146 なかみのかくにん
薄暗い謎の空間は、まるで巨大なダンジョンのよう。
真っ黒な壁と天井に、一定の間隔でかけられた紫色の炎が燃えるたいまつ。
とってもとっても不気味です。
「悪霊は……。よかった、追っかけてこないみたい……」
半分ガイコツの不気味なヤツがもし追いかけてきていたら、私泣いちゃってたかもしれません。
もうすでに泣きそうですが。
いったん立ち止まって息をととのえます。
それから耳をすまして、物音や足音を探ってみますが……。
「……なんにも聞こえない」
近くには誰もいないみたいです。
テルマちゃん、私からあんまり離れられないはずなのに。
「みんなどこいっちゃったんだろ」
私もみんなも、どんな危険が迫っているかわかったものじゃありません。
とってもとっても心配です。
「それに、ブランカインドも心配だよね……」
山をおおった黒いモヤ。
『ヒルコ』の出した闇にそっくりでしたけど、まさかシャルガが襲撃を……?
霊山の安全をたしかめるためにも、どうにか脱出の手段を探さないといけません。
そのためにまず、一刻も早くみんなと合流しなきゃ。
よぉし、久しぶりにアレをやってみましょう!
ここがダンジョンだと仮定するなら『星の瞳』でマップを開けるはずです。
瞳を閉じてまぶたに魔力を集中させて……開眼!
「星の瞳っ!」
……出ました、魔力球!
そしてその中に立体的に浮かび上がる立体マップ!
つまりここ、ダンジョンの判定なわけですね。
「えっと、今いる場所……は……」
マップの様子を見た瞬間、血の気が引きました。
なぜならどす黒く渦を巻く巨大な点が、マップのあちこちに点在していたからです。
ダンジョンはぜんぶで4階層。
一番下に私がいます。
このフロアにいる黒い点は、さっき私とお手々をつないでた悪霊だけ。
ですが他のフロアには、それぞれ味方をあらわす青い点と、聖霊のものだと思われるたくさんの黒い点。
聖霊や悪霊たちがみんなに殺到しています。
「は、早く行かなきゃ……っ!」
もしも聖霊の中に『月の瞳』を持ってるのがいたら、みんながやられちゃう!
いそいで上の階に……!
『み せ て ぇ ?』
「……っ!?」
ずる、ずるっ。
曲がり角からなにかが這いずる音が聞こえます。
一語一句区切るような、ねっとりとした低い声も聞こえました。
マップを見上げれば、曲がり角の先から黒い渦がこっちに近寄ってきています。
さっきまでなにもいなかったはずなのに……。
『み せ て ほ し い の ぉ』
ずるり、ずるり。
立ちすくむ私の前に『それ』はあらわれました。
短い足と丸い体のつぶれたカエルみたいな姿に、たくさんの眼がついた黒い怪物。
大きな口から垂らしたテカテカと光る太い舌を引きずって、ゆっくりと這いよってきます。
『ね ー ぇ み せ て ぇ』
「な、なにを……?」
恐怖と混乱のあまり思わず聞き返しちゃいました。
会話の通じない相手だって、わかってるはずなのに。
『み ぃ せ ぇ て ぇ 。 ぜ ん ぶ ぅ』
べたんっ、べたんっ、べたんっ!
「ひ……っ!」
案の定、です。
意味不明なことを言いながら追いかけてきました……!
もちろん逃げます、走ります。
涙がポロポロあふれてきますが、ぬぐってるヒマもありません。
マップを見てる余裕だってありません。
『み せ て ほ し ぃ の ぉ 。 な か み ぃ』
「やだやだやだやだやだやだぁ!!!」
全速力で走ります。
怪物の速さは私とおなじくらい。
全速力の私と、です。
このままじゃすぐにバテてつかまっちゃう……!
(追いつかれたら、つかまったらどうなるの……? 私、どうなっちゃうの……?)
……ちがうちがうちがうっ!
今考えるべきは、そんなことじゃない。
どうやって逃げ切るか、だけを考えないと……!
『な か み ぃ 。 か く に ん し た ぁ い』
「……っ」
怖い、怖くてたまらない。
けれど恐怖を押し殺して、マップを見上げてなにか打開の手を――。
ガっ!
「あぅっ!?」
なにかにつまづく感覚。
体がぐらりとかたむいて、
ドサっ!
「い……っ」
顔面から転んでしまいました。
「……っ! ど、どうして段差がぁ……!」
上をむいた瞬間、暗がりの段差につまづいちゃうだなんて……!
