02 ウィスタ坑道のウワサ
中央都ハンネスの繁華街。
田舎から出てきたいかにもな『おのぼりさん』を見つけたのが、わたしとトリスちゃんの最初の出会いでした。
赤い髪に結んだサイドテールをゆらゆら揺らして、黄色の瞳を涙目にうるませた女の子。
道に迷っていたところを助けて、話しているうちにすぐに仲良くなったんです。
「冒険者になるために、村から飛び出してきたんだぁ。……みんなに黙って」
トリス・カーレットと名乗ったその少女は、少しバツが悪そうに身の上話をしてくれました。
「どうして冒険者に?」
冒険者というのは、ダンジョンの最深部に発生する『マナソウル結晶』を回収するお仕事です。
この結晶はかまどや風呂釜の燃料だったり照明器具だったり、それから冒険者自身の武具だったり、さまざまなことに使える素材。
人々の暮らしになくてはならないもの。
その回収業者である冒険者はなかなかに報酬も弾むのですが、もちろん常に死の危険と隣り合わせ。
どうしてそんな危ない仕事につきたいのか、そう思ってたずねると。
「私ね、誰かの役に立ちたいんだっ!」
屈託のない笑顔で、そう答えてくれました。
とてもありきたりな――どこにでもありそうな理由だったけれど、応援したいなって純粋に思えた。
これがわたしの、トリスちゃんを自分のパーティーに推薦した理由です。
「よ、っと。これにて戦闘終了だね」
あざやかな剣さばきでコボルトを斬り伏せたケインさんが、息をつきながら納刀します。
ここ、ウィスタ坑道はいわゆる『小迷宮』。
それほど深くなく、出てくるモンスターも弱いものばかり。
正直、治癒術師であるわたしの出番なんてありません。
「素敵だったわ、ケイン♪」
媚びるような声を出して、ケインさんにしなだれかかるマーシャさん。
二人が肉体関係にあることは、パーティーメンバーであるわたしも知っています。
「小迷宮だけあって、『結晶』の採取ポイントまですぐ着きそうだね。採れる量もごくわずかだろうけど」
「えぇ、そうね。あーあ、あの霊感娘がいなくなったからかしら。こんな楽しい探索久しぶり」
「ははっ。でもね、彼女だって悪気があったわけじゃないんだろう。元仲間として、あとでフォローを入れておくよ。ね、フレンさん」
「……はい。あの子、村に帰れないみたいなので。今後の世話だけでも、してあげたいです」
露骨にわたしのポイント稼ぎにきましたね。
でもね、さわやかな好青年ぶっていてもね、ケインさん。
わたしのことも、トリスちゃんのことだって。
いやらしい目で見ているの、とっくに気付いてましたから。
……はぁ。
なんか、居心地悪いなぁ。
わたしもパーティー、抜けちゃおうかな。
「アタシはゴメンだからね! あの子に会うのなんてもうコリゴリ!」
「かまわないさ。僕とフレンさんの二人だけで行くから」
「ぜひそうしてちょうだい。あー、ヤダヤダ。あの子がいたら今頃、変な物音がーとか吹かしてたんでしょうねー」
「想像は……できるね。――ほら、ちょうど今聞こえる鳥の声だって、心霊現象みたいに騒いでたかも」
「……えっ?」
なにを言っているのかわからない、そんな表情のマーシャさん。
わたしだってそう。
鳥の鳴き声なんか、聞こえない。
「ケイン? なに言って――」
「聞こえないのかい? ピー、チュルルルルルっ、って。ピー、チュルルルルルる、ちゅっ。ぴー、ちゅるるるるるるるぅ」
まるで狂ったように、唐突に始まった鳥の鳴きまね。
青ざめて後ずさるマーシャさんの前で、ケインさんはさらに。
「ぴー、ちゅるるんっ。あー、お腹がすいた。なにか食べたいなぁ。なにか無いかなぁ?」
「ケ、ケイン……? いったいどうしたのよ、冗談ならすぐにやめて――」
「そうだ、肉がいい!」
ガリィィッ!!
自分の、指を食べ始めました。
「い、いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあぁぁ!!!」
★☆★
ウィスタ坑道のウワサ。
マナソウル結晶が出てダンジョン化する前のこと、その場所は名前のとおり坑道として使われていた。
ある時、落盤事故が起きて、一人の鉱夫が生き埋めになった。
鉱山で働く者は、有毒ガスの検知のためにカナリアと行動を共にする。
毒を察知するとカナリアはすぐに鳴きやむため、いち早く危機を知ることができるからだ。
生き埋めになり、下半身の骨が折れた激痛。
狭く息苦しい空間の中で、男の心の支えはカナリアの鳴き声のみ。
彼はそのカナリアと、駆け出しのころからの相棒――戦友だった。
しかし、やがて空腹がおとずれる。
男を励ますように鳴き続けるカナリア。
相棒を殺して食べ、生き延びるか。
彼の下した決断は――。
数日後。
ようやくガレキを取り除いた同僚たちが見たものは、食い殺された無残なカナリアの姿。
そして、それでも空腹に耐え切れず、自分の手の指を十本食って死んだ男の姿だった。
それ以来、だれもいないはずの廃坑道でカナリアの声が聞こえると、耐えがたい空腹に襲われて狂ってしまう……という。
……っていうのが、酒場で聞いたウワサ。
正直、ただのウワサだと思ったよ、私だって。
でもね、どうしても不安になった。
胸騒ぎがおさえられなくって、わざわざ馬まで借りて坑道の入り口まで駆けつけて、そして今。
「な、なに、これ……」
坑道の入り口からあふれ出る、体の芯からぞっとするような禍々しい霊気に、私は正直怖じけづく寸前。
こんなの、今すぐにでも逃げ出したいよ……。
でも……!
