37 助けを求められたなら
事態が葬霊どころじゃなくなってしまったため、ひとまずセレッサさんの泊まる宿までもどってきた私たち。
ベッドで休むように言われましたが……。
「マまぁ、ネ、ねっ、ママぁぁ……」
手の甲にいる悪霊が、ずーっと呼びかけてくるんです。
こんなの、休めるわけありません。
「ボクノこト産んデ。ねっ、ねっ?」
「嫌だって言ってるじゃん……。少し静かにしててよぉ……」
どこかに逃げ出したい。
嫌だ、こわい、気持ち悪い。
だけど自分の腕だから、どこにも逃げ場なんてありません。
「こんなとき、器用さまでは鍛えなかった自分を恨むわね」
「しかたねー。葬霊士ってなぁ、なにはともあれ腕っぷし。小手先の技術には専門家がいるからな」
「憑依除霊の専門班ね。たしかに彼らの技術なら、霊の切除も可能かも」
「その人たちがいれば、お姉さま助かるんですか……!?」
「えぇ。ブランカインド開山以来、脈々と技術を受け継いできた除霊のスペシャリストたちよ。――ただ、今から呼んだとしても到着まで十日以上かかるわね」
「そ、そんな……っ」
十日もあったら私、どうなっちゃってるの……?
もしも、もしも悪霊の言ってるとおりのことになっちゃったら、私どうなるの……?
「えきゃっえキャッ、まんマ、マまぁ」
ずる、ずるり。
腫瘍のような霊の顔、手の甲から移動をはじめました。
「え――」
だんだんと手首のほうへ動いていっています。
「ウソ、やだ、待って、どこ行く気……?」
聞いても答えません、止まりません。
手首から腕に移動して、それでもまだ止まらない。
ずりずり、ずりずりと、長袖の下にかくれて見えなくなってしまいます。
「トリス、服を脱いで」
「う、うん……」
恥ずかしがってる場合じゃありません。
さっさと上の服を脱ぎ捨てます。
「……っぷあ! ……あれ、霊はどこ――」
「お、お姉さま、もう肩のところにいます……」
「いっ……!?」
腕に見当たらないと思ったら、テルマちゃんがふるえる指で教えてくれました。
肩の上、至近距離で私の顔をなめるように見回す悪霊を。
「まマぁ、すきぃ……」
「……きらい。きらいきらいきらい! 私はきらい、大っきらい!! 私の中から出て行ってよぉ!!」
いくら泣いても叫んでも、いっさい聞く耳を持ちません。
ニヤリと歪んだ笑いを浮かべて、また移動をはじめます。
こんどは肩から胴体に入って……。
「おい、この悪霊。さっきからいったい何をする気なんだよ……」
「『歪み』きった悪霊の思考なんて、読みたくもないものだけど、おそらく――」
悪霊の顔、どんどん下に行きます。
胸元を通り過ぎて、お腹の上を、どんどんと下へ、下へ。
そうして下腹部のところでやっと止まりました。
なんなのいったい……――っ!!?
まさか、そこって私のしきゅっ……!
「ね、入れテ? こコニ入レてっ? 僕ノこと、産んデェ?」
「~~~~~~~~~~ッ!!!」
ゾゾゾゾゾゾゾッ、と、背筋を寒気が走ります。
生まれてはじめて感じる種類の恐怖、気持ち悪さ、生理的嫌悪感。
もうわけがわからなくなって、涙がポロポロこぼれてきます。
「アっ、入れナイ。入らナイと、産まレられナイの二。入れて? ねェまま、いれテェ?」
「ふっ、ぐすっ、えぐっ……」
どうして、どうして私がこんな目に……。
霊に好かれやすいからって、こんなのあんまりだよ……っ。
「お姉さま……」
「トリス、大丈夫。大丈夫よ、大丈夫だから……」
テルマちゃんとティアに抱きしめられて、そのまましばらくしていると、ほんの少しだけ落ち着きました。
そうだよね、泣いててもなんにも変わんないもんね。
「……ありがと、二人とも」
「落ち着いたな。だったらさっそく現実的な話、してもいいか?」
「うん、いいよ。冷静に聞けると思うから。……ただね、ティアとテルマちゃんに手をにぎっててほしいかな」
「お安い御用ですっ」
「あなたが望むなら、いくらでも」
二人に片方ずつ握られて、なんだかとっても安心します。
これなら大丈夫。
「おー、じゃあハッキリ言うぜ。コレ、十日も持たねぇぞ」
「……えぇ。今はまだ体表面にだけ。霊的濃度の濃い体内には入れないようだけど、時間が経てば経つほど浸蝕が進んでなじんでいく。三日後には『目的の場所』に入られてしまうでしょうね」
「そうなったら、お姉さまどうなるのですか……?」
「ロクでもないことになる。それだけは確かね」
ブルっ、と背筋が震えます。
けど大丈夫、二人がそばにいてくれるから。
「なんとかなる方法、きっとあるよねっ。みんなで考えればきっと見つかるよっ」
「つってもなー。霊体だけを正確に切り離す、そんな術でもなけりゃムリだぜ……?」
「いたずらにトリスを不安にさせないの。なんらかのアイテムを使えば引きはがせるかも――」
ティアもセレッサさんも私のために、いろいろ考えてくれてます。
みんなにまかせっきりじゃダメだよね、私だって考えないと。
ティアの案は……、アイテムの性質とか詳しくないからあとで調べるとして、セレッサさんのはどうだろう。
霊体だけを斬り離すって、どっかで聞いたことあるような……。
「――あっ」
思い出した!
