112 十席の意地
木箱から飛び出した、血のように真っ赤な体の聖霊。
牛みたいな見た目ですが、いびつに折れ曲がった三本の角と顔面にびっしりついた27の瞳が、牛でないことを物語っています。
「ひぃぃぃっ、なんか出ましたよぉぉぁ!」
「聖霊……っ」
「お姉さま、すぐにお守りします!」
すかさず私に憑依して、神護の衣を展開してくれるテルマちゃん。
まさかアネットさん、こんなトラップを遺してただなんて……!
『我が名はクユーサー』
「しゃ、しゃべったっ」
ティアの持ってる聖霊みたいにしゃべりました。
だったら話が通じるんじゃないか、なんて淡い期待は欠片も持てません。
聖霊と人間の価値観のちがい、嫌というほど知っているので。
『我を呼び出したるは、汝』
「えっ、と……。メフィちゃん、お願い!」
「わ、わたしですかぁ!?」
「ティアがいない今、戦えるのはあなただけ! 私も手伝うから!」
『汝、我を呼び出したる』
クユーサーさんでしたっけ?
なんかブツブツしゃべってますが、会話になる気がしませんよ。
『よろしい。汝、よろしい』
「なにがよろしいんですかぁ!?」
『よろしい』
ゴッ……!
「きゃふっ……!」
体に走る衝撃。
突進で吹き飛ばされたのだ、と、カベに叩きつけられてから気づきました。
「え゛……っ、げほ、げほっ、いた……ぁっ」
神護の衣で霊的な衝撃なら防げます。
なので突進の方はあまり痛くありません。
ですが、背中の痛みはカベのダメージ。
痛いです、とっても痛いです……!
『お姉さまっ!!』
「トリスさんっ!」
こんなに痛いの、ティアと出会って――ううん、冒険者になってから初めてかもしれません。
みんないっつも、こんな痛い思いして、私を守ってくれてたのかな……。
『汝。汝もまた、我を呼び出したる者か』
「えひゃっ、あ、ぅ……っ」
クユーサーが今度はメフィちゃんにむきなおります。
ダメ、このままじゃみんなやられちゃう……!
「メフィちゃん……っ、ティアを……、ティアを呼んできて……っ」
『お姉さま!? なにを……っ』
「ティアならこんな聖霊……、簡単にやっつけてくれるから……。私なら……、平気……! だって、テルマちゃんが、守ってくれるでしょ……?」
『お姉さま……。もちろんです、もちろんですが……っ!』
ムチャ言ってるの、百も承知です。
突進を防げても、吹き飛ばされたらケガします。
けどメフィちゃん、体も足も震えてるんです。
いくら葬霊士さんとはいえ、私より年下の怖がってる女の子に、私を守って戦って、なんて言えないよ……。
「……っ!」
パチィン!!
「えっ?」
びっくりです、メフィちゃんが自分のほっぺを両側から挟むようにひっぱたきました。
「……見くびらないでください」
ほっぺが真っ赤になっちゃってますし、ほんのり涙もちょちょぎれてます。
ですがその表情、強い決意を感じます。
「メフィ、『十席』です。大僧正から認めてもらった葬霊士です」
パチンっ。
黒い棺からダイアウルフちゃんが飛び出します。
主人と敵を交互に見たあと、メフィちゃんに寄り添うように臨戦態勢。
「この子をゆずってもらったとき、決めたんです。もう逃げない。怖くても、逃げないって!」
メフィちゃんが手をかざすと、オオカミさんがモヤとなって手のひらに吸い込まれていきます。
アレって前にも見た、あの子の得意技……!
「ブランカインド流憑霊術……っ! 霊獣憑依・【ダイアウルフ】!!」
オオカミさんが体に宿って、半透明の耳と爪、それから尻尾が生えてきます。
動物霊を憑依させて、その能力を得る術。
しかもスサノオを祓うときに見せた、あの子の本気モードです。
「グルルル……」
いつもの弱気な表情がすっかりナリをひそめて、むき出しの闘志でうなり声。
対するクユーサー、何度もうんうんとうなずいています。
……ところで、この狭い部屋でどんな戦いを?
『よろしい。汝も』
「グルぁっ!!」
ズバッ!
爪で斬りつける攻撃を最初に、殴る蹴る噛みつくとワイルドな攻撃がつぎつぎに繰り出されます。
しかし相手は聖霊です。
『弱点』をピンポイントで狙わなきゃ、ぜったいに祓えません。
今だってほら。
与えたダメージ、すぐに再生していってます。
「私も……、自分にできることを……」
メフィちゃんがきちんと戦えるようにサポートしなきゃ。
まだ背中がズキズキ痛みますがガマンして、瞳を閉じて……開眼!
「綺羅星の瞳っ!」
……見えました!
