147 魂を結ぶ糸
テルマは今、かなり機嫌が悪いです。
なぜってもちろんお姉さまがいらっしゃらないからですよ。
ダンジョンのようなこの空間に飛ばされたとき、たしかにお姉さまと手をつないでいたはずでした。
お姉さまのシルクのようにすべらかで焼き立てのパンのようにもちもちな手と、細く美しくしなやかで永遠にテルマに触れていてほしくなる指の感触を味わっていたはずでした。
だというのに、唐突に感触が変わって、いつの間にか悪霊と仲良くお手々をつないでいたのです。
もちろんすぐに衣ではじき飛ばしました。
そして現在、テルマは悪霊のお仲間さんにぐるりとまわりを囲まれています。
『神護景雲の御衣』の力もあって、近づけないみたいですけどね。
『かゆい』
『掻いて』
『お願いします』
「お断りですっ!」
どうしてテルマが見ず知らずの悪霊さんの背中を掻かなきゃいけないんですか。
まぁいいです、そんなのどうでもいいのです。
テルマにとってお姉さまより大事なことなどありません。
よってテルマがするべきは、お姉さまを探し出すことなのです。
「お姉さまぁ……、どちらにいらっしゃるのですかぁ……?」
お姉さまとテルマは魂のレベルでつながっていて、それほど遠くに離れることができません。
きっと近くにいるはずです。
悪霊さんたち、テルマの衣を恐れてか遠巻きに見たまま動きません。
なので集中してお姉さまの居場所を探ることができますね。
さて、霊力を駆使しつつよーく目をこらすと……、見えましたっ。
お姉さまとテルマをつなぐ、魂の細い糸。
がんばらないと見えないくらい細いのです。
これをたどっていけばお姉さまのもとへとたどり着けるはず。
「待っててくださいお姉さま! いますぐテルマが参ります!!」
悪霊たちが遠巻きに見守る中、糸の導きにしたがって駆け出します。
あぁ、お姉さまとテルマをむすぶ運命の糸。
なんだかとってもロマンチックですね……。
ダンジョンを進んで階段を降ります。
どうやらひとつ下のフロアにお姉さまがいらっしゃるよう。
さっきのフロアには悪霊しかいませんでしたが、なんだかこの階からは異様な雰囲気がします。
気をつけて、かつ迅速にお姉さまを探さないとですね。
通路のカドから様子をうかがいながら、糸をたどって進んでいきます。
進むにつれて異様な気配が濃くなっていっているのが気になりますが……。
そうして進んで、何度目かの曲がり角から先をのぞいた時でした。
『げ ぇ っ ぷ 。 げ ぇ ぇ っ ぷ』
カエルだかモグラだかよくわからない、つぶれたおまんじゅうみたいな聖霊を見つけてしまったのです。
しかもです、お姉さまとテルマの絆の証の糸が、こともあろうにあの聖霊のお口の中へと続いてるではありませんか。
「そ、そんな……っ!」
ショックのあまり口元をおおってしまいます。
お姉さま、もう聖霊のお腹の中に……?
い、いえ、冷静になりましょう。
お姉さまの生命の鼓動はまだ途切れてません。
つまり生きて聖霊の体内にとらわれている、ということです。
ならばテルマがするべきことはただひとつ。
「お姉さま……! テルマがいますぐお助けしますっ!!」
覚悟を決めて聖霊の前に姿を現します。
テルマの力で聖霊相手にどこまでやれるかわかりませんが、お姉さまのためならば!
『な ぁ に ぃ ?』
聖霊がゆっくりとこちらをむきました。
たくさんある眼とだらりと垂れた太い舌が不気味です。
あんなのの中にお姉さまが閉じ込められていると思うと、テルマ我慢がなりません!
「お姉さまを、返してもらいます!」
『な か み ぃ 、 み せ て く れ る の ぉ ?』
ドロドロの粘液のカタマリが吐き出されました。
ですが衣にはじかれて、一滴のこらず蒸発です。
「ききませんよっ! さぁ、痛い目にあいたくなかったらお姉さまを解放するのです!」
『み た い な ぁ』
べったんべったんっ!
お腹を地面に打ち付けながら、跳ねるように近づいてきました。
短い腕がぐにょんっ、とのびて、テルマにむかって平手打ち。
バチィンッ!
