をかけたらいいのかわからないけれど……」
「……ううん、もう平気。もう大丈夫だから」
いつまでも泣いていられません。
まだまだ私たち、やるべきことがありますから。
「私を心配するよりね、まずは残りの魂たちを、あの世に葬送ってあげようよ」
お姉ちゃんが取り込んでいたたくさんの人魂は、今も私たちの頭の上をぐるぐる飛び回っています。
浮遊霊になっちゃう前に、あるべき場所へ送り出してあげないと。
「……そうね。セレッサ、今度はあなたがやってくれる?」
「オレか? まーいいけどよ、別に」
お疲れなのか、はたまた私をなぐさめたくてそばにいたいのでしょうか。
ともかくティアに任されたセレッサさん。
十字架の槍を突き刺して葬送の灯を発動しようとした、そのときでした。
ヒュゴォォォォオォォォオォッ!!!
とつぜんの大吸引。
全部ではありませんが、たくさんの人魂たちが吸い込まれていってしまいます。
「な、なんだぁ!?」
吸い込まれた先に、いっせいに目をむける私たち。
そこにいたのは胸にカラスの紋章をつけた、あのヒトでした。
パチンっ。
棺のフタを閉めて微笑む中年の葬霊士を、ティアがするどくにらみつけます。
「やぁ、ごくろうさま。昨日の損失を取り戻したいからねぇ。足しになったよ、ありがとう」
「ドライク……ッ!」