26 こんな気持ちは、初めてでした
なにこれ、なにこれ、なにこれ。
どうしておばさんが、ティアに倒された悪霊みたいに黒いモヤに変わっていくの?
このガイコツ犬は、いったいなんなの?
どうして私、家の外が怒号と悲鳴にあふれているのに、ちっとも気づかずにいられたの?
「ガゥルゥ……ッ」
「ひ……っ!」
私の方を、ぽっかり開いたドクロの眼孔でギロリとにらむドクロ犬。
だけどすぐに興味をなくして、
「た、助けてぇッ!!」
今度はむかいのおじさんを噛み殺しにいった。
木の枝を使った細工とか、食べられる森の木の実の見分け方とか、いろいろ教えてくれたおじさん。
そのヒトも今、ガイコツ犬に首筋を食い破られて。
「あぎゃっ」
……おばさんとおなじく、黒いモヤに変わってしまった。
「クァァァッ」
ガイコツ犬が大きく口をひらいて、おばさんとおじさんだった黒いモヤを吸い込む。
それから次の獲物を見つけたのか、一目散に駆けだしていった。
「……ぁ、ぁぁ……っ」
「お姉さまっ! しっかりしてください、お姉さまっ!!」
「ぁ、テルマ、ちゃん……」
「ショックなのも、思考が止まってしまうのも、テルマとってもわかります。みんなが食べられていくとき、そうでしたから……。でもっ!!」
「……そう。そう、だよね。私には、できることがあるんだもん」
考えるのも落ち込むのも、ぜんぶぜんぶ後回し。
今やるべきはティアを呼んで、ガイコツ犬をやっつけてもらうこと!
「テルマちゃん、お願い!」
「はいっ!」
私の中にテルマちゃんが入り込む、あたたかな感覚。
続いて私の唇が、あの子の言葉と魔力を借りて、神への祈りをつむぎだす。
「主の加護よ、百の難から我が身を守りたまえ――」
出現する、全ての霊の害意をはじく『神護の衣』。
さっきの犬、私に対して攻撃の意思は見られなかったけど念のためっ。
「ありがと。じゃあ行こう!」
『お姉さまのお体は、テルマが傷ひとつつけさせませんっ!』
透明な衣を羽織って走り出す。
村長さんの家の場所は、だいたい村の入り口あたり。
私の家が村の一番奥だから、ド真ん中を突っ切っていかなくっちゃいけない。
ガイコツ犬に襲われるみんなの悲鳴が、あちこちから聞こえる。
ごめんなさい、ごめんなさい。
私に助ける力はないけど、すぐにティアを呼んでくるから……っ!
「……おや? 音も気配も遮断されていたはずなのだが」
聞こえた声に、どこか聞き覚えがありました。
「さすがの感知力、といったところか」
だから私、そっちに顔をむけました。
そうしたら、足まで止めざるをえなかったんです。
胸に『三本足のカラス』の紋章をつけた、大柄な葬霊士。
グレイコスタ海蝕洞の事件で、ティアとタントさんの戦いを止めにきたヒトです。
そして、あのヒトがつかんでいるいくつかの、見知った顔の魂たちの中に。
「お父さん、お母さん……っ!」
大事な二人の、家族の姿がありました。
「トリ、ス……」
「あぁ、トリス……っ!」
だいたいが頭だったり、胴体だったりを噛みちぎられた姿。
二人も例外ではなく、下半身がモヤモヤに変わっています。
「……なん、で? どう、して……っ!」
私、生まれてから本気で怒ったことありません。
パーティーを追放されたときも、本気で憎んだりしませんでした。
でも、でも……っ!!
「どうしてっ、こんなヒドイこと……ッ!」
怒りで握りこぶしが震えます。
頭の奥が熱くなって、目の前の相手が憎くて憎くてたまらない。
こんな感覚、本当に初めて。
「……まずい、な。この場面を見られてしまうとは、完全に想定外だ。純粋さに翳りが生じてしまう」
「答えてよッ!! どうしてみんなを、みんなを……っ、こ、こっ……」
殺したの――って、声がふるえて続きが出てきませんでした。
口にしてしまったら、みんなが死んでしまったと認めなきゃいけないから。
「尻ぬぐい、せねばなるまい」
シュンッ。
おそらく瞬間移動の魔法でしょう。
私の眼でもまったくとらえきれない速度で、あのヒトが消えます。
直後。
バチィン!!
「ひゃぅ」
首すじのあたりで、神護の衣が手刀をはじき返しました。
「う、後ろ……っ」
「防御魔法か……。この硬さ、厄介だな」
私を手刀で気絶させようとしたのでしょう。
テルマちゃんに守ってもらってなかったら、私ここで捕まってました。
ともかく、このヒトが動いたおかげでみんなの魂が自由になった。
その間に、みんなの方へ走ります。
「お父さん、お母さんっ! 私に憑りついてっ!」
二人が私に憑依してくれれば、これ以上ひどい目にあわずにすむ。
神護の衣で守ってあげられる。
二人なら、憑かれたってちっとも怖くないよ?
