熱帯低気圧
11月になると雪がちらつく北海道。北海道テレビのお天気お姉さんは、どんなに寒い朝でも笑顔で道民の一日を支えてくれました。お姉さんの笑顔には、なぜだかみんなを元気にしてくれる不思議なパワーがありました。釧路のおじいさんも、網走の子どもたちも、冬眠の準備をしているヒグマたちも、お姉さんのことが大好きでした。
フィリピン海上の熱帯低気圧も、お姉さんから元気をもらう者の一員でした。名前をイマイくんといいました。イマイくんは毎日、マニラの町から電波を拾ってはお天気コーナーを眺めていました。お勉強の時間も、外遊びの時間も、ずっとお姉さんについて考えました。熱帯低気圧は、お姉さんに恋をしていたのです。まわりの仲間はその間にたくさんお勉強をして、どんどん水蒸気を集めて、あっという間に立派な台風に成長してしまいました。一番の親友のササキくんも、台風16号という名前になりました。それでも熱帯低気圧は、お姉さんについて考え続けました。
ある日、見かねたササキくんが言いました。
「ねえ、イマイくん。もう今年のフィリピン海で熱帯低気圧なのは君だけだよ。そろそろ大人にならなくてはいけないよ」
「そうだね。低気圧として生まれたからには、いつかは台風になって、そして消滅しなければいけない。でも僕はどうしてもお姉さんのことが忘れられないんだ。忘れたくないんだ」
台風16号は少し考えてから言いました。
「だったらいい方法があるよ」
「いい方法ってのは、いったい何だい」
「台風になって、お姉さんに会いに行くんだよ」
イマイくんはおどろきました。
「何を言っているんだい、ササキくん。お姉さんは北海道にいるんだよ。届きっこないよ」
「なあんだ。じゃあイマイくんはお姉さんに会えないまま、イマイくんとしてひっそりとフィリピン海で消滅していくんだね」
イマイくんは、はじめて自分の未来について考えました。そして、台風になってお姉さんに会いに行かなくてはいけないと思いました。
「ありがとう、ササキくん。いや、台風16号。僕、頑張ってみるよ」
イマイくんは、すぐにありったけの水蒸気を集めはじめました。しかし、もう今年の低気圧たちが水蒸気をとっていってしまった後なので、思うように見つかりません。
イマイくんは情けなくなって泣き出しそうになりました。でも涙を流すと水蒸気が放出されてしまいます。お姉さんのことをおもって、必死に泣くのを我慢しました。
そんなイマイくんのおもいが通じたのでしょうか。なんとラニーニャ現象が起こりました。海があたたかくなり、イマイくんのからだも大きくなりました。ようやくアメダスがイマイくんを映しだし、気象庁が台風21号という名前をくれました。
台風21号は、北海道への上陸、お姉さんへの接近にむけて北上を開始しました。
関東地方では大雨が降っています。
台風21号が本州に上陸しているのです。もう、まわりに熱帯低気圧時代の仲間はいないので、ひとりで北海道を目指すしかありません。お姉さんのことをおもうと、風速も加速していきます。どんどんはやくなって、台風21号は目が回ってきてしまいました。ふらふらしていると、そこに偏西風さんがやってきました。この辺の緯度ではいつでも偏西風さんが吹いています。
「台風21号じゃない。ふらふらしているけど大丈夫?」
「やあ、大丈夫だとも。見てみなよこの風速を」
偏西風さんは少し不憫そうに微笑みました。
「君は恋をしているの?」
「そうだと思う」
「じゃあね、ひとつ恋のルールを教えてあげる」
「是非とも知りたいな」
「6秒ルールだよ」
「随分と半端な時間だね」
「そこが問題なの。6秒ルールってのは、6秒間見つめあった者同士は恋に落ちる法則なのよ」
台風21号には少し考える時間が必要でした。算数が苦手なので丁寧に計算しました。台風21号の風速は秒速17m/sです。それなので6秒間に移動する距離は17m×6秒で102mです。これではお姉さんと6秒間見つめあうことはできそうにありません。少なくともお姉さんが100m走が5秒台の俊足でなければいけませんし、テレビの中のお姉さんはいつも可愛らしいヒールの靴をはいていたのを台風21号は知っていました。
「どうしよう、これじゃあ6秒見つめあうことができないよ」
これには偏西風さんも困ってしまいました。そこにユーラシア大陸の方からモンスーンさんがやってきました。
「また偏西風さんが若者の恋路におせっかいをやいているのかい。恋は法則なんかじゃ操れない。もっと衝動的なんだよ」
「モンスーンさんじゃない。せっかく素敵なルールを教えてあげていたのに。ふん。もう知らないわ」
偏西風さんは、いってしまいました。残されたモンスーンさんと台風21号は、少しのあいだ東の方を眺めていました。
「偏西風さんとは昔から方向性の違いがね。まあ君には君の進路がある。みんなそれぞれ好きに進もうじゃないか」
