172 あれから10年経ちました
夜の王都。
マナソウル結晶の街灯の明かりもとどかない薄暗い路地裏を、女性がひとり息を切らせて走っていく。
「はぁ、はぁ……!」
ときおり背後をふり返り、『ぺたぺた』とした音が追いかけてくることを確認しながら。
「どうして……、なんで追ってくるの……!?」
わけもわからぬまま追い回される彼女には、その逃走は永遠に続くもののように思えただろう。
しかし、終わりは唐突に訪れる。
「あ、あぁ……っ」
行き止まり。
先のない袋小路に追い詰められた女性に、もはや逃げ道などない。
ぺた、ぺた。
「ひ、ひぃ……」
ゆっくりと近づいてくる『足音』に、腰を抜かしてカベに背をあずけてへたり込む。
そんな彼女の前に、とうとう『それ』は姿をあらわした。
『ねーぇ、ちょうだい……?』
ぺた、ぺた。
女性の腰につけた、小さなランプの明かりが異形の姿を照らし出す。
瞬間、彼女は自らの『勘違い』を悟っただろう。
ぺたぺたという音は『足音』ではなく『手音』。
下半身の存在しない少女が、胴体の断面から垂らしたはらわたを引きずりながら、手を使って疾走している音だった、ということを。
『下半身、ちょうだぁい??』
「い……、いや……っ! やだぁぁ……!!」
『歪み』きった笑みをむけられて、彼女は涙ながらに何度も首を横に振る。
下半身のない『悪霊』は『目的』を果たすため、薄汚れた手をのばし――。
「――ブランカインド流葬霊術、十字の餞」
ザンッ!
……間一髪!
ティアの放った十字の斬撃で、モヤモヤへと変わりました。
パワーアップした私の天河の瞳、地図だけじゃなくて映像まで出せるようになったんですよね。
太陽の瞳を失ったぶん、『星の瞳』が強化されたわけです。
そんなわけで女のヒトの視界を見せてもらっていましたが、なかなかに怖かった……。
ともかくっ。
「もう大丈夫だよっ」
「あなたを襲った悪霊は、たった今祓ったわ」
「あ、あなたたちは……?」
困惑しきりの女性に、ひとまず自己紹介。
葬霊士なんて知ってるかどうかわかりませんが。
「私はティアナ・ハーディング。ブランカインドの葬霊士よ」
「そして私がトリス・ハーディングですっ。ふーふで悪霊、祓ってます!」
★☆★
「報告ご苦労さん。王都にひそむ上半身だけの悪霊、討伐任務達成だ」
「当然よ。私を誰だと思っているの?」
ファサァっ、と長い髪をなびかせて、どや顔を決めるティア。
大僧正さんの視線が冷たいです。
「……ったく、お前はいつまでたっても変わんねぇなぁ」
早いもので、あれから『10年』がたちました。
すっかり大人になったティアですが、大僧正さんとの関係は相変わらず。
憎まれ口をたたいては怒られる日々です。
「大僧正こそ変わらないわね」
「ホントはさっさと隠居してぇんだけどよぉ。いい後継なら山といるんだ。特にティアナ、お前に押し付けてやれれば最高なんだがな」
「冗談じゃないわ。私は生涯、現場で現役よ。偉そうにイスにふんぞり返る日々なんて、退屈でおかしくなりそうだわ」
「……ま、そうだわな。大僧正なんてガラじゃねぇか。となるとセレッサか、あるいはユウナ――なんてとんでもねぇな……。やはりメフィ……?」
「どのみち、私には関係ない。帰りましょう、トリス」
「う、うんっ。『あの子』も待ってるだろうしっ。それでは大僧正さん、失礼しますっ」
後継者についてお悩み中の大僧正さんにぺこりと頭を下げて、私たちは我が家――の前に、セレッサさんのおうちへむかいます。
だいじなだいじな『タカラモノ』を迎えにいくために。
「セレッサさん、いるー?」
セレッサさんのおうちに到着して、玄関から声をかけます。
すると奥のほうから、ぱたぱたと足音が。
トビラがいきおいよく開かれて、中からかわいい女の子が飛び出してきました。
「お母さまっ、おかえりなさい!」
「ティルちゃんっ」
私に飛びついてくる、薄桃色の髪のちいさな女の子。
この子こそ私とティアの愛の結晶、ティルメットちゃん(8さい)です。
名前の由来はティアと私と、それからテルマちゃん、それぞれの名前を合体させたカンジ。
とってもかわいく、すこやかに育ってくれています。
……えっ?
女の子同士で子どもができるのは、この世の常識ですよね……?