「……みんなが、フレンちゃんが危ないかもしれないんだ」
私が駆け付けたところで、できることなんてせいぜい見えないものを見て、危険を知らせることくらい。
また怒られちゃうかも、怖がられちゃうかもしんないけど、みんなの命には代えられないよね。
覚悟を決めて、私は一歩ダンジョンに踏み込み、唯一のとりえを発動する。
一般的な感知技能である、自分の周囲数十メートルを知る鷹の眼。
私のは、その超強化版。
一度瞳を閉じてから、魔力と気合を込めまして……っ!
「――星の眼」
開眼と同時に発動。
私の前に巨大な魔力の球体が実体化して、その中に立体的なダンジョンのマップが浮かび上がる。
探知力SS、今の時代じゃ私にしかできないらしいです。
ちなみに開眼したとき瞳の光彩が星の形になってるみたいだけど、使ってるときに鏡を見たことないから実感なし。
「フレンちゃんたちは――いた、ここだ」
マップの中には色とりどりの光点が表示される。
赤い点が魔物、黄色い点が他の冒険者、そして青い点が味方を示してるんだ。
青い点みっつは、ここから数百メートル先。
右、左、右、カーブ、左と進んだ先にいる。
途中で魔物と出会う可能性はないね、それはよかった。
でも、みんなといっしょにいる黒い点って……。
「これ、幽霊のマーク……?」
黒くてもやもやした謎の点。
初めて見るけど入り口で感じたものとそっくり同じの、とっても嫌な気配がする。
その黒い点が、三人と重なるように表示されてるってことは――。
「みんなが、危ない……!」
ダンジョンの基本、隠密行動。
それすら忘れて走り出す。
マップにひとつ表示されていた、黄色い点なんて気にもとめずに。
曲がって、曲がって、もいちど曲がって。
カーブしてさらに曲がった曲がり角。
息を切らせて飛び込んだ私の両目にうつったものは――。
「た、たすけて、トリスちゃん!」
「フレンちゃん!?」
座り込んで私に助けを求めるフレンちゃん。
そして。
『ぴー、ちゅるるるるるんっ。うま、うっま。うま……』
ぐちゅぐちゃぐちゅぐちゃ。
ケインさんに見えるものをもぐもぐと咀嚼する、黒いヘドロの塊に鳥の顔がついたみたいな悪霊だった。
悪霊の右手には、マーシャさんが握られている。
……でも、霊って生きた人間に触われるの?
「いや、いやいやいやぁぁぁぁぁ!!!」
泣き叫ぶマーシャさんの顔が、ドロドロと崩れていく。
あれって、まさか魂……?
マーシャさん、もう殺されて……。
『もうひとつ。ちゅるるるっ。うまっ、うっま』
「だずげでっ、だずげっ、いびゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
ぐちゃ、ぐちゃぐちゃぐじゅっ。
マーシャさん――の多分幽霊が、ぞっとするような悲鳴を残して、頭からついばまれて飲み込まれていく。
なにあれ、ああやって他の霊を取り込んでいるの?
それであんな化け物みたいに……?
『うっぐ、ごくん。もひとつ、うまいの、もうひとぉつ。ぴー、ちゅるるるるるぅ』
「ひっ……!」
まずい!
今度はアイツ、フレンちゃんを殺して食おうとしてる……!
ビビってる場合じゃない、動け、動いて私の足っ!
「フレンちゃん!」
恐怖を殺して走り出す。
フレンちゃんを助けるために、あの化け物の方へ。
我ながら正気じゃないと思ったけどさ、見捨てるなんて絶対嫌だから。
ガシッ!
「トリスちゃん……!」
「早く立って! 急ぐよ!」
しっかりと親友の手をとって、すぐにUターン。
まっしぐらに悪霊から逃げようとして、
「……うあっ!?」
強い力で引っ張られる感じがして腕が離れ、バランスを崩してその場にすっ転んだ。
痛いだとか、なんで、だなんて考えるまでもない。
そう、悪霊の腕が伸びてきて、フレンちゃんの体をわしづかみにしたからだ。
「あ゛っ! いや、やだっ!」
『おいしそう。うま、うまそう。ぴー、ちゅるんっ』
「食べないで! お願い、助けて!」
もう、ダメなの……?
このまま私、だれも助けられないまま……。
……そんなの、嫌だ。
「この……っ! フレンちゃんを離せ……っ!」
つかんだ指をこじ開けさせるために悪霊の腕へと触れた瞬間、泥みたいな感触と体温が奪われる感覚に襲われる。
すっごく気持ち悪い。
でも、さわれた。
さわれたなら助けられる、あきらめたくない……!
「離せぇぇ……っ!!!」
『おいしそう、もうひぃとりぃ。ぴちゅるるるるるるるんっ』
「――無謀ね。あなたも取り殺されるわよ?」
ズバシュッ……!
聞こえた誰かの声と、手首から切断される悪霊の腕。
飛ばされた手首を引っ張ってたおかげで、私はその場にしりもちをついた。
今の、助けてくれたの?
いったい誰が――。
「勇気と蛮勇は違う。肝に銘じておくことね」
私たちと霊の間に立っていたのは、黒いコートとつば広の帽子をかぶった長い黒髪の女の人。
手に二本の剣を持っていて、背中に大きな十字架を背負った。
霊を斬れる、ヒトだった。