モンスーンさんもいってしまいました。台風21号は久しぶりに誰かと話して、なんだか元気が出てきました。偏西風さんとモンスーンさんに心の中でお礼を言いました。そして、東と西を横目に見ながら北上しました。
あらゆる地域におかれている定点カメラが、今日も全国にお天気ニュースを伝えています。
「この年の台風の勢力は一段と強く、東北地方にまで上陸しました。勢いは弱まってきているものの、庭やベランダにあるものは家の中に避難させましょう」
台風21号は、いわき市の電波からそんな声を聴いていました。そして、できるだけ野外におかれているものを倒さないように気をつけようと思いました。とくに植木鉢の近くは慎重に移動しなければなりません。今まで通ったいろんな国の人が、お花や植木を大切に育てているのを見てきていましたし、なによりお花が散ってしまうのは、台風21号にとっても悲しいことなのです。
そんなことに気をつけながら下を向いて進んでいると、奥羽山脈にぶつかってしまいました。山にぶつかった雲は、上昇気流になって雨をたくさん降らせます。水蒸気がなくなってしまうと台風は消滅してしまうのです。しかし、どうにかして奥羽山脈を越えないと、北海道のお姉さんのところにはたどりつきません。
台風21号は言いました。
「奥羽山脈さん、ここを通して。僕は北上しなくてはならないんだ」
「通すわけにはいかない」
奥羽山脈さんの地を這うように低い声がひびきわたります。
「見てみろ、君たち台風のおかげで山の木々たちや花たちがこんなに犠牲になってる」
今にも吹きとんでしまいそうなお花や、折れてしまいそうな枝を目の当たりにして、台風21号はどうしていいかわからなくなってしまいました。
「ごめんなさい。僕はこんなつもりじゃなかったんです」
「本当にひどいことだ。君は今年の台風の中でも相当に猛烈な方だ。台風16号と同じくらいだよ」
台風21号は、親友の名前が出たことにびっくりしてしまいました。
「彼はどうなったんですか」
「ここで食い止めたさ」
「つまり台風16号は、ここで消滅したということですか」
「そうだね」
台風21号は泣きました。泣いたらたくさんの植物がまた犠牲になると分かっていましたが、どうしても涙を止めることができませんでした。台風21号は、勢いのままに奥羽山脈さんにぶつかり続けました。もうそうすることしかできなかったのです。
「落ち着くんだ」
「僕はさいていだ」
「仕方のないことだ。みんなそうやって生きてる」
「ちがうんだ。草木をたおし、親友を失って、それでも僕はお姉さんに会いたいと思ってる。自分が許せないんだ」
奥羽山脈さんは台風21号の目を見つめました。
「ならばいけ。若者よ。お前はつき進むことしかできないのかもしれない。その結果どうなってしまってもそれは不可逆的かつ不可避なことだ。悲しいことだがな。台風16号が、消えかかってるときに言ったんだ。21号が来たらそのときはよろしくたのむと。北北東の方角に谷がある。そこを通っていけ」
台風21号は、進んでいきました。
勢いが最大になった台風は、北海道に上陸しました。この異常事態に、ニュースももっぱら台風情報について伝えました。北海道に台風上陸とともに、全国的な大雨も大きく取り上げられました。
札幌の電波はお姉さんの居場所を示しています。台風21号は、ひたすら北海道テレビに向かいました。
その間にも、紅葉をむかえていた紅葉が散り、イチョウの木はしなっています。北海道のみんなは悲しみました。
ついに台風21号がお姉さんのもとにたどりつきました。お姉さんが台風の目に重なりました。
「台風21号さんですね」
「会いたかったんです」
「私もよ」
「台風の中心はいつでも晴れてるんだ、僕はお姉さんを守りたいよ」
「ありがとう、うれしいわ。でもみんなが傷ついてる。こんな方法ではいけないわ。」
「どうすればいいか、わからないんだ」
「心を広げるのよ。あなたなら私だけじゃなくて、みんなを守れるわ」
台風21号は、心を広げるというのがどういう意味だかわかりました。
「そうしてみるよ」
みるみるうちに、台風の目が大きくなっていきました。お姉さんを中心に、晴れた空が広がっていったのです。そして台風の目が雨雲の淵に近づいたとき、台風21号はお姉さんに言いました。
「さようなら」
北海道に晴天がおとずれました。
「イマイくん、きこえる?」
お姉さんが空に向かって叫びました。
「どうして、僕が」
「お天気情報をお届けします。北海道で猛威をふるった台風21号は、急速に勢力を落とし、温帯低気圧に変わりました。続いては東北地方です。台風16号が温帯低気圧となり、偏西風とモンスーンの影響で奥羽山脈付近に停滞しているとのことです」
「知っていたんですか」
「私をだれだと思っているの?お天気お姉さんよ」
お姉さんはそういって笑いました。