四本の脚それぞれのヒザの部分に白く光る点。
アレがクユーサーの弱点です。
「メフィちゃん、よっつの足のおヒザを狙って! そこが相手の弱点だから!」
「わ、わかりました……っ!」
自分じゃ見えない弱点を、あっさり信じてくれるメフィちゃん。
今までの信用あってこそなのでしょう。
頭をゲシっ、と蹴って飛び離れ、少し離れた床の上に着地。
ホントの獣みたいに、四つん這いに姿勢を低くして、弱点を狙いにいくようですが……。
『すこぶる、汝。すこぶる』
クユーサーも姿勢を低くして、次の瞬間、猛突進をしかけてきました。
「っ!」
すぐに飛びのいて避けるメフィちゃん。
突進をよけられたクユーサーは、そのままカベに突っ込んで――。
にゅるんっ。
……いえ、なんとカベの中に消えました。
そして消えたと同時、なんと天井から飛び出してきたのです。
「上からっ!」
「っ!」
メフィちゃん、私の叫びに反応して飛びのいてくれました。
真上から空中を走って突進してきたクユーサー、今度は床にぶつかって姿を消します。
すると今度は窓ガラスから。
これ、ただすり抜けてるわけじゃありません。
カベからカベにワープしてるんです。
これがクユーサーの『聖霊としての能力』なんだ。
狭い部屋が、むしろ有利に働いてる……!
「マドだよ、逃げてっ!」
「っ……!」
今度もまた、私の声で回避に成功。
ですがそこから、堂々巡りが続くことに。
カベ、床、天井。
あらゆるところから消えては現れ、速度をまったく落とさずに突進しつづける。
相手にとって、せまい部屋はむしろ有利なフィールドだったのです。
「下、左っ、右斜めっ!」
も、もうキリがないよぉ……!
このままじゃメフィちゃん、バテて捕まっちゃう……っ。
「……もういいですよ、トリスさん。わたし、覚悟を決めました」
「えっ――」
それってどういう……。
意味を聞く前にメフィちゃん、カベを背にしてホントに足を止めてしまいました。
「な、なにしてるのっ、逃げなきゃやられちゃうよぉ!」
「でもこのままじゃやれませんよね。でしたら、ちょっと痛いかもですけど……」
両足でふんばって、腰を落として……。
まさかこの構え、受け止めるつもりじゃ……!
「さぁ、来い!!!」
ムチャだよ、なんて言えませんでした。
メフィちゃんの覚悟を前にしたら。
クユーサーが真正面のカベから現れて、メフィちゃんに猛突進。
三本の角でくし刺しにするつもりです。
「……っぐ!」
ドガァァッ!!!
激突、そしてにぶい音。
メフィちゃんの口元から、ツー、と血がひとすじ垂れていきます。
「メフィちゃん……!!」
「平気、ですっ……!」
よ、よかった、角はささってない。
ギリギリでくし刺しを回避できたみたいですが、体にまともに突進を受けてしまったみたいです。
「痛い……。今にも意識が飛びそう、です……。でも……、これで……!」
ガシ、ガシっ。
角のうちの二本を、力強くつかむメフィちゃん。
「これで、捕まえたっ!!」
グルンっ!
ひねるように回転をくわえて、なんとクユーサーの巨体をひっくり返しました!
さかさまになって無防備になった足に、最大までのばした両手の爪が振り抜かれます。
スパっ、スパァ!!
四本の脚のヒザが正確に斬り裂かれて、モヤへと変わっていきます。
メフィちゃん、自分のコートから聖霊用の赤い棺を取り出しました。
こんな状況だからでしょう、持たされていたんですね。
「封縛の楔」
『汝。我を封じ――』
パチンっ。
吸い込まれてフタがされ、これでホントに終わりです。
手の中の棺を見ながらニンマリ笑うメフィちゃん、もうボロボロで息も絶えだえ。
「はぁ、はぁ、やった……。メフィ、やればできる子……で――」
ドサっ。
「メフィちゃん、大丈夫っ!?」
とうとう力尽きて倒れちゃいました。
痛みをガマンして駆け寄って、助け起こします。
見たところ命に別状はなさそうですが、服をめくってみたところ、白いお腹が真っ赤になってしまっています。
それに意識が戻りません。
ウルフちゃんの憑依も解けてしまいました。
「メフィちゃん……。すごかったよ、ゆっくり休んでね」
『本当、すごかったですね。お姉さまの命の恩人ですっ』
『クゥン……』
ウルフちゃん、メフィちゃんを気づかうみたいに寄り添います。
さて、あとは木箱を持ってティアをむかえに……。
「――遅くなったわ」
あ、この声は……!
部屋のドアに目をむければ、やっぱりティアでした。
いつものように涼しい顔で入ってきます。
……あれ?
でもティアって方向音痴――。
……いやいや、そんなこと考えるの失礼だよね。
きっと必死に探してくれたのでしょう。
「ティア、よかった……。もう大変だったんだから」
「そのようね。あなたもメフィも、ケガしてないかしら」
「私は……、ちょっと背中を打っただけ。でもね、メフィちゃんが聖霊の突進をまともに受けちゃって……」
「聖霊がいたのね」
「木箱が棺の役割してたみたいで、開いたらいきなりボン、って。アネットさん、とんでもない置き土産を残してたよぉ……。けど、メフィちゃんががんばってやっつけてくれたんだ」
「そう、大した子ね」
「すごかったんだよぉ。私が弱点見抜いたら、なにも言わずに信じてくれて」
「見えないものを信じる、ね。よほどの信頼がなければ、できるものではないわ。私だっておなじことを出来るかどうか」
「え……っ」
……ちがう。
このヒト、ちがう。
「さぁトリス、『聖霊像』を確認しましょう。その木箱に入っているのよね?」
「……ダメ。近寄らないで」
「……? どうしたのかしら、トリス」
「質問するの、こっちだよ。ねぇ……あなた、誰?」