1 婚約破棄
『シャル、いえ御嬢様、わたしはもう貴女様と一緒に遊ぶことはできません』
『どうして? アレク、ねえ、どうしてなの?』
『申し訳ございません』
ああ、また、あのときの夢だ。
私の意識がゆっくりと浮上する。
以前は度々あのときのことを夢で見ることがあったのだけれどここ最近はすっかり見なくなっていたので油断していた。
そうか、今日は学院の卒業パーティーの日だ。
王太子殿下の婚約者である私、シャルロット・アーノルドは王立学院を卒業すると時期をみて王太子殿下と正式に婚姻することになる。
そうするともう私の想いが決してあの人に届くことはないだろう。
貴族の令嬢として政略結婚は当たり前。
好きな人と添い遂げるだなんてことは夢物語の世界だけの話だ。
もうとっくに諦めているつもりだった。
しかし、どうやら私の中の知らない私にはまだまだ未練があるらしい。
「さようなら、私の愛しい人」
意識せず、私の目から涙が零れた。
この日の夜。
学院の大ホールでは華やかな衣装やドレスを着飾った大勢の人でごった返していた。
今宵、この場所では王立学院の卒業パーティーが開かれている。
このルサリア王国の貴族の子女は13歳になると王都にあるこの学院で学ぶことになっている。
貴族の子女だけではなく国王陛下夫妻をはじめ来賓のお偉方に子女たちの保護者も詰めかけそうそうたる顔ぶれが並ぶ。
(本来であれば婚約者である王太子殿下と一緒にいるべきなのでしょうけれど……)
パーティーでは婚約者がいる者は婚約者にエスコートをしてもらうのが基本だ。
婚約者がどうしても出席できない場合には父や兄弟といった家族にしてもらうこともあるが、今日はその婚約者がこの会場にいるのに私はエスコートを兄にしてもらった。
我がアーノルド公爵家の次期当主である兄は何も言わず、ただ黙って私に付き合ってくれた。
その優しさが嬉しくも少し悲しい。
(やっぱりあの方と一緒にいらっしゃるのね……)
我が婚約者の姿を見つけて視線を送るとその傍には一人の御令嬢の姿。
1年前にこの学院に編入されたローラ・バレンタイン男爵令嬢。
ふわふわの茶色の髪をした色白でいつも笑顔の女の子。
平民として育てられていたそうで縁あってバレンタイン男爵家の養女となってこの学院に編入された方。
正直貴族の御令嬢としてのマナーも立ち振る舞いもまったくなっていない方でした。
しかし、そんなところがこの学院の高位貴族の子弟に逆に受けたのでしょう。
王太子殿下を始め、その側近の皆様もその御令嬢に首ったけのようです。
パートナーのいない私は誰とも踊ることなく学院を卒業すると離れ離れになる友人たちとの別れを惜しみました。
そしてそろそろパーティーもお開きかという時間になって私はホールの給仕係に殿下が呼んでいるとの伝言をいただきました。
私は不思議に思いながら殿下の元へと向かいます。
(今さら何の御用かしら?)
ホールの中央、殿下とその傍には件のローラ男爵令嬢の姿。
その周りには殿下の取り巻きといいますか将来殿下が国王陛下に即位すれば側近となられるだろう皆様の姿。
殿下は私が来たことを確認すると、一歩私の方へと近づかれました。
何とも言えない並々ならぬ決意をされた表情です。
そのお顔に私は驚き、何かよからぬことが起きるのではないかと不安で胸がいっぱいになりました。
「この栄えある王立学院の卒業パーティーでの不作法、許していただきたい。しかし、今日、この場にいる者には是非聞いていただきたい!」
殿下が突然大きな声をあげられました。
殿下の声は大きいだけではなくはっきりとしてよどみのないもので、ホールの隅々にまで響いたのでしょう。談笑されていた皆様の話し声はピタリと止み、ホールの中央にいる私たちへと視線が注がれます。
そしてたっぷりと一拍空けると殿下は息を大きく吸って宣言されました。
「シャルロット・アーノルド! ルサリア王国王太子カルロス・ディ・ルサリアは貴女との婚約を破棄する!」
私は殿下が何をおっしゃっているのか理解ができませんでした。
いえ、私の身体に不調はなく、この耳は音を正確に拾ってくれています。
ホールのざわつきもきちんとこの耳に届いています。
殿下がおっしゃった言葉は確かにこの耳に届いています。
しかし、その意味を私の頭が理解しようとしません。
私は思わずその場に立ち尽くしてしまいました。