163 降臨の儀
棺のフタを開けた瞬間、背筋がゾッと寒くなります。
ほかの聖霊とはくらべものにならないほどの、『ヒルコ』と同等の威圧感。
黒いモヤモヤが形をとって、現れたのは真っ黒なウサギさんでした。
顔中に目玉が散りばめられているからでしょうか、ちっとも可愛くありません。
『――我が名はツクヨミ』
前にセレッサさんから話を聞いたとおり、ツクヨミはとっても低い声でしゃべりはじめます。
『汝が願い、叶えよう。心のおもむくままに欲望を吐き出し……』
きっとこの問いかけに答えちゃいけません。
無視して次の棺を手に取ります。
「つ、次、スサノオだね……」
「解放しちゃってホントに平気なんでしょうか。襲ってきたり、暴れ出したりしちゃいません?」
「んん……、大丈夫じゃないかもだけど。ここまできて止まれないよっ」
みんなが私の見た映像と直感を信じてここまで送り出してくれたんです。
危険でも、やるしかありません!
「それに、危なくなってもテルマちゃんの衣が護ってくれるんでしょ?」
「お姉さま……。はいっ、どんなことがあっても絶対に、テルマがお姉さまをお護りしますっ!!」
とっても頼もしい言葉をいただいて、もうこれっぽっちも怖くありません。
パチンとフタを、開きます!
ずぉぉぉぉぉぉ……っ。
棺の中からおぞましい、黒いモヤがあふれ出していきます。
ツクヨミやヒルコを越えるかもしれない、圧倒的なプレッシャー。
加えて私、この聖霊が放つ気配は嫌というほど知っているんですよね……。
命がけでむかい合った相手ですし。
正直なところ二度と感じたくありませんでした。
黒いモヤが形を成して、実体化する巨大な鎧武者。
忘れもしません、この姿。
下半身がなく、枝分かれした三本の腕が不規則についていて、
『シュゥゥゥゥゥゥ……』
目玉がつまった仮面の奥から、呼吸音とも鳴き声ともつかない音をもらしています。
と、いいますか……。
「な、なんでスサノオ、二頭身になってないの……」
「わ、わかりませんよぉ……っ」
棺から出てきたはずなのに、力を封じられた状態になっていません。
あのとき戦った、そのままの姿なのです。
「で、ですがお姉さま、暴れ出したりしないみたいですよっ」
「そうだね。じっと『聖霊像』を見てる……」
魔法陣型に並べられたななつの聖霊像を、静かにたたずんだままじっと見つめるスサノオ。
いったいなにを考えているのか、さすがの私にもさっぱり感情が読めませんが、大人しいならそれでよし。
「よ、よぉし、今のうちに『ヤタガラス』も出しちゃおう」
今度は安心です、なにせ中身が入っていない。
動かない置物と同じなので。
「さぁ、出てきて――」
パァァァァァっ……。
あ、あれっ?
な、なんだか私、目が熱いような……。
「お、お姉さま……? 『太陽の瞳』が出ちゃってますが、どうされたのです……?」
「えっ? あ、あれ……? ウソ、なんで……?」
気づくと同時、私の体が地面に倒れて魂が抜け出ます。
こんなの初めてのはずです。
これまで勝手に瞳が発動したことなんて――、したこと……、なんて……。
あ、あった……、一度だけありました。
まだこの力を自覚する前に、勝手に魂が分割されて『聖霊の墓場』に飛ばされたとき。
あのとき、墓場にはまだ『スサノオ』がいて……。
とっさにスサノオの方を見ます。
すると、です。
たくさんついたスサノオの眼がすべて、『星の瞳』になっていることに気づいたのです。
それだけじゃありません。
『ツクヨミ』の瞳もまた、『月の瞳』に。
「なに……? いったい、なにが起きてるの……?」
ぱちんっ。
そのときでした。
『赤い棺』が勝手に開いて、中からモヤモヤが飛び出したのは。
当然、モヤが形をとったのは最後の三大聖霊『ヤタガラス』。
カラスの頭にヒトの胴体、三本の足を持った異形の体、これもやっぱり二頭身なんかじゃありません。
もしかすると棺の『チカラを奪う機能』って、三大聖霊には効果がないんじゃないでしょうか。
ツクヨミもアレで完全な姿なのかも……。
『ふしゅるるるる……』
「こ、今度はなにぃ!?」
スサノオの漏らした声に思わずビクッとしちゃいます。
ですが、ビクッとする程度じゃすみませんでした。
なんとスサノオ、私にむかって手をのばしてきたのです。
「ひぅっ!?」
思い出すのは七つの聖霊像が見せた映像。
あのときもたしか、スサノオが私に手をのばして、つかまれて、それで――。
恐怖で一歩も動けない私の魂を、
ガシッ。
スサノオの巨大な手がわしづかみにしました。
「あ……、あぁぁ……」
奥歯が勝手にガチガチと音を鳴らします。
もしスサノオがちょっとでも力をこめたら私、ブチっと潰されて……!
「お姉さまっ! このぉっ、お姉さまを離してくださいっ!!」
テルマちゃん、急いで私に衣を着せてくれました。
ですが、なにも起こりません。
衣がスサノオの腕をはじき飛ばすことはなく、私はどんどん持ち上げられていきます。
「ど、どうして効かないんですかぁ!」
(……ホントにどうして? どうして衣が反応しないの?)
