19XX年 春 ハニーハニー
五反田駅を降りると、生暖かい風が博の首元を流れた。
そうか、世の中は、春だ。
9月決算の会社に勤める博にしてみると、あまり趣きのない季節だが、年度で動く日本社会においては、入学、卒業、就職、退職と人々の心の情景を動かす季節なのだろう。
暖かくなり、とはいえ、まだまだ冬の顔が見える不安定な季節。
が、故に、不安定なメンヘラ人間たちが社会に表出化されるのも春なんだろう。
これまでの経験上、メンヘラ社員のトラブルはだいたい春か秋に起きている。
クソ暑くて体力奪われる夏や、ただただ寒くて籠りたい冬にそういったトラブルは起きたためしがない。これがジャパニーズサラリーマンとして戦ってきた博の経験則だ。
と、今日の出来事と結び付けて、都合の良い心の整理をするが、
「おっさんになったんだなあ」と得も言われぬ寂しさを博は覚えた。
19、20歳の頃だったら、心、思考で整理できないことを、肉体で整理していた気がする。
小中高大と野球を続けてきた身として、有り余るエネルギーを、シナプスよりも筋肉のカロリー消費に充てていたのだ。
と考えると、最近は体を動かすより、脳と口と舌と指先を動かす事が多い。
それが大人になる事なのだろうか。
ふと上目になった博の鼻元を甘い花の匂いが刺した。
あ~なんだかこの匂いは覚えがある。
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19XX年3月初旬、高校を卒業した。
卒業式が終わって、陽射しに照らされる広場で皆が写真を撮り合っている中、博は明後日の中期試験のために寂しく家路についていた・・・・・。
「小林く~~ん!写真撮ろう!」
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そんな風に声をかけてくる女子に期待はしたが、広場の人込みを通り過ぎる博を気に掛ける人などいない。
まあ、野球部とはいえ、元女子高で決して強豪校とは言えない高校。
グランドが校舎敷地内にないから、裏山に造設されたグランドで日々練習になり、野球部は校内でも存在感が薄い。
そんな存在感が薄い部で、エースだとか、四番だとか、キャプテンと言った主力でもない自分の事を気にする女子がいることを気にする方が「愚」なのだ。
と、40近い今になってみればそうやって整理できるが、あの時校舎を出て、最寄りの駅まで歩く寂しさと来たら、今でも酔っ払ったときに嫁に話すネタになっている。
で、翌日の試験は、松本6時発「あずさ」に乗り大月で乗り換えて富士急行線。
松本より小さな、聞いたことも無い城下町に降り立った博は、まさかこれから始まる新しい生活の舞台となるとは思ってもいなかった。
というより、行く末分からず宙ぶらりんな受験生には「合格」通知をもらうことしか考えていなかったと言った方がいいかもしれない。
行きも帰りも唯一の友は、「風呂で覚える世界史」とカセットウォークマン。
90分テープには、スピッツの”99ep”と”惑星のかけら”。
「この海は ~~海さ ~~~世界とつなぐ」
手ごたえの良く分からない試験の後、甲府盆地を走る車窓が赤く染まっている。
やけに温かみを覚える初春の夕焼けだ。
力が抜けて、ボーッと外を眺めながら耳に入ってくる「魚」は、孤独な夜間飛行を続ける飛行士と同じ気持ちの博を慰めてくれたのだと思う。
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陽射しがだいぶ明るくなったある朝、実家にあるボロパソコンの画面には博の受験番号が掲載されている。思わず印刷し、写真を撮り、仏壇に飾り、新しい生活の幕開けを必死に実感しようとする自分がそこにいた。
蕾の大きくなった木々、軒先に咲いた梅の花、生暖かく感じる風と春の匂い。僅か十日の間に、世界は春支度を済ませていたことも知らずに。
巷ではヒステリック・ブルーの曲がガンガン流れている。あれを初めて聴いたときはYUKIかと勘違いした。
ちょうど時同じくして、ラジオでスピッツの新しいアルバムが出るとの情報を得たので、早速家の側にある平○堂へ足を運んで買ったのが”花鳥風月”。
