アラフォー男子令和に生きる
一時期に聴いていた音楽を、何年かして聴くととても懐かしい気持ちになったりすることは誰にでもある。人それぞれが持つ世界観。故に中々表出化できない領域。
今回はアラフォーサラリーマンのそんなヒットチャートからは大分ずれた音楽領域人生を、回想録としてまとめてみた。
20XX年春某日
まあ今日は疲れた。
メンヘラな事務スタッフの、会社に対するネガティブ長文メールから朝が始まり。部長に相談しようにも、当人は北海道出張。
どうでもいいような態度をとると、MG42ばりに途切れのない、かつ相手の心の布を引き裂く言葉を発し続けるメンヘラ事務職員。だから話を聞いてあげようとすると悲劇のヒロイン症候群。
ああ、ヒ〇ラーはこうやって人の心を揺さぶったのだろうか。
いやいや、日本の戦後教育で育った俺にしてみりゃあ、
「だからさああ、仕事前に進めようよ。自分がやるべきことにまずは目を向けようよ。
この時間まぢ無駄金・・・・・。」
でしかねえ。
と、ストレスマックスな小林博(年齢:アラフォー)。
せめてもの救いは
「小林さんは間違ってないと思いますよ。」
と凛とした瞳で、まじめすぎるほどの目線で話しかけてくれた部下の茜さん。
いや~。いつも彼女には助けられる。
パンツスタイルで見事なくびれには違う意味でも癒される。
いやいや、責任ある立場かつ責任ある大人である以上、それ以上のことは、、いかんいかん。
でもまあ、彼女がこの間参加したよくわからない研修に対して、会社が認めている教育予算が一応あるからだけど、経費申請書のハンコ押さなきゃいけないんだけどね・・。
と、なんやかんだで鼻の下を伸ばしながら、今日の出来事をつり革掴みながら、窓辺に流れる光のぽつぽつを眺めていると、いつの間にか、目の下に熊ができた自分の顔が浮かび上がる。
で、もうすぐ恵比寿。
どうやら気付かぬうちに「おじさん」になっていたのだ。
いつも会うと鼻の下が伸びてしまう、茜さんに、まじめにアプローチできたのは30代前半まで。
で、流石にここで所帯を持つ自分が一線を越えることはできない。
そりゃそうだ。嫁さんだって大好きだし。
人生リスク考えたらだめだし・・・。ローンもあるし・・・。社会体もあるし・・・。
そんな、漢の下種な思考のために、無駄にシナプスを動かしつつ、今朝のメンヘラ事務職員の事を忘れようと心の整理をしていた矢先・・・。
パ~パンパ~パンパーパパパ~ン
誰かのスマホが大音量でなり始めた。
うーん。
周囲にとってみると、相当耳障り。たぶん音量フルマックス。
でも、博にしてみるとなんだか懐かしい旋律、
『あ~、ダフトパンクね』
心の中でつぶやくと、目の前にいる同世代のサラリーマンが慌てながら携帯の音量を下げていた。
耳に着けたイヤホンと携帯のBluetooth接続ができないまま、音楽をスタートしたようだ。
まあ、自分もあるあるだし、曲自体好きな部類だし、全然ストレスにならない。
逆に懐かしい。
あれから何年経ったのかなあ~。
窓に映る自分の、
目元がクマにまみれた、老けた顔を見つめながら、ふと思い出してみる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
200X年3月XX日。
陽射しが暖かくなってきた卒業式の朝。
2年生の夏、リサイクル掲示板で見つけて買ったコンポがタイマーで動き出す。
流れてきた曲はダフトパンク、 ”ディスカバリー”の「ONE MORE TIME」。
当時、崖っぷちと言われていた大手家電メーカーのTVCMに使われた曲だ。
就職が決まり、東京の新居に引っ越していた友人が、昨晩から博のアパートに泊まっていた。
彼も目覚めたようで、LARKを吹かしはじめる。
香ばしい煙に巻かれながら、金沢市出身で醤油屋の息子は、電子的なグルーブに合わせて揺れだす。
ロフトで寝ていた博は、意識はあるのだが、昨夜の酒が残っていて体が動こうとしない。
何せ夜中に二回も吐いたのだから。
式までかなり時間がある。
ここはじっくり回復するのを待とうと思い、まぶたを閉じ耳に入ってくる旋律に集中していると、文法英語だけで育ってきた僕でも解りやすい簡単な英語。
「これって、お祝いの曲じゃない?」
「本当だ。」
醤油屋の息子が歌詞カードの日本語訳を見るとまさにそのとおり。
