2 断罪と謝罪と私の幸せ
「……なぜ?」
ようやく私の口から絞り出すように言葉が出てまいりました。
自分でも緊張から口がカラカラに乾き、声が掠れていることがわかりました。
「貴女は、このローラ・バレンタイン男爵令嬢にこの一年、厳しく辛い言葉を投げかけ続けた。貴方はこのわたしの婚約者としてふさわしくない」
「それはっ」
私が反論しようとしたところで殿下が制されました。
「わかっている。貴女は高位貴族の令嬢としてローラに貴族の子女としてのあり方を教えようとされたのだろう?」
「…………」
図星でした。
貴族たるもの、ある程度の年齢ともなれば異性との距離感には注意しなければなりません。必要以上に接触しないことや恋人や婚約者がいる異性に対してはなおさらであることを私はことあるごとにローラ様にご指摘致しました。
上級貴族が下級貴族に、こと貴族となられたばかりのマナーに疎い方に対して間違いを指摘し是正することはよくある話です。
たとえ他の方に疎まれたとしてもそれが貴族としての、こと上級貴族であればそれは責務であるとさえ思っています。
「だからこそわたしは気付くことができた。貴族だなんだと、身分の高い低いにそれほどの意味を見出す必要があるのだろうかと。真実の愛の前にそれが一体どれほどの意味を持つのだろうかと」
私は唖然としてしまいました。
こともあろうに身分制度の頂点にいらっしゃる王太子殿下が自らその基盤となるものを否定するような発言をされたのです。
パーティー会場の皆様も驚かれたのかザワザワとし始めてしまいました。
「改めて宣言しよう。真実の愛を貫くため、わたしは今日、ここで貴女との婚約を破棄させていただく。そして、私はこのローラ・バレンタイン男爵令嬢と婚約する」
殿下はそう言い放つと傍にいらっしゃったローラ様を抱き寄せられました。
「殿下、仮に私との婚約を破棄されるとしても殿下の婚姻には身分の釣り合いというものが……」
「くどい! 今ここに宣言する! その身分によって強制される婚約は全て無効である! 結婚はお互いの真実の愛によって結ばれるべきもので、身分の差によって妨げられてはならない!」
殿下の言葉にホールのざわめきはより一層大きなものになりました。
「いったい何の騒ぎだ!」
ホールの上座にある王族専用出入り口から入場されたのはこの国で最も身分の高いお方。
王太子殿下のお父上でもある国王陛下その人でした。
陛下はパーティーの最初にだけ顔を出されて中座されたご様子でしたが王太子殿下が起こされた騒動を聞き付け急いで戻られてこられたのでしょうか。
陛下の周りには王太子殿下の御母上である第一王妃殿下もいらっしゃいます。
「父上!」
殿下が陛下へと歩み寄られました。
陛下は近くにいた私の父上、公爵家現当主であるフィリップ・アーノルドに対してことの経緯を確認されているご様子です。
父からの話を聞き終えられたのでしょう陛下は顔を真っ赤にして殿下に詰め寄られました。
「貴様っ! 自分が、自分が何をしたのか、何を言ってるのかわかっているのかっ!」
王太子殿下の婚約者としてこれまで何度も顔を合わせたことがある陛下でしたが、これ程の怒りの形相をされた陛下は初めて見ました。
「父上っ! 話を……」
――ごっ!
「ぶふっ……」
陛下が殿下を思いっきり殴られました。殿下は数メートル吹っ飛び床に転がりました。
初めて耳にする凄い音でした。
この衝撃的な光景にホールは一気にシーンと静まり返ってしまいました。
「この痴れ者がっ! 何という愚か者だ! お前を王太子にしていたとは何たる不明。皆の者、よく聞け! ルサリア王国国王エドワード1世はここに宣言する。カルロス・ディ・ルサリア第一王子から王太子の地位を剥奪する。追って正式に王家から追放し臣籍に降下させる沙汰を下す」
陛下はそうおっしゃると話はこれまでとさっさと上座の出口から会場を後にされました。
パーティー会場は大混乱。
王太子、いえ、元王太子殿下の御生母である第一王妃殿下は陛下にすがりつき再考を促され、他の方々も並々ならぬ事態に慌てて会場から出ていこうとされています。
混乱の中心はいつの間にか私ではなく王家のお家騒動にへと発展し、私もお父様に促されて足早にパーティー会場を抜けて自宅へと戻ったのでした。
「王家から正式に謝罪を受けた」
パーティーの翌日。
お父様に呼ばれた私はお父様の執務室でそう切り出されました。
「婚約は結局どうなるのでしょうか?」
「破棄は覆らない。どちらにせよ王太子ではない彼に用はない」
お父様は淡々とそうおっしゃいました。
元々が政略結婚です。
我がアーノルド公爵家は王太子、つまり次期国王陛下に娘である私を嫁がすことに同意したのであり、前提が崩れれば話はなかったことになるというわけです。
結局カルロス殿下は廃嫡となった挙句に臣籍降下。
貴族としては最下級となる男爵になるそうです。
そのうえで辺境のひなびた領地を与えられ、いえ、追放されることになりました。
「それで私はどうなるのでしょうか? どこか別に家に嫁ぐことになるのでしょうか?」
「あんなに大々的に婚約を破棄されてはまともな貴族の貰い手は見つかるまい。そもそも有力な貴族の子弟は学院在学中に既に婚約者はほぼ決まっている。今更まともな縁談もないだろう」
「…………」
では私は一生結婚できないのでしょうか。
ずっとこの公爵家にいることになるのか、それとも修道院にでも送られてしまうのか。
「カルロス殿は廃嫡されたとはいえ、王太子として身分に縛られた婚姻を撤廃すると宣言した意味は重い。それに新たに王太子となられたレオンハルト第二王子殿下は元々身分制にとらわれない革新的な考えのお方だ。必然、これまでの貴族社会の慣例は通用しなくなる」
「はい……」
「あくまでもわたしがお前に貴族の結婚相手を宛がうということをしないというだけだ。もしもお前に誰か添い遂げたいと思う者がいるというのであればお前の好きにするといい」
「私の好きに……」
私の脳裏に浮かんだのは貴族でもない、ただの平民の男性。
まさかそんなことが。
私の胸の鼓動が高まりました。
意を決して私はお父様にお願いしました。
「いいだろう。その彼がいいというのであればわたしは反対しない」
嗚呼、何ということでしょうか!
絶対にないと思っていた道が、諦めていた未来が見えてくるだなんて。
詳しいお話は恥ずかしいので省かせていただきますが思いがけず、私は運命を変えることができたとだけ申し上げておきます。