このアルバム、スピッツの隠れた名曲集というが、その時期の博にとって正にぴったりの曲ばかりだったと思う。
生暖かく、淡い光で世の中が染まろうとしていることに自分も同調しながら。
そして、某有名美術大学に進学するあの娘の想い出は一曲目の「流れ星」に凝縮されていた。
最後の春休みに一緒に観たアメリカの娯楽映画と同じように、少し(と言うよりかなり)美化しすぎなのかも知れないが。
でもスクリーンの中では、ちゃんと流れ星が沢山飛んでいた。
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見知らぬ土地、初めての独り暮らし。新しいお城は、築30年のボロアパート。
4畳半、南向きで日当りの良い1階の部屋から、小川の脇で遅咲きの桜が咲いているのが観える。神田川の世界というわけではないが、かなり年季ものだということは確かだ。
変化ある物にはいずれ終わりがあるのが世の性。
晩春になれば、風に飛ばされて散っていくのが桜。日差しが汗ばむようになってくると、小川は一面赤く染まっていた。
ヒラリ、ヒラリと静かに落ちていく姿は、まるで「桃色の雪」。
毎年同じ寂しさというものを味わう。
博としては、狂い咲く華やかな桜より、寂しく、ただ風に飛ばされていく桜の姿が好きだった。
潔いと言うのか、暖かい風に飛ばされることで若葉にその座を譲る。役を終え、次の季節を知らせようとする姿がなんとなく好きなのだ。このなんとも言えない感性は、「日本人」だからなのだろうか?
ぽかぽか陽気の中、少し伸びた髪を切りに近所の床屋に行く。見知らぬ土地では、髪を切る店も開拓しなければならない。もっとも、その時の揉み上げを強調した坊主頭だったので、あまり気にする必要も無かったが・・・。
髭を剃られる気持ちよさを味わいながら、頭上のテレビを見ていると新しいガンダムが始まったようだ。外国人がデザインした髭のガンダム。新番組が始まるのもまた、春のわくわく感を駆りたたせる。 すっきり気持ちよくなった頭をなでながら、一枚一枚と散っていく桜の脇を歩く。おもむろにかばんの中から、当時普及し始めた携帯電話を取り出す。
今は無き「Jフォン。」
A「お久しぶり。こちらは桃色の雪が沢山降っています。そちらはどうですか?」
B「お久しぶりだね。元気だった?こっちはもう全部散っちゃって、青い葉が生えてきましたよ。」
その後、数回電話して某大学の彼女とは音沙汰がなくなった。風の噂では、東京で結婚されたそうだ。
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最後の一片が散り、若葉が産声をあげるまでの間、新しい友人、「おっぱい」 の温もり・・・。
まだまだ幼い青年を取り巻く世界は、アナログ時計の秒針のように時を重ねる。
今考えると、良くも悪くも誰にでも巡ってくる「初々しさに浸る時間」だったのだと思う。また殻に亀裂が入って、外の光が目の中に入りつつある時間でもあった。
ただ、変わっていく周りの世界を受け入れている自分とは逆にまだ殻の中に篭っていたいと反発する自分がいることに、ある時気付いていた。
新しい友人とワイワイする社交的な自分とは反対に、家族のいないプライベート、一人ぼっちのプライベートをボロアパートで満喫している内向的な自分がいることに気付いたのだ。
その二面性を日々うまく使い分けていることが、何とも不思議で、生まれて初めての感覚だった。
「陰と陽」をうまく使い分けることで、新しくなる環境の中、実は溜まっていくストレスを発散させる時間を本能的に作っていたとでも言うのだろうか?
そう考えると、陰は「おっぱい」と「トゲトゲの木」(花鳥風月) とプレステ。
陽は、”フリップフラップ”と”メリーゴーラウンズ”の 「恋に走り出そう」 、そしてジャックパーセルだったと今は思う。
当時、門井姉妹ことフリップフラップが一番メディアに出ていた。この後「つんく系列」のアイドルが一世風靡する中、好きなアイドルはと聞かれれば「フリップフラップです!!」と答える特異な自分がいた。
また、当時メンズノンノにはジャックパーセルについて『お洒落と呼ばれる人はみんな持ってる』と書いてあった。この謳い文句に、どれだけの青年が惑わされたことだろう。
博もその一人だったことは確かである。