168 やさしい光
ヒルコの闇が払われ、抜けるような青空が一面に広がります。
私たちを照らすのは、空に輝く太陽の光。
ですが今日は太陽がもうひとつ、私たちの頭上にサンサンと輝いているのです。
正確には太陽と見間違えそうなまばゆい光が。
あれこそが――。
「聖霊神、アマテラス……」
「お姉さま、聖霊神の名前がわかるのですか?」
「また声が聞こえてね、教えてくれたの」
聖霊神はゆっくりと降りてきます。
そして宝物殿の屋根よりちょっと高いところ、スサノオの頭あたりで止まりました。
光があまりにも強すぎて、アマテラスの姿は私にもおぼろげなシルエットにしか見えません。
夢で見た、おっきな女のヒトのシルエットそのままです。
きっと他のヒトたちには、太陽みたいな光の球にしか見えないことでしょう。
『ふしゅる、ふしゅるるる……』
『おぉ慈母よ、遍く我らが世界を照らす大神よ……!』
ツクヨミもスサノオも、すっごい喜んでますね。
というか泣いてます……?
『…………』
そんななか、ヒルコがゆっくりと立ち上がりました。
ほかの聖霊たちとおなじく太陽のように輝く光を見上げながら、音もなく浮かび上がってアマテラスと同じ高さへ。
そのままなにをするでもなく、じっと光の奥を見つめています。
「なにをしてるのでしょう」
首をかしげるテルマちゃん。
私にもさっぱりわかりませんが、なにかをお話しているように見えるかも……?
「……っ!?」
そのとき、アマテラスと私の『太陽の瞳』が共鳴を起こしたのでしょうか。
頭の中にたくさんの『お話』が流れ込んできました。
大量の情報の波に意識が持っていかれそうになります。
「あ……ぅぅっ……」
「お姉さま!?」
「だ、だいじょうぶ……」
「どうされたのですか……? やはり『太陽の瞳』の使い過ぎで……」
「ちがうの。……あのね、アマテラスとヒルコの『お話』のね、内容がわかったんだ」
「お話? あの二体、お話しているのですか?」
「そうだよ。『はじめまして』のごあいさつをしてるんだ。それから『さようなら』と『これからよろしくね』も」
「ど、どういうことです……? テルマにはさっぱり……」
「えっとね……、どこから話したらいいんだろ。まず『聖霊』ってなんなのさ、ってとこから説明しなきゃいけないよね」
アマテラスとの共鳴で、そのあたりの事情も知ることができました。
そこを説明しなきゃ、ヒルコとアマテラスの関係も説明できません。
「聖霊の正体? そいつぁ気になるところだね」
と、この声は……!
見ればお庭に大僧正さんとメフィちゃん、それからテイワズさんにシャルガのヒトまでやってきていました。
よかった、みなさんご無事みたいです!
「アンタも気になるだろ、シャルガの族長さん」
「……そりゃもちろん。我らが信仰するものの正体、知りたない言う方がムリっしょ」
テイワズさん、目を細めてアマテラスの光を見上げます。
「あれが聖霊神……さま、か。キレイなもんやわ……」
聖霊神に対する憎しみは、もうなさそうです。
大僧正さんやセレッサさんが、知らないところで頑張ってくれた……のでしょう。
「トリスさん、僕らにも聞かせてくれる?」
「もちろんですっ。えっとね――」
まず、聖霊というものは『大自然の力』に意思が宿った霊。
自然の化身です。
意思はあってもそれ自体に善意も悪意もなく、風が吹けばモノが飛ぶように、波が寄せればモノがさらわれるように、ただそこに『在る』だけのものでした。
ですが霊である以上、『歪み』はたまります。
自然の化身だからこそ『この世』にしか存在できず、どんどん歪んでいってしまう。
「――その『聖霊の歪み』を浄化する力をもった唯一の聖霊が、自然の力の中でももっとも強力な『太陽』の化身――『聖霊神アマテラス』なの」
「そんな大事なお役目をもっていたアマテラスが、どうして封印されてしまっていたのでしょう……」
「アマテラスには『願いを叶える力』もあるんだ。そのせいで3000年以上前、大きな争いが起こったらしいの。悲しんだアマテラスは自らを封印して、聖霊の浄化の役目を自らが造った分身体――『ヤタガラス』に託した。ヤタガラスに受け継がれた『浄化の力』と『願いを叶える力』は、アマテラスに比べればささやかなモノだったけど、なんとか聖霊を『致命的に歪ませる』までは行かなかった」