「お母さまぁ……、すんすん、いいニオイですぅ」
「もうっ、まだまだ甘えん坊さんなんだからっ」
私のお胸に顔をうずめてニオイをかいじゃう辺り、まだまだ甘えたい年頃のよう。
ティアの方にはあんまり甘えにいかないのは、どうしてなのでしょう……とも思いますが。
「ティアナお母さまも、おかえりなさいっ」
「えぇ、ただいま。ユウナたちに迷惑かけてなかったかしら」
「おりこうなモンだったぜ」
おっと、家主さんの登場です。
セレッサさんとユウナさん――タントお姉ちゃんが、連れ立って玄関先へ出てきました。
「そうそう、セレナとも仲良くしてくれてたし」
セレッサさんの後ろに隠れる女の子の頭を、ポンポンなでるユウナさん。
あの子はとっても引っ込み思案な、セレッサさんとユウナさんの娘さんです。
ティルちゃんのふたつ下、6さいになります。
「ねー、セレナ?」
「ゅ……、ぅん……」
おっかなびっくりですが、うなずいてくれました。
ホントにいい子でいてくれたみたいです。
当然ですよね、私たちの愛娘なのですから。
「ふたりとも、預かってくれてありがとねっ。あとできちんとお礼とかしなきゃ」
「いいんだよ、そんな水くせぇ。近所で親戚だろ? 持ちつ持たれつってヤツだ。オレたちがふたりとも任務のときにセレナをあずかってくれれば、それでいいからよ」
あたたかい言葉、染み入ります。
と、そんなやり取りをしているあいだもティルちゃん、全力で私に甘えてますね。
「お母さま、お母さまっ。すんすん」
「ちょ、あんまりニオイ嗅がないでぇ! 長旅から帰ったばっかりなんだからぁ」
いくら娘が相手だからって、汗のニオイとかやっぱり気になっちゃいます。
胸の谷間なんて特に、汗でムレちゃうものですし。
「でしたらお母さまっ、ティルとふたりで温泉行きましょ、温泉っ」
「ふたりで? みんなじゃなくていいの?」
ティアとも久しぶりに会ったのに、そっちに甘えに行かなくっていいのでしょうか。
私的にはティアがすねちゃわないか、の方が気になりますけども。
アレでいて子どもっぽいところもあるんだよね。
そこがまたかわいいのですが。
「セレナちゃんとも仲良くなったんだよね?」
「んー、お母さまとふたりっきりがいいのですぅ」
あらら、ふくれちゃいました。
こうなったらもう、聞き分けもなにもあったもんじゃありません。
「……えっと、ティア。ティルちゃんとふたりで、行ってきていい?」
「かまわないわ。その間、ユウナたちと話しているから。のんびり入ってきなさい」
どうやらスネたりはしてない様子。
だったら心置きなく行ってきましょうか。
「ティアママの許可が出たよっ。行こっかティルちゃん」
「はい、お母さまっ」
お手々つないで、いざふもとの温泉へ。
なぜだか昔っからティルちゃんって、あの温泉が好きなんだよねぇ。
さて、到着です。
森の中にひっそりとあるこの温泉。
私にとっても、とっても思い出深い場所。
(ここで『歪み』かけたテルマちゃんから告白されたり、ティアとテルマちゃんと恋人になったり、全部終わったら二人でここに来ようってテルマちゃんとの約束を果たせなかったり……。いろいろあったなぁ……)
生まれ変わってまた会いましょう、と約束してくれた『あの子』の魂とは、どうやらまだ再会できていません。
転生するために煉獄の浄化の炎を通るとき、魂は初期化され、まったくの別人として生まれ変わる。
あれから10年、大急ぎで転生したなら、もう産まれているはずです。
私の感知力でも転生前後なんてわかんないけど、必ず見つけられる、そう信じています。
「……待っててね、テルマちゃん」
大事な大事なあの子の名前をちいさく呼びます。
ですが、いつまでも物思いにふけっていられません。
お母さんとして、やるべきことをしなくちゃです。
「ティルちゃん、ひとりでお洋服脱げる? お母さん手伝おっか」
「平気なのですっ。ティル、もう大人ですから!」
おやおや、我が子ながら頼もしいお言葉。
ではえんりょなく、私も服をぬぎぬぎ、と。
――バサァっ。
「んぅ……?」
なんでしょう。
なにかが床に散らばったような音。
服と下着を脱衣かごに入れながら、音のした方――ティルちゃんの方へと目をむけます。
すると――。
「え――?」
床に散らばる大量の、髪。
赤くて長い、髪。
たくさんの、髪。
風に吹かれて飛んでいくその髪は、まさしく。
私の、頭髪でした。
「――あーあ、落としちゃいました。せっかくたくさん集めたのに」
脱衣かごにスカートを入れるとき、ポケットから散らばってしまったのでしょう。
すでに裸のティルちゃんは、追いかけることもできずに飛ばされていく髪を見送ります。
「ティ、ティル、ちゃん……?」
「お母さまの寝室とか、シャワー浴びたあとのお風呂場とか、たくさん拾い集めたのですよ? あの髪があるから、お留守番だって頑張れたのです」
「ねぇっ、ティルちゃんってば……」
ぺた、ぺた。
こっちに近づいてくる愛娘の行動に、頭が追いつきません。
思わずあとずさって、すぐにぺたんと尻もちをついてしまいます。
「お母さま。前にもこんなこと、ありましたよね?」
「え? えっ?」
前にも、たしかにありました。
はじめてこの温泉に来たとき。
でも、ティルちゃんがそのことを知ってるはずが……。
「ねぇ、お母さまぁ」
ティルちゃんが裸の私にのしかかります。
幼い肢体をぺったりとくっつけて、妖艶に笑うティルちゃんの表情は、とても8歳のモノとは思えません。
「ティルね、じつは前世のことをおぼえているのですよ……」
「え? 前世、って……」
「煉獄の炎。とっても熱かったです。でもね、頑張りました。忘れないように、忘れないようにって頑張って。そしたら覚えていられたんです。愛の力、なのでしょうか」
「ねぇ、ティルちゃん……? ホントに、ティルちゃんなの……?」
「はい、ティルです。お母さまの娘のティルですよ」
たしかにティルちゃん。
ティアとの愛の結晶。
私の血をわけた実の娘のティルちゃんに、間違いありません。
けど……。
「けど、お母さま。もうわかっているのでしょう? ね、ティルのもうひとつの名前、呼んでください」
「ぅ、ぁぁ……」
「うふふっ。『あのとき』の約束、ようやく果たせますね。……ねぇ、お姉さまぁ?」