だから――。
「封縛の楔」
無慈悲に、背後から聞こえる声。
その言葉の意味を、私はよーく知っている。
吸い込まれていくお父さんたち。
葬霊士の手にした棺へと、みんななすすべもなく。
「あ、ぁ……っ」
パチンっ。
フタが閉じられる音がして、私はひざから崩れ落ちた。
もうなんか、走る気力も立ってる気力もなくなっちゃって。
ただその場で、ポロポロ涙を流すことしかできなかった。
『お姉さま、立ってください! ティアナさんを呼びにいくのでしょう! お願いします、立って……!』
「ムリ……。もうムリだよ……」
『気をたしかに……! このままじゃ魔力が乱れて、神護の衣も消えてしまいます……っ!』
「少々、手間取ったが……」
……このヒト、私の前に来てなにか言ってます。
「さぁ来るのだ、『救世の少女』よ」
なにかよくわかんないこと言ってますが、ちっとも頭に入ってきません。
ポロポロ泣きながら、ぼんやり見上げていると。
「――よくもトリスを泣かせたわね」
男の頭上に躍り出る黒い影。
両手でにぎった長剣を、上段から力いっぱい振り下ろします。
ズドオォォォッ!!
男が瞬間移動で回避して、元いた場所の地面が思いっきり砕けました。
「……それだけで、すでに万死に値するわ『三本足のカラス』」
「そうか、お前もいたのか。十字架の葬霊士」
「覚えておくことね。ブランカインド流葬霊士『筆頭』ティアナ・ハーディングよ」
帽子を片手でおさえて、長剣の切っ先をむけながら名乗りをあげるティア。
でもその名乗り――。
『もう筆頭じゃありませんよね、あの人』
言わないであげて、テルマちゃん。
ともかくティアが来てくれた。
安心感で、さっきまでとは違う種類の涙があふれます。
「ティアナ・ハーディング。覚えておこう。私はゲルブと申す者。ヤタガラスに所属する葬霊士にして、『三本足のゲルブ』の異名を持つ」
「三本足? つまりあなたが代表かしら」
「いいや、そうではない。こういう意味だ」
ピューイッ。
指笛を吹くゲルブ。
すると三本足の骨犬が走ってきて、ゲルブの足元で『おすわり』をします。
ゲルブです。
さんなんてつけてやりません、あんなヤツ。
「理解したかね?」
「犬の亡霊……。遺骨を媒介とすることで、物理的な攻撃力も持たせている。ソイツがあなたの武器というわけね」
「武器ではない。ロンシュタットという、私の相棒だ」
「ウワフッ!」
答えるようにひと吠えするガイコツ犬。
するとゲルブの表情が一変してゆるみます。
もうゆるゆるです。
「おぉ~よしよしよしよしよしよしよしよしえらいでちゅね~ロンちゃぁん。ご褒美にいっぱいなでなでしてあげるよぉ~こしょこしょこしょこしょ」
「……!?」
はい、絶句しました。
なんですか、アレ。
骨犬の全身をわしゃわしゃなでて、頬ずりまでしちゃってます。
あんなにスキだらけなのに、ティアも手を出せずに棒立ちです。
「――と、このように。私とロンシュタットは深い絆で結ばれている。子犬のころから面倒を見て、死んでからも共に在り続ける仲なのだよ」
な、なるほど……。
飼い犬が死んでしまったあともずっといっしょに。
……ですけどあの犬の霊、悪霊と同じ嫌な感じがするんです。
『歪んで』しまっている。
生きてたころと、きっとまるで違ってしまっている。
「そ、その子、ホントに自分の意思であなたといるのっ!?」
「……なに?」
ギロリとにらまれてしまいましたが、負けません。
今日の私、とっても怒っていますから。
「その子から『歪んでる』感じがする……! お互いがいっしょにいたいと心から思い合っているのなら、歪んだりしないはずだよ。私と、テルマちゃんみたいにっ!」
『お姉さま……。そこまでテルマのことを……』
半透明の状態で顔を出して、ほんのりほほを赤らめるテルマちゃん。
ちょっと恥ずかしいこと言っちゃったかな。
「絆があるって言ったよね。ホントにそうなの? あなたが無理やりその子をこの世に、骨の躯に縛っているんじゃ――」
「黙れッ!」
「……っ!」
怒鳴られて、思わずビクッとしてしまいます。
ですが負けません、ひるまずにらみ返します!
「たしかに。我らの使う操霊術とは霊を操る術に他ならない」
「だったら――」
「だがッ! ロンシュタットが私と共に在ることを望んでいない……? そんなはずがないだろう! お前が私とコイツの絆の何を知っている……!」
「……ッ、でも、じっさいに感じて――」
「トリス、もういいわ」
言い合いをさえぎったのはティア。
私とゲルブの間に割って入って、ゆっくり首を左右にふります。
「なにを言おうがムダだし無意味。優先すべきはあなたが感じた悲しみと苦しみを、数百倍にしてコイツに叩きつけること」
「ティア……」
「……そしてもちろん、妹の――ユウリの分もね。ヤタガラスのこと、洗いざらい吐いてもらうわ。絶対に逃がさないわよ『三本足』」
「安心しろ、今回ばかりは退けない理由がある。お相手しよう、『筆頭葬霊士』」