テルマちゃんの神護景雲の御衣は、私に危害を加えるものを拒絶する力を持ってるはず。
例外なんてありませんし、聖霊の攻撃でも問題なく防げるのに。
えっと、つまり、もしかして……?
「このままじゃお姉さまが、お姉さまがっ……! ……そ、そうです! お姉さま、テルマすぐにスサノオを棺にもどしますから!」
「あ、待ってっ! たぶん私は大丈夫!」
スサノオ、私に危害を加えるつもりはないんじゃないでしょうか。
衣が反応しない理由って、それしか考えられません。
「スサノオがなにをしたいのか、ちょっと見守ってみよう?」
「お、お姉さまがそうおっしゃるなら……」
テルマちゃん、ものすっごく不服そうですが納得してくれました。
さて、スサノオは私をつかんだまま『ヤタガラス』へと近づいていきます。
そしておもむろに、
ずぼっ。
「わひゃっ!」
私を『ヤタガラス』の胸のあたりに突っ込んだのです。
「な、なんでぇ……!?」
ヤタガラスの体の中は半透明。
外の景色もよく見えます。
それになんだかあったかくて、お風呂の中にでもいるみたいで、とっても安心するんです。
こんな状況でも落ち着いていられるくらいには。
(なんだか、懐かしいカンジ……)
スサノオ、どうやらヤタガラスに私を入れたかっただけみたいですね。
ヤタガラスの心である私がヤタガラスに入った、ということは……。
パァァァァァっ……。
やっぱり。
ヤタガラスの瞳も『太陽の瞳』となって輝きはじめました。
これで『アマノイワト』が出現するはず……!
『ふしゅぅぅぅ、しゅこぉぉぉ……』
『おぉ我らが慈母よ陽光の化身よ。今こそ現世へと舞い降りてあまねく我らを照らし奉らん』
スサノオとツクヨミが『聖霊像』にむかって礼拝をはじめます。
ヤタガラスも同じく、です。
それに呼応するように聖霊像も光を放ち、魔法陣が造られて――。
「っぐ……!」
ドクンッ!
とつぜん、胸のあたりに激痛が走ります。
霊体のはずなのに痛いというのも不思議ですが、とにかく痛いのです。
「な、なにこれ……っ」
見れば胸のあたりから、か細い糸が私の肉体にのびていることに気づきます。
その糸が、ただでさえ細いのに、みるみるうちにどんどん細くなっていっている。
これって、まさか……。
「お姉さまっ! お姉さまの命の糸が……!」
「テルマちゃんにも、ぁぐっ、み、見えるの……?」
そのとき、理解できました。
アレは私が体にもどるために必要なもの。
糸が切れたとき、私の体は死んじゃって、幽体離脱からホントの幽霊になってしまう。
切れそうになってる原因ならわかります。
『アマノイワト』を呼ぶために、ヤタガラスが『太陽の瞳』の願いを叶える力を使っているから。
ヤタガラスの心である私の力を使って呼んでいるのです。
「ダメですお姉さま、早くヤタガラスから出てください!」
「でき、ないよ……! ここでやめたら、『みんな』を助けられない……!」
「そんな……!」
「ごめんね、テルマちゃん……。私、犠牲になるつもりなんて、っ、なかったん、だけど……っ」
「ダメです、嫌です、認めません! たとえテルマがどうなっても、お姉さまは……っ!」
「テルマちゃん……?」
あの子、魂が抜け出た私の体に飛び込みました。
私の体に入っちゃった……?
「お姉さまは、絶対に死なせませんっ!!」
テルマちゃんの入った私が起き上がります。
その瞳に輝く太陽の光彩。
テルマちゃんも、『太陽の瞳』を……?
「お姉さまっ! テルマもその中にっ!」
ずぽんっ。
ヤタガラスの足から飛び込んで、体内を泳いで登ってくるテルマちゃん。
私のとなりまで来ると、手を片手をぎゅっと握ります。
すると、です。
胸の痛みがウソのように消えてなくなったのです。
「お姉さま、テルマが半分肩代わりしますっ。これでお姉さまの負担も半分です」
「テルマちゃん、どうして『太陽の瞳』を……?」
「じ、じつは先ほど、お姉さまが寝ているあいだに出来るようになっててまして……」
「そうだったんだ、すごいよぉ!」
「え、えへへ……」
さっき、ってことはノームのときだね。
ってことはティアも知ってたのかな。
知ってたのなら教えてくれてもよかったのにっ。
ゴゴゴゴゴ……!
「な、なんでしょうお姉さま……」
「……くるよ」
「えっ?」
空気を揺るがす鳴動があたりをつつみます。
聖霊像の魔法陣が輝きを増し、一本の光が天へと放たれる。
その光は宝物殿の結界を貫いて、霊山をつつむ闇へと突き刺さりました。
そこに生まれた空間の穴。
むこうがわに見えた景色に、私はとっても見覚えがあります。
星の海と灼熱の地平線。
太陽、です。
「くる……。『アマノイワト』が……」
ゴゴゴゴゴゴゴ……!!
鳴動はさらに激しさを増し、穴がどんどん広がっていきます。
そしてついに、空間の穴を通って『それ』が地上に降臨します。
巨大な岩のカタマリにしか見えない、けれどかすかな光を放つもの。
聖霊神の封じられた『アマノイワト』が。