門出の朝に良い選曲をした。
フランスの幾何学的音波に乗せて煙が部屋に充満し始めると、男臭いカーテンの隙間から、朝日が入り込んできた。
そろそろ、起きよう。
「はらへったー、朝飯何?」
「え!? 俺が作るの?」
「え!? じゃねえの。だから夜のうちにおにぎり食べちゃった。」
「まぢかあ~~~。冷凍の米しかねえよ。」
「いいのいいの、しょうゆとマヨネーズかければ」
「うーんとねえ。マヨネーズがない。」
「えっつ!?まぢで!?」
「じゃさ、まだ早いし、コンビニいこか。」
「そだねw」
と、結局コンビニのおにぎりにお世話になり、門出の日の朝食は済んだ。
むさい男二人。
ひたすら煙草の煙が部屋に漂う。ただつい先日まで、雪が積もっていた田舎の小さな城下町も、今日は汗ばむほど良い天気なので、窓を開けていれば気にならない。
「そろそろ時間だ。着替えるか」
「だな。じゅんびしまっか」
卒業式なので、まあ、それなりにおしゃれをして
junnmenのシャツを着て、ポールスミスのネクタイをする。
いずれも先輩からのおさがりだけど。
そんな晴れ着で坂の上の式場まで歩く。
この道をスーツ姿で登ったのは4年前の4月だった。時間の流れは速いが、当時は田舎の青〇で取り揃えたスーツだった。4年経つと一応それなりにアップデートはされている。
9・11、アフガニスタン、そして遠いイラクの街ではたくさんの血が流れている真只中。ご時世を表すのか、学長をはじめとしたお偉い様方の言葉はどれも暗い物ばかり。「君たちは大変な時期に卒業を迎えることになりました。でも頑張ってください。あなた方がこれからの日本を支えるのです!」
一生で一度しかない式が終わり、写真の撮り合いっこ、胴上げ、学科別の卒業証書授与・・・・。
朝はあんなに暖かかった陽射しが、もう傾き始めている。名残惜しいのか、皆なかなか帰ろうとしない。でもある友人が、
「じゃあ俺、行くわ」
「またね」
と帰っていった。
『彼は鳥取の小学校の先生になるんだった。おいらの故郷信州とはずいぶん遠いなあ。』
と、博は一瞬胸のざわざわを覚えた。
これから先は、学校へ足を運べば、いつでも会えるという訳ではない。
何せ日本全国から学生が集まる大学だ。ひょっとしたら、この先二度と顔を合わせる事の無い友人もいるのかもしれない。そうやって考えると、「別れ」の瞬間は意外とあっさりしている。あっさり過ぎる別れなんて初めてだ。つるんでいる仲間とは近くに住んでても、だらだらと一緒にいちゃう生活に慣れてしまっているから、妙に胸がざわざわする。
この「あっさりした別れ」。
その時点で大学に残って勉強する予定でいた博は、この2、3日の間にいくつも立ち会うことになった。その立ち合いの中で、胸のざわざわが、だんだんと思考で理解できるようになっていた。「モラトリアムは終わったのだと。」
さて、いよいよ太陽が最後の光をみんなに照らしている。
まだまだ今日は夜の「卒業コンパ」で一騒ぎあると言うのに妙に感慨深い。
あれ?でも、これと似た太陽を、以前どこかで僕は眺めていたような気がする・・・。
筆者が200X年(平成XX年)お世話になった音楽
「id」(A) 「まちわび まちさび」(A) /クラムボン
「16/50 1997-1999」(A) 「JUMP UP」(A) /スーパーカー
「ジョゼと虎と魚たち」(A) /くるり
「RECORDS」(A) /the Indigo
「近未来」(A) 「夢」(A) /キセル
「りんご」(M) /Pigeon's Milk
「WALLPAPER FOR THE SOUL」(A) 「PUZZLE」(A) /TAHITI 80
「GRAN TURISMO」(A) /the Cardigans
「yesterday was dramatic - today is o.k. 」(A) /MUM
「宇宙 日本 世田谷」(A) /Fishmans
「クラクション」(M) /ルラル
「CINEMA SCOPE 」(A) /CECIL
「Chai」(A) /サントラ・オムニバス
「DISCOVERY」(A) /DAFT PUNK
「Man Who」(A) /TRAVIS
「DIVINE DISCONTENT」(A) /Sixpence None the Richer
※順不同。