「……それでも結局、僕らの祖先はそいつをめぐって争ってしまったわけか。ヤタガラスまで封印されて、いよいよ聖霊様の『歪み』に歯止めが効かなくなった、と」
ヒトの欲望が自然を、聖霊を歪ませてしまったのかもしれません。
きっと誰のせいでもなくって、誰のせいでもあったのでしょう。
「……それでね。ヒルコはアマテラスがいなくなって地上に満ちた新しい自然現象――『歪み』の化身なの」
人間霊のものならともかく、聖霊の『歪み』はアマテラスにしか消せません。
ヒルコが不死身だったのはそういうわけ、です。
「だからヒルコは『聖霊神』の復活を止めたかった。アマテラスが復活したら、地上に存在する聖霊たちすべての歪みが取り除かれてしまうから。『歪み』のカタマリである……自分自身が消えてしまうから」
「……なんだか、かわいそうですね」
「でもね、ヒルコはきっとアマテラスを憎んでいないと思うの」
ヒルコはアマテラスがいなくなってから生まれた、いちばん新しい聖霊です。
すべての聖霊の中で、アマテラスを知らないただひとりの存在。
そのうえアマテラスが隠れなければ生まれなかった、アマテラスのおかげで生まれたに等しい存在です。
「影の赤ん坊、ずっと『ママ』を呼んでいたよね。ヒルコだって心のどこかでママに――アマテラスに会いたかったんじゃないかな」
まったくの憶測ですが、外れているとも思えません。
だってアマテラスと『お話』しているヒルコの表情……。
「だって、あんなにうれしそうなんだもん……」
『みんな』を助ける。
アマテラスの言った『みんな』の中に、きっとヒルコも入っていたんじゃないかな。
『――、――』
『……』
『――』
スッ……。
『お話』が終わったのでしょう。
アマテラスからヒルコがスッと離れます。
そして優しい光が、あたりを照らしはじめました。
「お姉さま、今度はいったいなにが起こっているのです?」
「『浄化』がはじまるみたい。今はまだ、ヒルコやスサノオたちだけ、みたいだけど」
世界規模で浄化をするより先に、まずは目の前の大聖霊たちを清めるみたいです。
「それではまさか、『お話』のなかで言っていた『さよなら』って……」
スサノオに、ツクヨミに、そしてヒルコに、『浄化の光』が降りそそぎます。
まがまがしい異形の鎧武者『スサノオ』。
枝分かれしていた腕が左右対称の二本にまとまり、にごっていたたくさんの眼が澄んだ色にかわっていきました。
不吉な黒ウサギ『ツクヨミ』。
どす黒い黒の毛並みが、キレイな夜空のような光沢のある黒へと変化していきます。
もう二体からまがまがしさはまったく感じられません。
……どっちも気味が悪い見た目のままではあるのですが、そこは人知を外れた存在。
人間の美的感覚からは外れているようで。
そしてヒルコ。
『歪み』のカタマリであるヒルコは、浄化の光を受けるとともに体がチリに。
「ヒルコが、消えていきます……!」
「覚悟の上、だったと思うよ。だから最後に『お話』したんだ」
ヒルコはもう、まったく抵抗しません。
安らかな顔で浄化の光を浴びて、ゆっくり、ゆっくりと小さくなっていきます。
細身の八頭身から、初めて遭遇したときの子どものような姿。
さらには胎児のような姿に変化していって、最後には……。
小さな、とってもとっても小さな黒いまるになってしまいました。
「……消えなかった? それとも消さなかったの?」
……いえ、もしかしたら。
ヒルコを構成していたものは、『歪み』だけじゃなかったのかもしれません。
歪みをすべて取り除いて、最後に残ったちいさなちいさなヒトカケラの『なにか』。
アマテラスの手が光の中からのびてきて、『それ』をやさしく包み込むと、自分のおなかのあたりにそっと納めました。
「……お姉さま、言ってましたよね。ヒルコはママが欲しかったんじゃ、って」
「うん。……そっか、お話のなかで言ってたの、『さよなら』だけじゃなかったもんね」
「『これからよろしくね』、でしたっけ」
きっとこれからさき、ヒルコは新しい姿で生まれてくるのでしょう。
すぐなのか、それともずっと先なのか、人間である私たちにはまったくわからないことですが。