149 見えていた聖霊
目の前にもうひとりユウナが現れたわ。
いつも通りの元気な様子で、不敵に笑いながら双剣をかまえているわ。
これは……。
そう、そういうことね。
「カムイ、とか言ったかしら? ずいぶんと姑息な手を使うわね。ユウナのニセモノで私を惑わそうだなんて」
カムイのヤツ、ニセモノのユウナの死体を投げ捨てたわ。
その体がドロドロの黒い泥に変わって消えていく。
「……ユウナさん。あなたにも彼女とおなじ包囲をしいたはずですが? その上、入り組んだ迷宮が立ちはだかったはず。想像以上にお早い突破でしたねぇ」
「ユウナ様をなめすぎだねー。いくら再生するからって、あの程度の奴ら斬り進むだけなら簡単簡単。迷宮の方は……まぁ、私はひとりじゃないってことで――」
「――ボクがナビゲートさせていただきました」
そうよね、ユウナってば私に似て方向音痴だもの。
けれどタントがついていたから、短時間で迷宮を抜けられたのね。
タントはトリスに似て方向感覚がいいのかしら。
「ってなわけで。最強姉妹がそろっちゃったわけだけど?」
「私ね、とっても怒っているのよ。たとえニセモノだったとしても、私にまたユウナの死を見せつけるだなんて。絶対に許してあげないわ」
ユウナと背中合わせで双剣をかまえて、ともにカムイをにらみつける。
勝負あり、でしょうね。
だって相手はうつむいて、小さく肩を震わせているんだもの。
「……ふっ、ふふふっ、ふはははははっ! はーっはっはっはっはっはっはっ!!」
……ちがったわね。
のけぞりながら高笑いしだしたわ。
ずいぶんご機嫌ね。
「いやはや、私もね。あんな子供だましがうまくいくなど考えていませんよ。むしろ想定以上に効いていまして、おどろいた次第」
「む……」
なんだかバカにされてる気がするわ。
腹立つわ。
「ユウナさんがこちらに来てしまったことは計算外でしたが、なにも問題ありません。まとめて始末するだけです」
「面白いこと言うねー。アンタと木っ端聖霊だけで、私とお姉ちゃんを倒せるだなんてどんな計算してるわけ?」
「この場の戦力では、あなたの身を護ることすら困難よ」
「なにを言っておられるのか。あなたたちお二人をまとめて霊へと変えてくださる『大聖霊さま』のお姿が、よもや見えてはおられぬと?」
「大聖霊? そんなものがどこにいるのさ」
「いますよぉ。最初からずーっと見えてます。あなたたちの目の前に……」
パチンっ。
カムイが指を鳴らすと同時、あたりの空気が一変したわ。
まるで背中に大粒の氷を押し付けられたような、聖霊特有の強烈なプレッシャー。
まわりの木っ端聖霊たちの気配がゼロに等しく感じるほどに、重く、まがまがしい。
「お姉ちゃん、気をつけて。間違いなく近くに――ううん、目の前に『いる』……!」
「私も感じるわ。けれど……」
『いる』はずなのに姿が見えない。
いったいどういうことなのかしら……。
透明になれるカーバンクル。
霧と同化するデュラハン。
他にも姿を消せる聖霊なら、これまで何度も戦ってきたわ。
けれど今回の聖霊、『姿を消せる』とは違う気がする。
だって言っていたもの。
目の前にいる、って。
ずっと見えている、って。
(――見えている? もう、すでに……?)
……っ!
まさか――!
「ユウナっ! 聖霊の正体は――」
ぎょろんっ。
そのとき、『ダンジョン』のカベが眼を開けた。
瞳の光彩が満月の――狂気を誘う『月の瞳』の形へと変わって……。
「く……っ」
完全に切り替わる前に目線を切り、足元に顔をむける。
ところがそこにも、ぎょろん、ぎょろんとちいさな無数の眼が。
もちろんすべてが『月の瞳』。
どこに視線を逃がそうが、逃げ場はなかったわ。
カベ、床、天井。
ありとあらゆる場所がぎょろぎょろと開眼して、月の狂気を浴びせようと視線をむけてくる。
私には『目を閉じる』しか手が残されていなかった。
聖霊の大群にかこまれた状況のなかで、もっとも選びたくない選択肢を選ばされた……!