これも衣には効果なし。
腕が消し飛んでひるむ聖霊ですが、しかし相手は聖霊なのです。
驚異的な再生能力で、あっという間に元通り。
(ど、どうしましょう、これから……)
テルマにできるのは防御だけ。
攻撃なんてお姉さま考案の、衣をまとった体当たりくらいです。
そんなの無限の再生力をもつ聖霊相手に、なんの効果もありません。
さて、どうやってお姉さまを助け出したらいいのでしょう……。
『ん ん 。 な か み み た い だ け な の に ぃ』
お相手の方も決定打がなくってこまってるみたいですね。
距離をとったまま、舌をベロベロしています。
「お、思い知りましたかっ!? 思い知ったならお姉さまを解放しなさい!」
『み た い な ぁ』
……聞いてませんね。
そもそもなにを見たいというのでしょう。
『み た い ぃ』
パァァァァ……。
「!!?」
聖霊の目が光って、魔力球が頭上に現れます。
お姉さまの『星の瞳』と同じような魔力球です。
その魔力球の中に表示された情報は、テルマにとってなにより重要な、この世のどんなお宝よりも価値のあるものでした。
なんと、お姉さまの詳細な個人情報が表示されたのです……!
「お、お姉さまのスリーサイズ……、そんな詳細に……!? あぁっ、はじめてアレがアレした年齢まで……っ!」
『げ ぇ っ ぷ 。 み ぃ せ ぇ て ぇ』
「……って、テルマのこんな情報も見たいというのですか!? と、とんでもない変態聖霊ですっ!!」
テルマのこんな情報を知っていいのはお姉さまだけなんですからっ!
そもそもお姉さまのそんな情報を知っていいのもテルマだけですっ!
ぐぬぬ、ますます憎たらしくなってきましたよ、この聖霊……!
『な か み ぃ 。 か く に ぃ ん』
とぷんっ。
な、なんと聖霊、いきなり地面にもぐってしまいました。
穴を掘ってもぐったのではありません。
まるで潜水するように、とぷんと地面にもぐっていったのです。
もちろん地面は固いまま。
アレが情報分析とならぶ、あの聖霊の固有の力なのでしょうか。
「に、逃げられちゃいました……?」
地面にもぐったまま、ちっとも出てきませんね。
地中をもぐられたら追いかけようがありません。
ですが。
(お姉さまの気配……。まだ近くにいる……)
つまり聖霊、まだあきらめていません。
テルマの『なかみ』を見るために、あれこれ考えている最中なのでしょう。
それにしても地中にもぐるだなんて、体内のお姉さまが苦しがったらどうするのですか。
あぁお姉さま、今すぐにでもお救いしたいです、お姉さま……。
「……んん、んしょっ」
「え――」
お姉さまの声が聞こえました。
ふりむけばなんと、液状化した地中からお姉さまが這い出してきています。
「お姉さまっ!?」
「テルマちゃん……。助けに来てくれたんだね……」
今のテルマの衣、幽霊以外にも効いちゃいます。
このままじゃお姉さままでビリビリさせちゃうので、いったん解除してすぐさま抱きつきました。
「あぁ、お姉さま……。よくぞご無事で……」
「なんとかね、はい出してこられたんだぁ」
ぎゅっ。
テルマを抱きしめるお姉さまのお力、とってもお強いです。
そう、まるでお姉さまじゃないみたいに……。
「ねぇテルマちゃん」
「はい、なんですか?」
「お願いがあるんだけどね? テルマちゃんのことを――」
にちゃぁぁっ。
『お姉さま』の笑顔が醜く歪みます。
「食 ぁ べ さ せ て ぇ」
ばぐっ!!
足元から大きな口をあけて飛び出してきた聖霊が、テルマと『お姉さま』をまとめてひと飲みにします。
聖霊の口の中で、『お姉さま』はドロドロに溶けて消えてしまいました。
『げ ぇ っ ぷ 。 ご ち そ う さ ま ぁ』
勝ち誇ったみたいにゲップする聖霊の声が聞こえます。
ですけどね。
テルマの愛を甘く見過ぎです。
『ニセモノのお姉さま』になんて、テルマが騙されるはずないじゃないですか。
見た瞬間にわかりましたよ、アレはお姉さまなんかじゃないって。
見た瞬間に相手の狙いがわかって、それで思いつきました。
飲み込まれればお姉さまのもとへ行ける、って。
「……うぐぅぅ」
聖霊の体内、幽霊の身にはとってもとってもつらいです。
テルマの魂を取り込んで同化しようと、強い霊力が絶え間なく押し寄せてきます。
霊力を乱されて衣の展開もできません。
ですが問題はありません。
テルマが耐えればいいだけです。
耐えて耐えて、魂の糸をたぐりよせれば――。
「いました、お姉さまっ!」
かわいそうに、意識を失っておられるお姉さまを見つけました。
再会を喜びたいところですが、そうも言っていられません。
すぐさまお姉さまの体の中へ飛び込んで憑依です!
(お許しくださいお姉さま……。勝手にお体をつかわせていただくなどと……)
無断での憑依なんて、普段は絶対にしないのです。
これ一度きりですから、どうかお許しを……。
お姉さまの体に霊体が守られたことで、テルマの霊力が安定しました。
これでいけます!
「主の加護よ、百の苦難と千の辛苦から我が御魂を守護したもう――」
詠唱付きの最大出力、体内で思いっきりはじけさせますよ!
「神護景雲の御衣っ!!!」