となればさっそく、もらったばかりのアレの出番かもしれない。
「えと、たしかローブのポケットに……。あったっ!!」
脱ぎ捨てたローブの内ポケットをまさぐると、すぐに見つかりました。
フタがついた白い筒です。
「トリス、それは?」
「タントさんがくれたんだ。困ったときに使えばすぐに駆けつける、って」
「あぁ、そういえばダンジョンでアイツと行動をともにしていたのだったわね」
あのヒトがテルマちゃんに使おうとした、ドライクレイア式葬霊術・魂削りの刃。
肉体を傷つけず、霊体だけを斬るっていうあの剣技なら、この霊だけを切除できるかも。
けど、やっぱり問題もあって……。
「ソレ使えば来るってのか? 思いっきり敵対してる同士だって、むこうが思い知ったばかりだってのに?」
「普通の思考を持っているなら、罠だと思うでしょうね。私がヤツの立場なら、絶対に行かないわ」
そう、それ。
ティアナたちに今は戦う気がなくっても、タントさんが疑った時点で全部アウト。
でもね、確信があるんだ。
助けを求めたのなら、きっとあのヒトは来てくれる。
私と同類で、おんなじものを抱えているのなら、きっと。
「……きっと来るよ」
きゅぽんっ。
フタをあけるとハトの霊が飛び出して、マドをすり抜けて飛んでいきました。
ティアが前に言ってた伝書バトの聖霊みたいなものなのかな?
きっとあのヒトに、私の状況を伝えに行ってくれたのでしょう。
あとは信じて、待つだけです。
「――驚いたわね、本当に来るだなんて」
「助けを求められたなら、どこにでも、誰のところにでも駆けつけますよ」
タントさん、本当に来てくれました。
危険をかえりみず、損得抜きで私を助けるために、来てくれました……!
「タントさん、ありがとね? 信じてくれて、ありがとう」
「礼なら霊を祓ったあとです。そいつですね?」
私の下腹部でうごうごしてる顔を見て、タントさんの眼光がするどく光ります。
スッ、と静かに剣を抜いて、片手でかまえました。
「あ、あのっ、テルマちゃんは斬らないようにねっ。できるよねっ?」
「もちろんです。言ったでしょう、もうご友人に手は出さないと」
「……そうだよね。信じてくれたんだもんね。だったら私も信じなきゃ」
ティアもテルマちゃんもセレッサさんも、手を出さずに見守ってくれている。
信じてくれてるんだ。
私が一番信じなきゃ、ダメだよね。
ベッドに横たわって目を閉じます。
剣をむけられても余計な力が入らないように。
リラックス、リラーックス……。
「……では、いきますよ」
「……っ」
コクリ、うなずきます。
直後、
「ドライクレイア式葬霊術――魂削りの刃」
ズバァッ!!
何かが斬り裂かれる音が、室内にひびきました。
ですが痛みなんてまったくありません。
目を開けば、ほら大丈夫。
「まんっ……マ……っ、ママ……ぁぁっ」
「切除成功です。コイツはお代としていただきますよ。封縛の楔」
「ママぁあぁぁあぁぁぁ……!」
真っ二つのモヤになった悪霊が、タントさんの棺に吸い込まれていきました。
私のお腹に悪霊の顔なんて、もうどこにも見当たりません。
傷だって跡だってついてない、きれいなまっしろお腹です。
「……さて、終わりましたが。ボク、このまま帰してもらえます?」
「貸しイチよ。今度会ったら容赦しない」
「感謝します。では――っと、その前に」
なんでしょうか。
コートのポケットからなにかを取り出して、セレッサさんの前へ?
「これ、返しておきます。あなたの大事なものなのでしょう?」
「ユウナの、髪留め……」
形見の髪留め、返してくれたんですねっ。
やっぱりあのヒト、悪いヒトじゃありません。
「では、今度こそ。失礼します」
軽く頭を下げて、部屋を出ていくタントさん。
これですべてが解決、と思ったら。
「……っ、待ってくれ! 話があるんだ!!」
なんとセレッサさん、タントさんを追いかけて飛び出していってしまいました!