理不尽への怒りがわいてきますが、そんなのすぐにしぼんじゃいました。
だって……。
『み せ て く れ る の ぉ ?』
じゅるり。
怪物が舌なめずりしながら大きな口をあけて、こっちに迫ってきているのですから。
「に、逃げなきゃ――」
急いで立ち上がって走り出そうとしますが、
ぐいっ。
「ひゃぁっ!」
足にぬめぬめした嫌な感触がまとわりついて、もう一度倒れ込んでしまいました。
嫌な感触の正体は、舌です。
舌が右の足首に巻きついて、ずるずると私を引き寄せて……。
「やだ、はなしてっ! なにするつもりなの!?」
『み せ て も ら う の ぉ』
ばくっ、ぢゅる、ぢゅる、ぢゅるっ。
「いやっ、いやぁあぁぁぁぁぁ!!!」
怪物にくわえられた私の体が、まるで麺でもすするみたいに、ちゅるちゅると吸い込まれていきます。
ひとすすりごとに足首まで、ひざまで、ふとももまで、と。
どんどん、どんどん吸われていきます。
「やだよっ、やだっ! たすけてっ! こんな怪物に食べられたくないよぉ!!!」
必死にもがいて叫びます。
しかし誰にも届きません。
お腹まで、胸まで飲み込まれて、ついには頭が口の中。
(やだ……。こんなの……、こんなの、やだよぉ……)
とうとう完全に飲み込まれ、胃袋に流し込まれてしまいました。
とっても狭くて息苦しい空間に、全身をおおうぬめぬめとした感触。
私、このまま死んじゃうのかなぁ……。
「――捕獲なされたのですね」
(……えっ? 誰……?)
誰かの声が聞こえます。
男のヒト……でしょうか。
『な か み ぃ 。 げ ぇ っ ぷ』
なんでしょう。
ゲップの前に、私の体中をなにかが探ったようなカンジがありました。
「……なるほど。この情報、聖霊像に太陽の瞳……。やはりケイニッヒ様のおっしゃる通り、この娘こそが聖霊神さま復活のカギ」
(なに……? どういうこと……?)
今もしかして、私のことがぜんぶ筒抜けになっちゃってる?
私がマップを出すみたいに、魔力球か何かに私のデータを映し出して……?
「しかも驚きです。まさかシャルガの血を継いでいるとは……」
『み ら れ た ぁ 。 ま ん ぞ く ぅ』
「ご苦労様でした、『ノーム』様。すぐにケイニッヒ様のもとへお届けにあがりましょう」
あ……、もしかして私、シャルガのヒトに捕まっちゃった?
このヒトの言うケイニッヒって、ケイニッヒさんのことじゃなく『ジェイソフ』のことだよね。
ジェイソフが私を探してて、入れ替わったことを隠して命令を出して……?
そして今、私の正体と聖霊神復活の方法が知られてしまった。
つまりこのままだと、私どころか世界がとってもピンチじゃないですか?
(ど、どうにかして抜け出さないと!)
絶望してる場合じゃありません。
できることなんてあんまりないですが、力いっぱいもがいて暴れてみます……!
(えいっ、えいっ! 私を吐き出せぇ……!)
「元気に暴れているようですね。しかしムダです」
ムダじゃないもん、ムダなことなんてないもん。
黙ってつかまっててあげるほど、お人よしじゃないんだから!
「さて、他の三人の処遇ですが……。情報を見るかぎり、幽霊の少女は必須。残る二人の葬霊士は――不要ですね。始末してきましょう。ノーム様、ここで少々お待ちを」
シュンッ。
ワープ魔法特有の移動音が聞こえました。
声の主のヒト、きっとティアたちのところへ行ったのだと思います。
とってもまずいです、ピンチです。
(このぉぉ……! 吐き出してよぉぉ……!)
目の前のお腹のカベにパンチ、パンチ、キック!
へっぽこな私にできる最大限の大暴れです。
空気がほとんどないのですぐに息が切れそうですが、苦しがってもいられません。
この聖霊は言うなれば『生きた檻』。
聖霊神の復活のため、私を死なせることはあり得ない。
その状況を利用して、あがきまくってやりますよ!
(このっ、このぉ!)
『や ぁ め ぇ て ぇ ?』
ぐにぃ。
「え……?」
胃袋の内壁にとつぜん、目玉と口が出現しました。
思わずあっけに取られた直後、大きくひらいた口から甘いガスが吐き出されて……。
「あ――」
とても抵抗できない眠気に襲われます。
これ、催眠ガス……?
(ダメ……! 眠ったら、ダメ、なのに……ぃ)
必死に意識を保とうとしても、聖霊の力の前にはムダでした。
どんどん遠のく意識の中、思い浮かぶのはティアとテルマちゃん、大好きなふたりの顔。
「ティア、テルマちゃん……。たす……、けて……」
そう小さくつぶやいたのを最後に、私の意識は暗いふちへと落ちていったのでした……。