「……ユウナ、無事? あなたも目を閉じられたかしら」
「なんとか、ね。お姉ちゃんの声かけがなきゃ危なかったかも」
ユウナの無事が確認できて、すこしだけ安心したわ。
とんでもない危機的状況には変わりないのだけれど、ね……。
「本当に聖霊は『ずっと見えていた』のね。ちょっとばかりおどろいたわ」
「サプライズ大成功、といったところでしょうか。くくく……」
ちっとも嬉しくないサプライズね。
見えないけれど、きっとドヤ顔してるのでしょう。
今すぐ殴りたいわ。
「あらためてご紹介しましょう。このお方こそ『ノーム』様。ダンジョンのお姿をした聖霊さまです」
「ダンジョンそのものの聖霊、かぁ。とんでもないバケモノ飼ってるねぇ、シャルガは」
「そのあまりの巨大さゆえ、普段から地中に身を隠されております。トラップを展開し、ダンジョン内に引き込んだ獲物を、独立して移動する『端末』で攻撃、捕食されるのですが、そちらは今『太陽の瞳』の少女の捕獲に使用中」
「トリスが捕まった……!?」
「なのであなたたちに対する攻撃は、この私、カムイとこちらの聖霊さま方に一任される、とのこと。ご拝命、謹んでお受けいたしましたよ『ノーム』様」
トリスが捕まっただなんて……。
コイツの口ぶりからして身の安全は保障されているでしょうけど、でも……!
「お姉ちゃん、冷静にね。ここでやられたらトリスを助けるなんてこともできないよ!」
「……わかっているわ」
「わかっている? 本当にわかっておられるのでしょうかねぇ。視界を封じられ、無数の聖霊様にかこまれているこの状況を!」
たしかにかなりつらい状況ね。
『シムル』の風の力をつかえば、目を閉じていてもまわりの状況はわかる。
だけど限度というものがあるわ。
ユウナに至ってはそれすらないわけだし。
……けれどね。
「舐めないでほしいものね」
敵に弱みは見せないわ。
私とユウナなら、この程度の危機はきっと乗り越えられる。
「『この程度』で、ブランカインド最強の葬霊士をしとめられると思っているの?」
「同感。ところでお姉ちゃん、『最強』ってどっちのことか、あとで確認させてもらっていい?」
「確認するまでもないわ。私よ」
「言うねー」
さぁ、切り抜けてみせましょうか……!
★☆★
お姉さまが捕まっていた階から、階段を駆け上がって元居た階へ。
『ノーム』は追いかけてこないみたいです。
「はぁ、はぁ……っ。息が切れるだなんてこと……っ、すっかり忘れてました……っ」
体がある感覚、なれないものです。
なにせテルマ、肉体を持っていたのはたったの12年、失ってからは500年。
幽霊でいる時間の方が、ずっとずーっと長いのですから。
「す、すこし休憩……です……っ」
お姉さまのお体です、大切にしないと。
座り込んで息をととのえつつ、荒い息に合わせて上下する胸に視線を落とします。
……けっしていやらしい意味ではなく。
「お姉さま……。まだ起きられませんか……?」
お姉さまを助け出せたのに、お姉さまの意識はまだ戻りません。
お姉さまのお声が聞きたい。
笑顔が見たい。
「テルマちゃん」って呼んで、頭をなでてほしい。
お姉さまがもどってこないと、助けられた実感すらわいてこない。
「お姉さま……」
胸の前できゅっと手を重ねて、目覚めをいのったときでした。
ゾクッ……!
「……っ!?」
とてつもない悪寒が『お姉さま』の体を襲います。
とってもまがまがしい聖霊の気配です。
こんな感覚、これまで味わったことありません。
お姉さまの感知力が、肉体をコントロールしているテルマにも働いている、ということでしょうか。
聖霊の気配はひとつ上のフロアから。
ティアナさんかユウナさん、もしくは二人ともが大ピンチなのでは……?
「お姉さま……。どうしましょう、テルマは……っ」
テルマ、もちろん助けに行きたいです。
もしテルマだけだったなら、迷わず駆けつけています。
けれど今、テルマは大事な大事なお姉さまのお体をあずかっているのです。
お姉さまに無断で、お姉さまの体を勝手に危険な目にあわせるなんて。
テルマにはそんなこと……っ。
『――人助け、だよっ』
「……お姉さま?」
声が聞こえた、ような気がしました。
「お姉さま? 意識が戻られたのですか?」
呼びかけても返事はありません。
お姉さまの意識はいまだ眠り続けたまま。
幻聴、だったのでしょう。
もしくはテルマの記憶の中のお姉さまが、ささやいてくれたのか。
いずれにせよ、テルマの背中を押すには充分でした。
「……そうですよ、こんなときお姉さまなら一秒だって迷いません」
呪いのような人助け欲がなかったとしても、お姉さまは絶対に迷わない。
たとえ知らない誰かだったとしても、すこしも迷わず助けに行くに決まっています。
大切な人たちならなおさらです。
ここで助けに行かなかったら、お姉さまに嫌われてしまいます!
「お姉さまなら、許してくださるに決まってる。ごめんなさい、ちょっと危ない目にあわせちゃうかもしれませんが……!」
衣をまとったまま立ち上がり、走りだす。
もう息は乱れていません。
だから全速力で、悪霊をはじき飛ばしながら駆け抜けます。
目指すはのぼり階段。
ひとつ上のフロアになにが待っているのかわかりませんが、待っていてください!
テルマがきっと、お力になりますから……!